私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

鳥越煙村の細谷川の絵

2013-02-03 10:22:05 | Weblog

 煙村の細谷川の桜を描いた絵は、私は見たことはないのですが、宮内のどこかの家に蔵されていることは確かです。此の絵の中で煙村の賛があるのですが、それには、次のような不思議な語句が画かれています。
 「松蔭只一餐」
 と。要するに、後藤松蔭は何もせずに、ただ酒を飲んでいたと云うことに成ります。すると、前に挙げた松蔭の歌だと説明した”松風寂歴和潺湲・・・”は私の誤りでした。石屏か南圃かの歌です。
 昨日の“鯉魚山下水潺湲 桜樹団々松樹間 看取天機雲錦片 春光一個小嵐山”という漢詩が煙村作でした。訂正してお詫びします。

 此の高尚が育てた細谷川の桜園を、煙村は「小嵐山」と言ったのです。今日の嵐山に負けないくらい見事だと称賛したのです。今は桜の木は一本も残ってはいません。唯、高尚の歌碑だけが叢の中に隠れるように置いてあるだけです。此の歌碑を目にすると「昔の姿今いずこ」の感が一入です。


鯉魚山下水潺湲

2013-02-02 10:30:41 | Weblog

3人目の「石屏」???の歌も書かれていますので、依怙贔屓にならないように取り上げます。

 “鯉魚山下水潺湲 桜樹団々松樹間 看取天機雲錦片 春光一個小嵐山

 

 この石屏・南圃、松蔭の三絶句のいずれも、松の緑の中山にあって細谷川一帯の桜を愛でて、「団々」「紅裙」「芳樹」などとその美しさを歌に詠んでいるのです。

 煙村の書いたその風景はいかばかりならんと思うも、未だ、目にする事不能。宮内の誰かが持っているはずなのですが???


後藤松蔭の細谷川を呼んだ漢詩

2013-02-01 18:18:29 | Weblog

 文政2年、岡山藩士で画家でもある「鳥越煙村」は石屏・南圃・松蔭の3人と一緒に細谷川の桜見学に宮内の芸者衆を連れて上りその風景を描いております。(宮内にその絵はあるのだそうです???)。その絵の賛にこの3人が賦しております。この3人ですが、調べてみたのですが、後藤松蔭以外はどのような人物か不明です。

 なお、後藤松蔭ですが、頼山陽の高弟で、吉備津神社の扁額を書いた人の娘婿ですので、宮内と、又、大いに関係がある人なのですが、此の人も、亦、師譲りの幕末の日本における漢詩の名士の一人に数えられています。その人の詩を

   ”松風寂歴和潺湲 酌酒戴訪芳樹間 旧友倘尋春近状 酔来伴鶴左中山”

 どうです。「歴」は「ことごとく」とか[次々に」とか、また「はっきりしている」、又、「倘」は「さまよう」という意味があるようですが、最後の「酔来伴鶴左中山」というのが私にはどうもよく分かりません。例の漢文先生も病院に入っていますので困っています。彼に聞くわけにはいきません。誰か教えてくださいませんか。「鶴左」がわかりません??