洪庵先生の「壬戌旅行日記」の宮内に関係のある日記の最後は文久2年4月25日です。
「朝曇 午前より晴 晩曇
・4ッ半(11時頃)宮内出立。8ッ時(2時頃)倉敷着。
この時、洪庵はどの道を通り倉敷きに出たのでしょう。山陽道経由して菅生の坂を越えていく方法と庭瀬に出て、そこから鴨方往来を通って行く方法が考えられます。どの道を通たのかは、この日記からは分かりませんが、宮内から倉敷まで3時間も掛かっています。
でも、此の旅日記には、更に
「・・妹尾又玄、佐野周研、途中迄出向。守屋庸庵旅宿に待受。薬店大坂屋源介来る。夜酒宴する。」
これだけ書いていたら、突然後楽園での御花見の催促がありまあしたので、今日はこれで仕舞にします。
「朝曇 午前より晴 晩曇
・4ッ半(11時頃)宮内出立。8ッ時(2時頃)倉敷着。
この時、洪庵はどの道を通り倉敷きに出たのでしょう。山陽道経由して菅生の坂を越えていく方法と庭瀬に出て、そこから鴨方往来を通って行く方法が考えられます。どの道を通たのかは、この日記からは分かりませんが、宮内から倉敷まで3時間も掛かっています。
でも、此の旅日記には、更に
「・・妹尾又玄、佐野周研、途中迄出向。守屋庸庵旅宿に待受。薬店大坂屋源介来る。夜酒宴する。」
これだけ書いていたら、突然後楽園での御花見の催促がありまあしたので、今日はこれで仕舞にします。