水の門

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一首鑑賞(62):三上春海「走馬灯であるアドベントカレンダー」

2018年12月05日 10時01分31秒 | 一首鑑賞
人類の楽しい走馬灯であるアドベントカレンダーめくるかな

 アドベントカレンダーとは、簡単に言えばクリスマス・カウントダウン・カレンダーのことである。12月1日から24日(場合によっては25日)まで毎日、その日付の小窓をめくる色鮮やかな紙のカレンダーだったり、小箱に入っているお菓子を一日一個開封して楽しんでいくタイプだったり、色々な形態がある。最近は小売店でも割り合い手に入りやすいようだし、手作りのアドベントカレンダーも根強い人気がある。
 三上はそのアドベントカレンダーを走馬灯になぞらえた。廻り燈籠のさまが年の瀬を一気に駆け抜けるアドベントカレンダーというのは、まさに目から鱗のような譬えだ。一方で、走馬灯にはどこか終末感がある。しかも三上は「人類の」と大きく出た。華やかなうたげが頂点に達していくまでの高揚感、そしてそれが終わりに近づいていく裏寂しさ——。歌の表現としては、走馬灯はアドベントカレンダーの形容だが、掲出歌は「走馬灯」と「アドベントカレンダー」が相互に比喩のようになって、めくるめく感覚を生み出しているところに大きな魅力があるだろう。
 こうして言葉を尽くしてみても「アドベントカレンダー」をご存知ない方には、何やら得体の知れない感じかもしれない。そこで手近な例で恐縮だが、私が作ったアドベントカレンダーの話を書いてみたい。
 私は以前拙いながら編み物をしており、いつか教会のバザー用にクリスマスらしい小物を24個ほど編んで、それを吊るすアドベントカレンダーを作ろうと考えていた。けれど私が乳がんで療養中に、同じ乳がん患者さんが編み物を続けていたらリンパ浮腫が酷くなったという話をネットで見かけた。結局その方は身体障害者手帳を取る羽目になったという。私は以来、編み針を再び持つことはなくなり、アドベントカレンダーの夢も霧散していった。
 しかしそんな私に神様は大きなプレゼントを下さった。今年の4月初旬の明け方、朧げな意識の中に「俳句のアドベントカレンダーを作ろう」というイメージが降ってきたのだ。最初は、ネットで発見して大事にブックマークしていた俳句のサイトからクリスマス俳句をピックアップした。5月末にこのアイディアをある方に話すと「著作権はどうなるの?」と率直な疑問が返ってきた。それで私はストックの俳句作者が存命かどうか、また逝去されていた場合の死去時期を調べ始めた。すると殆どの俳句が著作権保護期間内のものと判明。だがどうしても諦めきれない……私は県立中央病院へ乳がんの薬を貰いに行くついでに県立図書館に寄り、古めの俳句歳時記を二冊借りてきて、俳句を一から選び直していった。そのように労して拾い出したために、当初の案では「クリスマス」の語のオンパレードに近かった選句も、最終的には却って冬の多様な情景の句が揃い、12月初旬から後半にかけての微妙な季節の移ろいが感じられるような構成に並べることができた。
 せっかくなので、選んだ句を一部ご紹介する。

  初雪や先づ馬屋から消え初むる 森川許六
  臥生活(ねぐらし)のラヂオを聴けばクリスマス 日野草城
  冬山やどこ迄登る郵便夫 渡辺水巴
  層見せて聖夜の菓子を切り頒つ 橋本多佳子

 また、故 高岡伸作牧師の俳句もご夫人(N教会員)のご許可を得て、三句使わせていただいた。

  ゆび痕残る絵本の扉十二月 高岡伸作
  繭となる幼い眠り冬銀河
  毛糸編む片手はときに雲紡ぎ

 アドベントカレンダーは無事買い手がついた。でも、誰よりも私がカレンダー作りで楽しませてもらったのは間違いない。アドベントカレンダーの時季は始まったばかり。それもあっと言う間に過ぎてしまうんだなと思うと、何だか走馬灯のように切ない。

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