私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

重源と栄西

2007-02-17 20:48:36 | Weblog

 重源の影響を受けた吉備津神社の建築様式について、12月27日に書いたのですが、過ちがありましたので訂正いたします。
 というのは、新装成った山陽新聞社のサンタホールで、後期「岡山歴史塾」の第一回が今日開かれました。
 第一回のテーマが
 「栄西 鎌倉新時代に中国禅をもたらした祖師」
 で、講師は岡山大学の久野修義先生でした。
 その講義を聴き、私の記述に誤りがあったことが分りましたので、ここに訂正します。

 私は、栄西が老齢になったため、弟子の重源にその役目を換わってもらったのだとばかり思い込んでいました。今日の講演で、実は、それは全く逆で、なんと年齢が21歳も、重源のほうが年長でした。また、東大寺の大勧進職の第一代目が重源で、二代目が栄西だという事でした。

 この2人は、南宋の天台山万年寺で逢い、1168年に一緒に帰国しています。

  なお、今日の講座から、栄西自身が吉備津神社の禰宜の子息であったということと、母も田氏の出であり、備前備中の権力者であったため、二回も宋の国に行くだけの経済的に豊かな財力が、その背後にあったということが栄西の栄達を物語るのだとうことでした。