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ビオラのつれづれ記

大好きなお花のこと、
日常のちょっとしたことなどを書き留めています。

5人旅(奈良その3)

2024-12-07 19:26:00 | おでかけ

最終日は西ノ京の薬師寺、唐招提寺を廻りました

*薬師寺

 ここでまた一句、大昔にならった歌がパッと思い出せるなんて私達すごいねと自画自賛の一句は

『ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲』 佐々木信綱作

 

薬師寺は長い歴史の中で何度も火災にみまわれ唯一創建当時から残っているのが東塔(国宝)です

昭和43年から当時の高田好胤管主による般若心経の写経による募金活動がはじまり金堂の再建が成ったのち

その後50年かけておおよその復興が成り現在はかっての大伽藍が蘇ったのだそうです

薬師寺はずっとどこかしら工事中だった記憶がありましたがここで納得でした

高田好胤氏はテレビなどでもよく見かけそのたくみな話術を覚えています。

国宝の東塔

 

西塔

 

 色の違いに1300年の歳月を感じる2つの塔でした

金堂

 

 中にはご本尊薬師三尊像が納められてます

 建物は消失してしまったけれど光背が焼けただけで本尊は無事だったんだそう

 ここで中学生たちに法話をしているお坊様のお話を聞きかじったところによると

 如来と菩薩のちがいは簡単に言えば ”如来は悟りを開いているので外観など気にしないので装飾品は付けず衣類は最小限

 菩薩はまだ修行中の仏なので衣服や飾り物を付けることで存在感を出そうとしている”

 との事でなるほどでした。 

 いろいろと気になる私たちは悟りには程遠いようだ

大講堂

 

 金堂、西塔に続いて6年の歳月をかけ平成14年に再建された大講堂、大きいです

 ここは僧の学びの場で祀られている本尊弥勒如来は弥勒菩薩が5億7千6百万年かけて悟りを開いた姿なのだとか

 気の遠くなるような長い年月をかけなければ悟りは開けない?

 またここには仏足石というのがあって何?でした

  その昔仏像が作られるようになるまではお釈迦様を人間が表現することは不可能と考えられ仏像の代わりに

  お釈迦様にまつわるものをもって表現したのが仏足石だそう、そしてここにある仏足石は天平時代に作られた最古のものだとか。

玄奘三蔵院伽藍

 六角形のお堂の中には玄奘三蔵の頭部の遺骨が納められています

 (1942年、中国南京で発見されたものを日本仏教会に分骨されたものだそうです)

  この中に平山郁夫画伯の「大唐西域壁画」も収められていますが見られないのは残念

 今現在日本には多くの仏教宗派がありますが中国から伝わった当時のものは玄奘三蔵による法相宗だという事

 その本山が薬師寺と興福寺であることを今回初めて知りました。

*唐招提寺

 

 聖武天皇に招かれ渡航を試みるも何回も失敗、6回目にしてようやく日本にたどり着いた時は視力を失っていたという鑑真和上が

 開いたといわれると唐招提寺、 訪れる人も少なく静かな境内をめぐりました

御影堂

 教科書などで見た鑑真和上像の本物は今はここに収められています

 またここには東山魁夷画伯による襖絵も納められていますがこちらも普段は見られません

  

 開山堂で鑑真和上の姿を写した「お身代わり像」を拝みました

 

 お堂の手前には芭蕉の「若葉しておん目の雫拭はばや」の句碑

 最後に記念撮影して奈良の旅はおしまい、今回も大いに笑って楽しい旅でした

 

 


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6 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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西の京 (花水木)
2024-12-08 21:16:54
最近は旅行をしてもすぐに内容を忘れてしまうボケの始まりのような私ですが
流石に今年の春の奈良旅行はまだ記憶が鮮明です。
西の京、唐招提寺、薬師寺は奈良市内の喧騒とは打って変わって、とても静かでほっとし落ち着いて見学することができますよね。
特に唐招提寺は大好きです。
私が中学3年生で修学旅行で薬師寺を訪れた時、高田好胤氏は副住職で
薬師如来、月光菩薩、日光菩薩の前でユーモア交えて説明してくださいました。
当時の写真を見ると、東塔だけしかありません。
懐かしく楽しく拝見させていただきました。
また行きたい奈良です。
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Unknown (ラッシーママ)
2024-12-08 21:34:42
中学校の修学旅行が奈良・京都で、その頃は薬師寺の管主?とは違ったと思いますが、高田好胤管主に面白く話しを聴いたのを覚えています。
この薬師寺は奈良に住んでる姉が、あちこち連れて行ってくれた時に案内してくれました。
沢山、案内してくれ何処も素晴らしい建物で、何処が何処だかごっちゃになってます。
中学生たちに法話をしているお坊様のお話を聞きかじったところ、如来と菩薩の違いが分かり詳しくなりましたね。
5人揃って奈良の旅、満喫できましたね。
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★花水木さま (ビオラ)
2024-12-09 18:19:59
私は修学旅行で薬師寺には行きませんでしたが
友人はやはり高田好胤氏のユーモアあるお話を聞いたという事でした。
薬師寺では今でも学生達にお話をしてくれていいて
それを聞きかじったのが如来と菩薩の違いの話でした
東塔だけが兵火を免れ残ったんですね
渋みのある色合いがその歴史を物語っていました。
奈良も中心部は混んでいましたが法隆寺や西の京では外国人の姿を見ませんでした。
そのうち奈良も京都化するのでしょうか(;^_^A
先にシルクロードで出会った玄奘三蔵法師や莫高窟の壁画など
飛鳥・奈良へ伝わった仏教とのかかわりが特に印象的でした。
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★ラッシーママさま (ビオラ)
2024-12-09 19:30:23
ママさんも高田好胤さんのお話を聞かれたのですね
私はテレビなどでしか見たことがありませんが
とても話し上手な方だとの印象がありました
私などもお寺はわかってもご本尊の仏像などどこがどこだったのかは忘れています(;^_^A
奈良は京都に比べ交通の便があまりよくないイメージでしたが
今回電車を利用したら案外スムーズに移動出来て
考えを改めました
5人の旅これからも続けられたらうれしいです
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Unknown (tona)
2024-12-12 13:24:38
私も高校の修学旅行のとき高田好胤氏に直接説明していただきそのユーモアぶりが印象的でした。その後次々とお寺を回収して最後に東塔まで完成されて薬師寺は立派になりました。
唐招提寺と言えば鑑真和尚ですね。伝記も読み、こんな凄い人だったのと感動しました。しかし日本に入ってからはあまり最初優遇されなかったのがお気の毒でした。
お寺は立派に整備され、静寂に包まれ、心がゆったりしますね。
仲良し5人組の旅はまだまだ続きますね。次回も楽しみです。
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Unknown (ビオラ)
2024-12-12 16:25:45
高田好胤氏はテレビにもよく出ていましたね
今考えると薬師寺再建のため奔走していたころだったのかと・・・
鑑真和尚、苦難を乗り越えてやっとの思いで辿りついた日本では当初優遇されなかったのですか
それでも彼の情熱が受け入れられ仏教が日本に根付き空海や最澄へと続くことになったのですね
本当に素晴らしい方だったんだと改めて思います
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