笑顔浴

優しい時間

行う勇気2

2010年02月16日 | Weblog
同僚が今までに一番感心したというお話を聞きました。

40年くらい前のこと
近所が火事になり、あわてて逃げ出した地域の人々は
誰からともなく集まって消火活動をはじめた。
バケツリレーして水をかけ、延焼を食い止めようとした。
消防団に協力して鎮火した頃には、へとへとで
座り込んでいたところに「あつあつの握り飯」を配って歩くお婆さんが来た。
元気がわいてきたそうです。

 この人は、消火活動が始まったらすぐに家の米を炊き続け
おにぎりをたくさん作り、焼け出された人のために
身の回りの衣類や寝具を用意したらしい。

「今私にできる事」も「提供できる物」も人それぞれに違うはず、
必要なものを考えて行動できる人やただいま何をなすべきかを即座にわかる人に
むしょうに憧れている私です。

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松山空襲の夜

2010年02月16日 | Weblog
素晴らしいアイデアを頭の中で描けることと
身体を使ってそれを行動できることは、違う才能です。

松山空襲の夜、当時20代の伯母の話によれば
市内中が燃え上がり、自宅も焼けて命からがら
田んぼの中に飛び込んで助かったそうです。
少年だった叔父は、玄関の横にしまっておいた桃が
翌朝、炭になっているのを見つけて 長い間泣いたそうです。
「1日早く食べていれば」と今だに悔しがっているので
よほど、楽しみにしていたのでしょう。
伯母は「家が焼ければ、もう逃げないで済む」と安堵したそうです。
よほど、守ることに疲れていたのでしょう。

これに応えて、友人も彼女の伯母さんの話を聞かせてくれました。

松山空襲の夜、
桃が美味しい季節だったっと聞きました。
広島からも「松山が燃えている」のが見えたそうで
嫁の里が大丈夫か見てくると言い、荷車に桃を積み込み
小船に乗って瀬戸内海を渡り、里の家が焼け残っているのを確認してくれたそうです。
空襲された翌日に被災地に入れば、悪路を辿り、危険も一杯でしょうに
怪我人を荷車に乗せて連れ帰るつもりだったとか。
あれから、伯母は生涯 姑に頭があがらなかったそうです。

本当に凄い勇気。
お姑さんも最初は行かずにすむ言い訳を考えたかもしれない。
でも、結果として行動したんだ。

生きてる間に 1度か2度くらい、
ここぞ!という時に 言い訳しないで
人生を掛けて行動できる私でいたいと思いました。






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