私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

清水の次郎長か岡田屋の熊次郎か

2007-02-15 21:05:12 | Weblog
    「もしもし、おめェが次郎長か。わしゃあなー、岡田屋の熊次郎じゃ」

 もし、その当時、電話があったとしたら、こんな会話がなされたのではないでしょうか。
 これからお話しする、わが町 吉備津が生んだ任侠の人「熊次郎親分」は、当時といっても、江戸は末期「11代家斉」将軍の時代(文化文政時代)に、山陽道随一の遊郭地「宮内」を牛耳った、やくざ世界に君臨した闇の帝王でした。
 この二人は出会うこともなく、幕末という、今までの価値基準が完全に崩れ去ろうとしていく波乱万丈の世界に生き、又、それを巧みに使い分けしながら、西と東に相別れ、お互いを知る事もなく、自分の力を精一杯に発揮して、自分の思うままに、己の生を存分に己の世界に埋没させていったと思われます。
 この熊次郎は、次郎長と違って、西の勇として、映画にも講談にも取り上げられず、歴史の中から完全に消え去り、忘れ去られてしまっています。
 その点から言えば、熊次郎は、一寸ばかり損をしたかなという事はありますが、彼は、今、彼の墓なの中から「そんな事こんめえ、こんめえ」と嘯いているのではと思います。
 でも、当時、この吉備津の宮内を起点として、山陽随一の大親分として、全国にその名を知らしめた人であったことは確かです。

 こんな人がいたのかということを、これから数回に分けて語っていこうと思います。  
                 

 なお、「こんめえー」とは、吉備地方の方言で、
 「小さな些細な事で取り上げてもどうにでもなるということにはならない、自然の成り行きにまかせればいいことじゃ、ほっとけばよい」
と、いうぐらいの意味です。