時代的に言いますと、およそBC600年ごろのお話です。当時、瀬戸内海は陸地の置くまで入りこんでいて、たくさんの島々が入り混じり今より多島美の風景が展開されていたと思われます。児島を中心として、今の岡山平野は殆どが海で。吉備の穴海と呼ばれていたそうです。その穴海の中に吉備の中山、即ち神南山と呼ばれた中山がその中央にでんと位置していたのです。前方後円墳がこの山には3つもあります。その一つが中山茶臼山古墳と呼ばれているものです。吉備津彦命をお祭りしてある御陵です。全体が葺石で覆われています。そのほか横穴式の古墳群も多く見られます。こんなに多くの古墳をもつ山は他にはありません。それが。「高」即ち「尊」島とするゆえんです。