テレビをつけたら
高校生バンカラ応援団長の日々を追った番組が、
流れていて、そのまま最後まで見てしまった。
応援について質問された彼は次のようなことを語った。
「自分は何もしないでおいて、頑張ってきた人に「頑張れ!」って言えない。
人を応援してもいい自分になりたい。」
だから、選手と同じ位 それ以上に 過酷な練習に没する。
どしゃぶりの雨の中でも、炎天下のグラウンドでも
たとえ、相手校での試合会場に自分達しかいなくても、
声を振り絞って 最後まで応援し続ける。
頑張れ!
という声掛けは 確かに 「まだ足りない、もっと努力しろ、必ず成功させろ」
のメッセージを含んでいるかもしれないが
彼らの勇姿は、委縮したり緊張した選手に
「君は独りじゃない、失点を恐れるな、のびのびやれ~ いいぞ!」
のエールを全身で伝えようとしているようにみえた。
応援団はいつも 選手の達成・成就を 懸命に祈りつづけるが
彼らを応援してくれる人は少ない気がする。
応援団だから、応援するのは当り前だろうか。
好きでやってるんだから、やらせておけ、なのだろうか・・
社会人の応援団は 奉仕団体だと 私は思う。
<他人の人生や、住み易い地域>を応援している団員が日本中にたくさんいる。
私もいくつかのボランティア団体に属し その末席で
誰かが喜ぶなら・・誰かが助かるなら・・とささやかに願う。
ゆっくり休める時間を提供し、無料で労働を提供し、現金や物品まで差し出す。
もしも他人から強要されたら、拒否するものばかりだ。
嬉しい・楽しい日ばかりではないし、諦めや我慢も重ねてきた。
どうして、続けるのか考えてみた。
私は、顔も知らないどこかの誰かというよりも、
存続の危機にひんしても、
どなたかの為に黙々と活動を継続しようとする人達を応援したいのだ。