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ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

私はスマホを買って失敗しました

2012年01月31日 10時25分58秒 | 雑記
目下、私が最もストレスに感じているのは、スマホの存在である。

実は数カ月前に、私は古くなった携帯をスマホに買い替えた。サムソンのギャラクシーⅡという機種である。これまでお世話になっている編集者の方々から、角幡さん、スマホ、いいですよーと薦められてきたので、これまで率直な感想を書くことを控えてきたが、もうダメだ、我慢ならない。

スマホって、なんで、こんなに使いにくいんだ。ふざけんな。

そもそも、でかい。でかくて、ジーパンのポケット入れると動きにくいし、だからといって、スマホごときのために鞄を持ち歩くのもあほらしいから、その結果、一人で外出する時は、携帯しなくなった。今、スマホは私にとって、限りなく固定電話に近づきつつある。もっとちっちゃくしろ。

また、両手を使わないとメールが打てないというのがいけない。みんな、これ片手でやってるの? 片手で扱うとしたら、右手の親指の長さが10センチは必要で、関節ももうひとつぐらいないと無理。今までメールの返信が早かったことが自慢だったのに、返信を限りなく先延ばしするようになった上、最近では返信しないことも増えた。円滑な人間関係に支障をきたしそうである。片手で扱えるようにしろ。

それに何、このタッチパネルって? 反応が敏感すぎるんだよ。「た」と打ち込もうとしたら、指がちょっとずれて「ち」になっていて、でもそのまま気づかずに10文字ぐらい打って、ようやく気づき、頭に来るので、メールを打つのをやめるということが何度もある。誰だ、こんな使いにくいシステム考えたの? ジョブズか? ふざけんな。指先が太い人は使いにくいですとか、そういう注意書きをつけておけておけ。

それにこれまでの携帯なら、着信があったらライトが点滅して、気がつくのだが、この携帯は着信があっても、画面を開かないと気がつかない。知り合いによると、スマホは携帯というよりも小型パソコンで、携帯の機能は付属みたいなものだからしょうがない、とのことだが、じゃあスマホという名称をやめて、スマパ(スマートパソコン)にすべきだ。電話だと思って、買っちゃったじゃないか。だまされた!

そして、通信障害。自分のうちでも電話がつながらないことがあるぞ、ドコモ! 

唯一のいい点は、いままでの古い携帯よりは電池のもちがいいこと。なにせ、電話とメールしか使わないうえ、メールをうつのもこれまでより面倒くさくなったので回数が減った。アプリも全然ダウンロードしていないし、外出時にはもっていかないから、ブラウザもほとんど開かない。スマホって普通は電池のもちが悪いことが欠点だったらしいが、私のようにほとんど使わないと、充電しなくても、3日はもつ。皮肉だ……。

こんなもん、みんな本当にいいと思って使っているのかね。みんなが良い、良いって言うから、そう思ってしまう、一種のプラセボ効果じゃないの。同じように思っている、声にならない声はたくさんあるんだろうな。

携帯買い替えたい! でもすごい高かったから、買い替えられない。ああ。このスマホ、投げつけて壊せたら、本当にすっきりするんだが。

とりあえず、思っていたことを書いて、少しすっきりした。いやー、よかった。関係各位には不愉快な思いをさせて、失礼しました。




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しもやけ

2012年01月26日 17時57分49秒 | 雑記
本の雑誌で、三万円分の図書券で本を買いまくるという夢のような企画があり、本日、池袋ジュンク堂本店へ行ってきた。もちろん後から購入の経緯を原稿にしなくてはならないのだが、本を読んだ感想ではなく、本を選んだ理由をレポートすればいいので、買った本を読まなくてもいいところが、この企画の素晴らしいところである。

一時間半ほどかけて、じっくりと16冊の本を選んだが、何を選んだかについては原稿に書かなくてはいけないので、ここでは書けない。困ったのは、本を選んでいる最中に、猛烈に足のしもやけがかゆくなってきたことだ。

実は東長崎の今のアパートに引っ越してきてからというもの、冬が来るたびに足のしもやけに悩まされている。当たり前だが、しもやけなんて小学生の時以来できていなかった。冬山や北極に行って凍傷にかかることはあっても、しもやけはできない。去年の冬は足の指先だけだったが、今年は恐ろしいことに、かかとまでしもやけになってしまった。かかとなんて、しもやけの全盛期だった小学生の時にもできていないのに。

しもやけになる理由は明白で、今の部屋がぼろすぎて、寒いからだ。部屋にはエアコンがあるが、暖められた空気はどこかの隙間からどんどん抜けていくらしく、設定を30度(最大)、風力4(同)にしても、全然暖かくならない。衣食足りて礼節を知る。この寒さでは節電なんてしようという気すらおきない。冷たい空気は下に沈むので、ちょうど足のあたりが一番冷える。仕事中は靴下を二重にして、ふかふかのスリッパまで履いているのだが、しもやけは一向になくなる気配はない。もしかして、かかとにしもやけができるのは、スリッパから外に出ているからだろうか。

とにかく寒い。そしてかゆい。書いているうちに、右足の踵がかゆくなってきたので、書くのを止めて、掻くことにする。

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朝日の雪男の記事

2011年11月01日 09時49分36秒 | 雑記
朝日の朝刊スポーツ面に、例のロシアでの雪男騒動の記事が掲載された。ロシア担当記者と、雪男担当記者で私の本にも主要人物として登場した近藤さんが共同で執筆したもの。ロシアの騒動と、ヒマラヤのイエティと呼ばれる動物についてまとめて紹介している。

ロシアの騒動のついては、私も三つぐらいのラジオ番組から電話でコメントを求められた。最初のラヂオプレスの配信記事を読んだ時は、面白いと思ったが、会議の結果、95パーセントが生息するという見解が発表されると、正直、ちょっとひいた。

95パーセントという数字に根拠はないだろうし、会議にどんな専門家が出席しているのかもよく分からない。マスコミは数字と初物が大好きだから、大きな数字が発表されただけで報道される。マスコミにとって重要なのはニュースが事実かどうかということより、ニュースがどこから発表されるかの情報源である場合が多い。95パーセントという数字が突拍子もないものでも、ケメロボ州という行政当局が発表したら、それはニュースとして権威づけされて、安心して報道できる。という報道の論理が透け透けで、ケメロボ州当局の観光誘致宣伝策に、世界中のマスコミがいいように利用されたようにしか見えない。

などという話を、ラジオ出演のたびに話したら、だいたいパーソナリティーの方から、「でもね、かくはたさん。雪男、いると思いませんか?」とたしなめられた。

雪男、いるんでしょうか。気になる人は、私の本を読みましょう。

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記者が消えた街

2011年10月29日 10時19分31秒 | 雑記
今日の朝日新聞朝刊オピニオン面に注目のインタビューが載っていた。「記者が消えた街」。廃刊や人員削減のあおりをうけて、アメリカの地方などでは記者がいなくなった「取材空白域」が存在し、それを取材したスティーブ・ワルドマン記者へのインタビューだ。

ワルドマン記者によると、広告頼みのビジネスモデルが崩壊し、アメリカの地方では新聞の廃刊が相次ぎ、大手紙でも様々な分野で記者の数が削減されている。取材空白域では記者による監視の目が働かず、地方行政官が私腹を肥やしたり、地方選挙では投票率が低下するなどの事態が起きているという。権力を監視するジャーナリズムは民主主義の根幹だとはよく言われるが、実際にアメリカではその根幹が崩壊し、民主主義があえいでいるらしい。

日本でも特に若年層を中心に新聞はほとんど読まれなくなった。主な理由はネットがあるから、だろう。しかし多くの人が気づいているのか、気づいていないのか知らないが、ネットというのは基本的に情報インフラ、通信媒体にすぎない。新聞でいえば紙、テレビでいえばブラウン管(古すぎ?)みたいなものだ。ワルドマンさんも言っている通り、ネットにあふれているニュースは、ほとんどが新聞か雑誌、テレビの記者が取材し、報道したもので、ほとんどのネットの発信者は取材はしない。中でも新聞の取材力は雑誌やテレビに比べて圧倒的だ。だから新聞記者がいなくなったら、ネットに流れるニュースも量が減るか、質が低下し、取材空白域みたいなことになる。

話しは脇道にそれるが、私もよく、グーグルアースがあるのに探検して意味があるんですか、という質問をよくされる。しかしグーグルアースというのはモニター上に映し出される便利な地図上にすぎない。3D画面で実際の場所の雰囲気が分かる、とかいう人もいるが、あんなものを見ても現地に行った気分にはなれない(人間は脳で理解する動物ではなく、身体で知覚する動物です)。グーグルアースはいろんな機能があって、使い勝手がいいので、私もよく使うが、情報の本質としては紙の地図と別に変らない。グーグルアースに載っている衛星写真はグーグルの社員が撮影したものではなく、ランドサットが撮影したものと無料で公開しているだけ。つまりネットというのはそういうものだ。

日本で取材空白域を生まないためには、取材や雑誌を購読する。つまらない時は寄付だと思ってあきらめる、ということしかないのだろう。できればついでに本も買っていただければ、大変たすかる。読んでいる人には大変申し訳ないけど、自分でカネをかけて取材したものについてはブログではいっさい書かないことにしている。北極しかり、ツアンポーしかり。探検中に動画をアップするとか、記事を書くとか、そんなことはもってのほかである。新聞社が自社サイトで記事を公開して、自分で自分の首をしめているのと、同じようなものだ。

ということで、北極の話は「すばる」二月号から始まりますので、よろしく。長い宣伝でした。


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最近の衝撃から

2011年10月21日 10時33分19秒 | 雑記
最近の衝撃からひとつ。

先日、宮崎で講演会があった。日本最大の照葉樹林が残っている宮崎県綾町でシンポジウムがあり、運営に携わっている探検部のOBから頼まれて、照葉樹林とはほとんど関係のないチベットのツアンポー峡谷の探検の話をしてきたのだ。70~80人ほど聴きに来てくれて、よかったよかった一件落着で、講演は滞りなく済んだ。

衝撃はその日に泊まった宿でのこと。何気なく体重計にのると、デジタルメーターは75キロを示した。75キロ? 北極から帰ってきて、体重計に乗ったのは初めてだが、何かの間違いではないのか? 私の普段の体重は70キロ。北極に行く前、脂肪を蓄えようとして、あんなに頑張って、寝る前にラーメンとか、ポテチとか、チョコとか食べて、ようやく達成した体重が75キロなのに、なぜ今、同じ数値をこの体重計は指し示しているのだろう。最近は酔っぱらっていない時はランニングもしているし、クライミングなども再開したので、帰国後に全身を覆っていたぜい肉はおおむね落ちた。なのに、なぜ?

もしかして19世紀のイギリスの極地探検家もびっくりの、103日間の過酷な氷上ソリ引き&ツンドラボッカ旅行の結果、下半身ならびに肩や背中のあたりがしっかりと鍛錬されてしまい、探検後に暴飲暴食した結果、鍛錬された部位の筋肉が盛り上がり、5キロ増えたのだろうか。そういえば、帰国後に、一回り大きくなったとか、腕が太くなったとか、やたら言われる。自分では分からないので、別に変らないっすよ、と答えていたのだが、やはりビルドアップされてしまっていたようだ。クライミングに行っても、体が重くてまったく登れないし、それにランニングもなんだか、やたら疲れる。ズボンもパツンパツンだし、ほとんどのTシャツがピチTになってしまった。

これは困った。山に登るのが大変だ。ぜい肉と違って、筋肉はなかなか落ちないので、5キロは容易ではない。これからアイスクライミングの季節なのに、まいりましたね。

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3時10分、決断のとき

2011年10月18日 17時17分53秒 | 雑記
3時10分、決断のとき [DVD]
クリエーター情報なし
ジェネオン・ユニバーサル



最近、ラッセル・クロウの映画にはまっている。というか、ラッセル・クロウにはまっている。現在のところ、彼は私の中で、こういうかっこいい大人になりたいと思う男ナンバーワンである。若い頃の映画もいいが、最近の中年になったラッセルもまた渋い。たるんだ腹、アルコールの摂りすぎでだぶついた顔、淀んだ目、聞き取れないほど低い声、いい感じで醜くなってきていて、それがかっこいい。今までブルドッグを飼っている人の気持ちが全然分からなかったが、こういう感覚なのかもしれない。

昨日見た、『3時10分、決断の時』は最高だった。南北戦争後のアメリカを舞台にした西部劇で、ラッセルは伝説的な強盗団のボス、ベン・ウェイドを演じている。ウェイドは早撃ちの名人で、今まで何人もの罪のない人間を殺してきた正真正銘の悪党だ。だが、ある時、町の保安官事務所に逮捕されてしまう。その場に居合わせたのが、戦争で片足を失ったダンという、息子に愛想を尽かされた牧場主。ダンは自分が男であることを息子に見せるため、ウェイドを3時10分発の汽車に護送する仕事に名乗り出る。

駅のある町にたどり着いた後の、二人のからみが最高。何が最高かって、ダンの男気に心を動かされた時のウェイド演じるラッセルの、まあ、かっこいいこと。

今日は飯食いながら『ロビンフッド』を見ます。

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雪男会議INロシア

2011年10月07日 21時50分11秒 | 雑記
ロシアでイエティについての国際会議が開かれているらしい。朝日新聞3日夕刊の記事を紹介しよう。

イエティ(雪男)と呼ばれる謎の生き物の捜索が、ロシアや米国、中国など7カ国の研究者が参加してロシアの西シベリア・ケメロボ州で6日から3日間行われる。これほど大規模な取り組みは、1958年にソ連科学アカデミーが捜索して以来初めてという。
大型類人猿を思わせる未確認生物の情報は、ヒマラヤ山脈をはじめ、世界各地から報告されている。ケメロボ州南部の山岳タイガ地帯でも、ゴールナヤ・ショリヤの洞窟にイエティが住むと信じられてきた。2009年、身長2メートルほどの毛に覆われた人間に似た生き物を目撃したとの情報が猟師らから相次ぎ、地元行政府が捜索を開始。今夏から監視カメラも設置した。
今回、国際的捜索には米中ロのほか、カナダ、モンゴル、スウェーデン、エストニアの研究者らが参加する。州政府によると、雪男に関する国際会議も同時に開催、その生態に迫る。
ケメロボ州では、イエティの記念碑や土産品が登場し、イエティを連れてきた人には知事が懸賞金を約束するなど、町おこしに活用している側面も強い。
08年には日本のイエティ捜索隊がヒマラヤで正体不明の足跡を発見している。


記事の最後の08年の捜索隊というのは、私が参加したイエティ・プロジェクト・ジャパンの隊のことだろう。ラヂオプレスの配信記事はもっと面白くて、それによると、『ケメロボ州の「イエティ」(雪男)の生息数は回復しつつあり、同州南部には30人程度のイエティが生息している可能性がある』という。

私のところにも、昨日から今日にかけてラジオやテレビの出演依頼があいついだ。昨日は夜はTBSラジオの番組から依頼があったのだが、私用があったので断った。今日はニッポン放送とテレビ朝日の報道ステーションからコメントを求められた。ニッポン放送は上柳昌彦さんの番組に10分ほど電話でインタビューに応じた。報道ステーションは、私ではなくて、八木原さんのほうがいいということになったようで、これから放映される。

それにしても、ロシアにはそんなに雪男がいるのだろうか。ラヂオプレスのニュースを見た時、ケメロボ州に飛んで行って会議に参加したかったのだが、もろもろの事情があり断念した。うーん、気になる。あと、この騒ぎが少しでも本の売り上げにつながることを祈る。

追加:今、報道ステーションで雪男会議のニュースが流れた。扱いはけっこう大きく、その分、古舘伊知郎はひどく狼狽し、「これはいったい何を言いたいニュースだったのでしょうか」とゲストの姜尚中にコメントをふっていた。プロレス時代の機転のきいた実況を見られず、残念。

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最近の反省から

2011年09月28日 11時13分26秒 | 雑記
最近の反省から二つ。

その1。先日、一緒に北極に行った荻田くんの報告会があり、出席した。報告会は滞りなくおわり、その後、懇親会に移った。わたしは彼と一緒に冒険していたこともあり、乾杯のあいさつを任された。ひとまず、荻田くんは非常に能力が高く、北極点単独無補給徒歩到達も彼なら十分可能です、と持ち上げたところまではよかったが、その後、ついつい面白いエピソードを紹介しようと思ったのが失敗だった。出てきた話がおしっこの話で、彼はちょっとおしっこが近くて、寝袋の中でPボトルに何回もおしっこしていて、そんなのぼくには考えられません、などとまくしたててしまったのだ。もちそんその時、出席者の皆様方の右手にはビールがしっかり握られていた。ひどく複雑な味のビールになったに違いない。しかもあんまりうけなかった。反省。

その2。その北極圏の話を来年1月から集英社の文芸誌「すばる」で連載することになっている。1回あたり80枚程度という約束で、連載に向け現在執筆中だ。だが、いつものように、書き始めると、書きたい話がいっぱい出てきて、原稿がどんどん長くなる。話はまだ最初の村を出発してから10日目くらいなのに、すでに原稿用紙100枚をゆうに超えた。ちなみに旅は103日間かかった。しかも物語の佳境はキングウイリアム島というところに上陸してからで、今はまだ話のさわりの部分を書いているだけなのに。このままだと1500枚くらいの原稿になってしまいそうだ。どうしよう。反省。

他にもいっぱい反省はあるが、それはまた今度。

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大相撲9月場所千秋楽

2011年09月25日 19時37分04秒 | 雑記
両国国技館で大相撲の千秋楽を見てきた。

お目あてはもちろん関脇琴奨菊。昨日は日馬富士を圧倒し、来場所の大関昇進を確実にしたので、変なプレッシャーから解放されて把瑠都には勝てると思っていたが、立ち合いで右四つに組み止められ、強引にがぶったところをぶんなげられてしまった。館内から大きなため息。

結びは白鳳が負けたら、稀勢の里、琴奨菊との巴戦になるので、すごい日馬富士コールが起きた。だが、さすがそこは横綱。危なげなく日馬富士を仕留めた。

今場所は久しぶりに面白い場所だった。琴奨菊はここ数場所は安定した力を見せていたので、12勝は妥当だが、稀勢の里は完全に一皮むけた感じがする。左から突きというか、はず押しは、半端ではない。強力な突き落としで戦局を一気に逆転する力がある。今日も豪栄道を左からの突き一発で土俵に沈めた。今場所12勝をあげたことで、来場所の大関昇進ラインは11勝。十分可能だろう。

琴奨菊が優勝できなかったのは残念だが、盛り上がったので非常に満足して帰宅。夕食はもちろん、永谷園煮込みラーメンコクうま鶏塩ちゃんこ風。秋になり、販売が開始になりました。今年もよろしく。




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さっき書いた自分の文章について

2011年09月22日 02時54分52秒 | 雑記
さきほど「日本山岳会会報「山」と産経新聞に掲載された国立民族学博物館小長谷教授の文章について」という、長ったらしい記事を書いた。しかし、その後、小長谷さんという方について調べてみると、女性の方だった。失敗した。文章がてっきり男性っぽかったので、「アリノリ」という男かと思い込み、頭にきてながながと書いてしまった。しかし、うーん、女性だったとは!

女性だったら印象はぜんぜん違う。たとえばさっき批判した最後の「リスクといえば、わたしたちは今、山にのぼらずとも、十分に大きなリスクとともに生きていることを強いられている」という部分も、そうだよなあ、女性的なやさしい発想だよなあ、と納得できた。「純粋に愛でた」という部分も、そりゃそうだ! となったのだが……。

男と女というだけで、こんなに文章から受ける印象が違うとは。これは知らなかった。確かに読み直してみると、女性っぽい表現がみられる。下調べが足りなかった。というか、やはりわたしはバカだったのか……?

記事を削除しようと思ったが、でもまあ、せっかく書いたので、一応残しておく。

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日本山岳会会報「山」と産経新聞に掲載された国立民族学博物館小長谷教授の文章について

2011年09月22日 01時26分05秒 | 雑記
今日、日本山岳会から「山」という会報が送られてきた。私は同山岳会の会員ではないので、なぜかなと思ったが、私の『空白の五マイル』が梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞したことを記事にしたので送ってくれたらしい。

その記事に小長谷有紀さんという、国立民族学博物館教授の方が書いた文章が掲載されていた。読んでみると、この文章には、いくつか看過できない点がみられる。日本山岳会の会報くらいなら、黙って見過ごしてもいいが、もともと産経新聞(8月4日朝刊)に掲載された記事らしいので、一応指摘しておく。

文章は『空白の五マイル』が梅棹賞などを受賞したことと、本のおおまかな内容を伝えて、次のように続いている。

本人のブログには「書くことを前提に冒険行為をした場合、原稿に書くことを常に意識して行動するため、行為がどうしてもそこにひきずられてしまう。わたしの場合は書くことを前提に探検や冒険をするので、よって行為としては純粋ではない」とある。
彼にとって、探検と冒険は同義であり、どちらも純粋だが、書く目的があると不純になるというわけだ。さしずめ、結婚を前提としたおつきあいは純愛にはならないということか。
梅棹なら、行きたい、見たい、知りたいという衝動と同じくらい、書きたい、伝えたいという衝動があることを、きわめて純粋に愛でたのではないかと想像される。


指摘しておきたいのは2点。

ひとつめは、わたしは探検と冒険を同義に扱ってはいない。ブログの文章では、純粋な行為として探検と冒険を文章上並列に扱っているにすぎず、意味まで同じであるとは考えていない。

議論が込み入って恐縮だが、私なりの定義を示すと、本多勝一がかつて示したように、広義の冒険は①命のリスクがともない、②主体性のある行為であると理解できる。しかしこの定義は現代的ではない。例えば、エベレスト登山はリスクがあり、主体的な行為だが、極めてシステム化がすすみ、登頂するためにはシステム化したマニュアルを守るのが近道という、極めて非冒険的な行為となっている。よって現代の冒険の定義には③現場でのクリエイティブな試行錯誤がともなうこと、という三つ目の条件を設定する必要がある。本質的に先がよめないこと、といってもいい。

一方、探検とはそうした冒険の一種であり、冒険の三条件に加えて、社会的未知の追求が条件として加わった行為ととらえるべきだ。一般的には、探検にはリスクは不必要という議論が主流だと思うが、私にいわせれば探検にリスクは必要である。なぜならば、探検の条件にリスク要因を含めなければ、探検行為の枠組みがなし崩し的にどこまでも広がるからである。インド旅行は探検ではないし、奥多摩でモンシロチョウの未知をしらべることも基本的に探検ではない。ヒマラヤの氷河で雪氷の研究をすることも危険でなければ探検ではないし、南極の昭和基地で安全を確保しながら観測調査をすることも探検でない。もし危険のないヒマラヤの雪氷研究を探検と定義するなら、モンシロチョウの調査との境界線はどこに設定するのだろうか。リスク要因を探検の条件にしなければ、あらゆる野外調査は探検になってしまう。

そもそもナンセンだって、スコットだって、ヒラリーだって、河口慧海だって、昔の本当の探検はそのまま冒険の最前線だった。冒険の定義にあてはめて考えると、当然、②の主体性だってあてはまるし、そもそも未知の世界をいくのだから、③の現場での試行錯誤の条件も、ほぼ自動的に含まれる。

長くなったが、指摘しておきたい点の二つ目。行為は書く目的があると不純になる、という点。これは特に間違っていないが、補足しておく。

冒険や探検が個人的な行為である場合、それは無償であることを、条件ではないが特徴とする。いや、純粋でなくても冒険や探検になり得るが、本来は純粋であるべきだ、と私は考える。純粋でなければ、なぜそうした危険行為を行うかという問題がぼやけてしまうからだ(ちなみに、探検は社会的な未知を追求するものであるが、そこに文章や映像といった表現行為が付随しない限り、行為としては個人的なものにとどまる)。

だがそこに書くこと、あるいは映像をとること、といった表現行為が伴う場合、行為は大なり小なり表現にひきずられる可能性が高くなる。表現を前提とした行為の場合、ルート設定自体もそれを前提に決められる。たとえば山野井泰史のように純粋な登山家が行為を終えた後に書く本とちがい、私の場合は一度の行為で一冊の本にすることを目的にしている。そうすると設定自体が物語ることを前提に規定されるため、その中で繰り広げられる行為そのものは、随所で表現結果を求めることになり、その意味で百パーセントの純粋性は失われる。表現と行為の関係は極めて難しく、表現は純粋な行為に、どこまでいっても完全には追いつかないという問題から逃れることはできない。

なお、小長谷さんの文章には、「梅棹なら、行きたい、見たい、知りたいという衝動と同じくらい、書きたい、伝えたいという衝動があることを、きわめて純粋に愛でたのではないかと想像される」と続くが、これは日本語としておかしい。私が問題にしているのは探検や冒険という行為そのものの純粋性なのに対し、この文章では行為を愛するかどうかの純粋性を問うている。自分の行為を愛するかどうかという問題は、どこまでも個人的な領域に属する問題で、一般論に発展しないのでどうでもいい。何が純粋であるべきかの対象が私とずれているので、指摘しておく。

ついでにこの文章では末尾に「リスクといえば、わたしたちは今、山にのぼらずとも、十分に大きなリスクとともに生きることを強いられている」とある。しかし、生活上ののぞまないリスクと、登山や冒険などの主体的な行為で自ら引き受けるリスクは、本質がまったく異なる。生きていく限りリスクはともなうが、基本的に我々はそれを避けたいと思っている。しかし冒険者はリスクがあることを了解した上で行為をする。だから双方のリスクは、当事者の態度のレベルでまったく異なるので、同列に扱うことはできない。

小長谷さんの文章を読むと、知的でない人間がリスクに酔って、勢いで冒険し、賞をとった、との論旨に読めてしまう。読者にバカだと思われるのは癪なので、一応、自分が普段考えていることを簡単に記した。



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週刊読書人・青春と読書

2011年09月15日 23時47分34秒 | 雑記
松山で高校2か所で講演し、本日帰宅。アパートにつくと週刊読書人から9月16日号の紙面が届いていた。「ノンフィクション作家角幡唯介氏インタビュー 探検-“生”の輝く瞬間を」という見出しで、私のインタビューが二面ぶちぬきで掲載されている。インタビュー時間はたしか2時間ほどだったと記憶するが、紙面はその時のやり取りがほとんど載っている。探検の意義や、『雪男は向こうからやって来た』で書きたかったテーマについて答えている。

週刊読書人
http://www.dokushojin.co.jp/

青春と読書10月号も届いた。『雪男――』発刊にあわせたエッセー「現象としての雪男」を書いた。アマゾンや他のネットのレビューをみると、この本で私が書きたかったテーマが、どうもうまく読者に伝わっていないような気がして残念だ。小心な私は自分の作品がどのように評価されているか気になり、ついつい検索してしまう。

http://seidoku.shueisha.co.jp/seishun.html

話は変わるが、あの伝説的登山家ワルテル・ボナッティ氏が亡くなられたそうである。

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ふくしましUFOふれあい館

2011年08月31日 21時07分27秒 | 雑記
29日からわずか3日間だが、被災地を車で駆け抜けた。岩手県大槌町を出発、今日、南相馬市原町区まで南下し、福島第一原発半径20キロ圏内の立ち入り制限区域の入り口まで行ってきた。そこから飯舘村を経由して福島市でレンタカーを乗り捨て、新幹線で帰京したのだが、福島市に向かう途中、「UFOふれあい館」という看板を目撃。思わず、吸い寄せられるように車をUターンさせた。

道のわきに千貫森という標高462・5メートルの、ピラミッド型の山があり、UFO館はその山頂近くに立っていた。途中の道案内には、銀色のリトルグレイ風の宇宙人が、気持ち半笑い気味で半身をのぞかせている。ピンク色の小さな円盤型の施設で、見学料は400円。一階はUFO研究者から寄贈を受けた、おびただしい数のUFO関連書籍が並び、その先のミステリーゾーンに入ると、暗い中、青いイルミネーションが怪しげに瞬いていた。スイッチと書かれたボタンを押すと、プラスチック板の向こうでリトルグレイが黄色い光に照らされ浮かび上がった。さらに佐藤栄佐久前知事本人が書いたUFO目撃談などを紹介したゾーンや、千貫森におけるUFO現象についての短い3D映画もある。

職員の女性に聞くと、千貫森では昔からUFOの目撃例が多発しており、この施設は竹下内閣のふるさと創成事業で作ったのだという。2階には休憩室と、お風呂がある。

「でも、原発の事故があってから、お客さんはぜんぜん来ないの。本当は連休の時なんか、100人以上が来るのに」
今日のお客はわたしで4人目で、残りの3人は二階のお風呂に入りに来たらしい。原発事故のことなどについて雑談を交わした後、わたしは、ものを書く仕事をしてるんですと、簡単な自己紹介をした。
「探検や冒険をして、それを書いているんです」
「ドキュメンタリーですか」
「そうですね。この間はカナダの北極圏に行ってたんです」
「へえ、その他にはどんなところに行ってるんですか」

そう女性が聞くので、よせばいいのに、わたしは思わず「雪男を探しに行きましたよ」と答えてしまった。すると女性は、怪訝な顔をして、言った。「雪男って……、いるんですか?」

おいおいおい、UFOに言われたくはないよ。一応、26日に本が出ました、と宣伝めいたことを言っておいた。まったく関心がなさそうだったが……。うーむ、UFOと雪男はつながりはないらしい。



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ナショジオ 北西航路

2011年08月26日 12時36分59秒 | 雑記
ナショナルジオグラフィックのサイトに、わたしの短期連載が始まりました。
昨日、ブログの記事とメールでもお知らせしたしましたが、URLが間違ってました。ただしくはこちらです。

ナショナルジオグラフィック日本版
http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/web/

昨日お伝えしたのは、別のナショジオのサイトらしいです。自分でも全然掲載されないから、おかしいなと思ってました。

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週刊ブックレビュー

2011年08月26日 12時02分46秒 | 雑記
明日放映のNHK-BSプレミアム「週刊ブックレビュー」の特集で『雪男――』が取り上げられます。司会の藤沢周さんと滑川アナの質問に、わたしが答えるインタビューコーナーです。余計なことをしゃべった記憶がないでもないですが、うまく編集してくれてるでしょう。

ちょっと早いですが、午前6時半からです。その後も二度三度、再放送があるようです。

週刊ブックレビュー
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