水の門

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歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
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一首鑑賞(31):米川千嘉子「黙すため語らむとせり」

2016年06月22日 10時26分58秒 | 一首鑑賞
黙すため語らむとせり渇くためうたはむとせりどの記憶にも
米川千嘉子『吹雪の水族館』


 米川は茨城在住の歌人である。歌集『吹雪の水族館』のあとがきには次のように書かれている。

 前歌集『あやはべる』には東日本大震災、福島第一原発事故から一年までの作品を収めた。今思い返せば、それでもまだ当時は、その後についてもう少し明るい可能性を考えていたような気がするが、残念ながらそうはならなかった。さらに、平和のゆくすえについて若者の現状と未来について、自然について、さまざまな不安と混沌が増し、そういうものが、激しく日常にしみこんでくる二年半余だったと思う。

 その言葉の通り、『あやはべる』の緊迫感に満ちた震災詠は、最新歌集『吹雪の水族館』には日常と絡みつく苦渋としてより深度を増した形で時々立ち現れる。
 掲出歌は、直接に震災のことを詠った一連に含まれているわけではないが、震災の影が通奏低音として流れているのを感じ取ることができる。聖書に親しんでいる方々には、「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある」で始まるコヘレトの言葉3章の御言葉の、7節「…黙する時、語る時」のくだりを思い浮かべた人もいるだろう。

 2011年3月11日以後、巷には震災詠が溢れ返った。被災された方々のみならず、テレビから映し出される震災の惨状に釘付けになって激しい無力感に苛まれた人達によっても、歌は生まれていった。それらは、目前の事態に絶句し打ち震えるがために、そしてその事実を真摯に向き合うために、「語ら」ずにはいられなかったものだったのではないか。

 『あやはべる』からも一首引こう。 

二〇〇〇〇にも近きいのちを津波のみ三〇〇〇〇の自死者をのむものはひそか

 東日本大震災から五年が過ぎた。九州地方の大地震の傷跡もまだ生々しい。その前にあっては、どんな言葉も空々しく響くだけかもしれない。だがしかし。この苦境を黙しつつ受け止めていくために、必死に生き継いでいくために、「語る」あるいは「うたふ」ことが一縷の望みをつなぐのであれば…。
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