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ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

アグルーカ文庫化とフランクリン隊の船発見について

2014年09月19日 14時30分23秒 | 雑記


『アグルーカ』が文庫化された。基本的に大きな加筆・修正はないが、イヌイットの名前や言葉の発音の表記を直した。単行本のときは正確な発音がわからず、ローマ字読みで表記したのが多かったのだが、文庫化に際し、カナダ北極圏のイヌイット文化に関しての著作がある清水弘文堂の磯貝日月さんに協力していただき、現地の研究者に見てもらって、なるべく正確な表記に直すことにした。あとはあとがきを書いたのと、書評家の東えりかさんの丁寧な解説が加わっている。

そういえば、『アグルーカ』文庫化とタイミングを合わせるかのように、カナダからフランクリン隊の船が発見されたとのニュースが届いた。ぼくらがこの旅をしていた頃から、カナダ政府はフランクリン隊の沈没船を捜索していたので、そのうち見つかるとは思っていたが、まさかこのタイミングで……と驚いた。

近年、北極圏では氷の減少に伴い、カナダ、ロシア、アメリカ、北欧諸国、さらには中国も加わり、将来の資源開発や利権をめぐる綱引きが激しくなっている。『アグルーカ』でも描いた北西航路はこれまで年間のほとんどの期間が氷に覆われたため、航路としては事実上使えなかったのだが、温暖化に伴う氷の減少で数十年後には本格的に開通すると言われている。数世紀前の探検家の夢であるヨーロッパからアジアへの近道がついに一本のルートとして地球上に姿を現すかもしれないのである。

その北西航路はグリーンランドを南から回り込み極北カナダの多島海を抜けてベーリング海峡へつながっていく。そのためカナダは航路の主権を主張し、一方、カナダに航路の利権を奪われたくないアメリカは反論している。今回のカナダ政府の沈没船捜索事業はこうした国際政治の流れのなかでの一種の政治的パフォーマンスとしての性格が強いのだと私は理解している。なにしろフランクリン隊は北西航路探検の象徴だったのだ。

ちなみに報道ではこの発見された船について、フランクリン隊のエレバス号かテラー号のどちらかわからないと報じられているが、これはおそらくテラー号に間違いないと思われる。フランクリン隊が遭難した後に多くのイギリスやアメリカの探検隊が捜索に向かったが、そのなかのある隊が今回カナダ当局が捜索していたあたりの海域で、現地のイヌイットがフランクリン隊の沈没船のものだとする遺物を発見しており、そこには〝or″、つまりTerror号の名前の一部だと思われる文字が残っていたと記録されているからだ。

当時、この海域はOotgoolikとイヌイットから呼ばれていた。イヌイットは漂流するテラー号と思われる船に何度も入り込み、橇や生活道具に使うために木材を運び出していた。彼らの証言によるとこの船の中には体の大きな白人の死体や、まだ手を付けていない未開封の缶詰などが残っていたらしく、もしかしたら今回の沈没船の中からそうした物証が見つかるかもしれない。またOotgoolikの近くのアデレード半島には、この漂流船を脱出したフランクリン隊の生き残りと一匹の犬の足跡が東に向かって続いていたらしく、この生き残りの行方はまったく知られていない。

『アグルーカ』ではこうしたテラー号にまつわる謎にまでは触れることができなかったが、フランクリン隊に関しては興味深い謎がまだたくさん未解決のまま残されており、今回の発見で何かヒントになるような面白い遺物が見つかるかもしれない。

ちなみにイヌイットの証言によると、この沈没船を沈ませたのは、ほかならぬイヌイットたちだった。もっと木材を手に入れるために船体の横に穴を開けたところ、夏になって氷が解けるとその穴から海水が進入し沈没したという話が残っている。その穴も残っているのではないかと、私はひそかに調査の行方を注視している。



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ヒル地獄

2014年08月17日 23時07分10秒 | 雑記
『ヒルズ黙示録』『メルトダウン』などの著書がある朝日新聞記者の大鹿靖明さん編著の『ジャーナリズムの現場から』が講談社現代新書より発売された。

大鹿さんが、現代日本のジャーリズム界からが骨がある人物として選定した十人のジャーナリストと対談し、斯界の現況、問題点、見通しなどを腹蔵なく語り合った本である。どういうわけか私もその中の一人、しかも先頭バッターに起用されており、今回も懲りずに末席を汚してしまった。その意味では正確にいうと本書は十人のジャーナリストではなく九人のジャーナリスト+一人の探検家とのインタビュー集ということになろうか。

ジャーナリズムの現場から (講談社現代新書)
大鹿靖明
講談社


この本を今回、南アルプスの釣り登りにいくときの電車のおともに持って行った。自分の話はほかの方々と比べると格段に薄っぺらくて、車内で読んでいて恥ずかしいこと、また大鹿さんに申し訳ないことこのうえなかったが、ほかの方々の内容は非常に勉強になり、また刺激にもなった。私のなかにもまだジャーナリストの魂のかけらが残っていたのか、これらの人々に負けないように鋭意、取材に邁進しなければと、読んでいて思わず手に力が入り、気がつくと降車駅を乗り過ごしてしまっていた。つまりそれぐらい充実の内容ということである。

ちなみに南アルプスのほうは散々だった。今回は逆河内という学生時代から登りたかった沢にいくつもりだったのだが、その手前の寸又川の段階ですでにかなり増水。学生のときに買った二万五千図によると逆河内の手前に寸又川を渡る橋があるらしいのだが、行ってみると橋はすでにワイヤーしか残っておらず、やむなくそれより手前の橋を渡って、それからは生コンを流し込んだみたいな黒灰色に濁った寸又川本流の側壁の高巻トラバースを延々と強いられた。ザイルをつかって細い灌木と泥をひっつかみ、懸垂下降で激した流れの淵に降り立ち、また登ってきわどいトラバースを繰り返しということをつづけているうちに、どこかでこういうことをやったような気がしてきた。

そうだ、ツアンポーのときとまったく同じことをやっている……。私はただ夏のせせらぎの中で水と戯れながら魚を釣りたかっただけなのに。

考えてみると、あのときと同じように橋はなくなっており、足はヒルまみれである。ずぼんの裾をめくるたびにヒルがおいしそうに吸血しており、うんざりさせられた。


こんなかんじ


ときには三匹

結局、一日では逆河内の入り口にすら到達できず、二日目の今日、午前中にたどりついたが、逆河内も猛烈に増水しており、潔く敗退して帰京した。帰りの新幹線の中ではヒルにかまれた痕からドロドロと半分凝固した血液が止まらず、顔も顔だけにエボラ出血熱患者と間違われないか、すこし心配だった。




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帰国しました

2014年08月14日 11時45分25秒 | 雑記


予定よりだいぶはやく、10日にフィリピンから帰国した。帰国が早まったのは、漁が予想以上に好調で船の魚槽がマグロでいっぱいになってしまったからである。

今回、お世話になったのは沖縄の三高物産のいろは丸という19トン船で、グアム基地をベースに操業している。通常はグアムを出発して一か月ほどでグアムに戻ってくるのだが、今回は船の定期検査があるため、フィリピンのダバオ港に入港した。大漁(といえるほどなのかどうかはわからないが)だったため予定よりも四日ほど早く操業を切り上げ、二十日少々で一航海が終わったことになる。

それにしても生で見るマグロ漁は迫力があった。いずれ作品化しなければいけないので、ここで詳細を書くわけにはいかないが、目がうつろで顔に表情のない魚族とはいえ、マグロもやはり生き物(しかもかなり大型の)。はえ縄で釣って漁船の上で処理されていく現場は、内臓が砕け、血が飛び散って、まさにという言葉がぴったりだった。

しかし、三週間も漁船に乗って波に揺られていると、正直言って海はしばらくこりごりになる。マグロの赤身の刺身も金輪際見たくもない、といった心境だ。トロは食べたいけど。出発前は海に対するあこがれがあり、将来はヨットを買って南太平洋の島々を五年ぐらいかけて巡るのもいいなあ、と夢想していたが、今は海はもういいから山に行きたい気持ちでいっぱいである。

そういえば昔、ヨットでニューギニアまで行った時も同じ気持ちになった。私は海が嫌いなのだろうか。

ということで、明日から5、6日、南アルプスのほうに釣り登りにでも出かけることにしやす。

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私の赤ん坊2

2014年07月14日 21時16分58秒 | 雑記
以前、ご紹介した私の赤ん坊。無事、生後半年がたったが、最近、その赤ん坊のことでいくつか悩みがある。

悩みその① 能力の向上が異常に速い

すでに六カ月の時点で、がんがんはいはいをしている。育児のことを知らない人のために少し補足すると、赤ちゃんというのは、はいはいの前にはズリばいという、手で腹をずって前進する移動方法を習得するのだが、通常の赤ちゃんはこれを通常7、8カ月で覚え、8カ月ごろから膝をついて前進する通常のはいはいに移行するらしい。しかし、うちの子供は5カ月すぎにズリバイを習得。それからわずか数週間で一気にはいはいに移行してしまった。

このスピード感……である。

しかも次の習得技術であるはずの、つかまり立ちにいたっては、ズリバイの前の4カ月頃の時点で、とっくにマスター。もともと、どういうわけかこの子は、立つという行為に生後まもなくの段階から異様なまでの関心を示しており、立たせると泣き止むという変な子、というか選ばれた子、神の子だった。はいはいの目的も、明らかに何か掴めるものに近寄って立つことにあるらしく、地面に寝かせてやると即座にはいはいの態勢に移行し、前方にある椅子やらソファーやらに突進して、すぐにつかまり立ちするのである。そして椅子から離してやって、また同じところに寝転がすと、再び同じ動きで同じ場所を一直線に目指して、同じラインを通って同じようにつかまり立ちする。まるでチョロQみたいだ。

ここ数日でつかまり立ちする動きが非常に滑らかになっており、あと一カ月もしたら歩き出しそうだ。しかしあまり早く歩き出すのはよくないという。はいはいの期間が短いまま歩き出すと、身体の発達が不十分になり、将来、体育の苦手な子供になってしまうらしい。なので、つかまり立ちするとすぐに身体を離して地面に寝かせてやるのだが、またすぐにはいはいして、つかまり立ちしてしまうのである。困ったものだ。といっても、世話をしているのは妻で、私はグアムにいるので何もしていないのだが……。

とはいえ、そのあまりのスピード感は、人類の常識からかけ離れているようにも思える。なんというか、まずは人類の進化をひと通りおさらいしてみるか、みたいな余裕が感じられるのだ。そのうえで次に何するかな~みたいな感じである。

一体どうなってしまうのか。ウサイン・ボルトみたいにならないか心配だ。

悩みその② 顔が異常にかわいい

この点に関してはもう西武池袋沿線では敵なしといった状態である。買い物でスーパーに立ち寄ると、おばさんたちからキャーキャーといった茶色い歓声が必ず澎湃として湧き起り、困惑する。完全に椎名町のアイドル。農村地帯をペネロペ・クルスと歩いているみたいで、ひじょうに目立つ。

電車に乗ったときなど時折、目の前の乗客から「わー」という歓声と共に拍手が沸き起こり、どう対処していいか分からないことがある。

私が自分の子供をかわいがるのは、もしかしたら親ゆえの愛情からではなく、単に顔がかわいいからかわいがっているだけではないのか? と悩んでしまうほど顔立ちは愛くるしい。と、そんなことを前に知り合いの女性に話すと、「うちの旦那も同じことをいっていた」と笑われた。

いや、ちがうんだよなあ。そういうことじゃないんだけどなあ。どうしてわからないのかなあ。

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生まれて初めての体験

2014年07月11日 20時23分57秒 | 雑記
唐突だが、現在グアムにいる。リゾートを楽しみに来たわけではもちろんなく、昨年のフィリピンと同じ、以前漂流したマグロ漁師の取材の一環で、17日頃からマグロ船に20日少々乗船する予定にしている。ということで、17日頃から一カ月ほど連絡が取れなくなるので、用事のある方はお早めにご連絡ください。

それはさておき、グアムまでの飛行機で生まれて初めての体験をすることになった。

今回、使ったのは仁川経由の大韓航空機。途中の仁川でちょっとしたトラブルがあり、トランジットだけの予定が、一度、入管を通って出国しなければならなくなった。トラブルというのは、成田の免税店で買ったお土産のお酒の袋が国際規格の透明なものではなく、このままでは搭乗できないので、一度大韓航空のカウンターに行って預け荷物扱いにしてくれというどうでもいいものだったが、お酒を捨てるわけにもいかないので、とにかく一度出国してカウンターに向かった。

カウンターでチケットを見せて梱包したお酒をあずけたところ、なぜか成田で取った座席が別の席に変更になったという。搭乗時間が来て、その変更になった17Jとかという座席に向かうと、その番号が見たらない。おかしいなと思ってCAにチケットを見せると、実はこの飛行機は最近では珍しいボーイング747で、私の席は二階席なのだという。ほお、二階か、初めてだなあと思って階段を上がったところ、なんとびっくり、そこにはビジネスクラス(ファーストクラス? 使ったことがないので、どっちが何なのかよく分からない)の座席がずらりを並んでいた。そう、いつも通りかかるたびに、こいつら良い座席に座ってんなあと羨望の眼差しで見ていた、あのマッサージチェアみたいなゆったりとした座席である。

もちろん私が買ったチケットは五万円代のエコノミークラス。しかし現実として私が座るべき17Jには、そのゆったり座席が鎮座ましましている。おお! 何たる神のはからい。どういう間違いかよくわからないが、とにかく私はこの立派な座席でグアムまで行けるらしい。貧乏人の悲しいところで、もしかしたら差額を後で請求されるのではないだろうか、確認した方がいいだろうかという不安が一瞬脳裏をかすめたが、まあ、さすがにそれはないだろうと気を取り直し、マッサージチェアに腰を沈めた。

ビジネスクラスのイスはすごいですね。頭部、腰部、脚部の三か所で角度の調節が可能。機能もマッサージ機能がないところをのぞくと、ほとんどマッサージチェアで、全部寝かしたらベッドになる。ただ、それ以外にこれといって感銘を受けたポイントはなかった。機内食もたぶんエコノミーと同じだと思われるものだったし。あれで一体、値段にいかほどの差があるのだろうか。

ビジネスだかファーストだかよく分からないが、とにかくもうあのクラスに乗ることは一生ないだろう。非常にいい体験をした。

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恐るべき真実

2014年05月15日 23時11分34秒 | 雑記
以前、このブログでもご報告申し上げたことのある足の爪水虫の悪化が止まらない。

二年前から近くの病院に通い、内服薬を処方してもらってきた。肝臓に悪い薬らしくて、あまり飲みたくないのだが、まあ、二、三カ月の我慢だということで飲んでいたが、結局、完治しないまま、その年はカナダ北極圏へ出かけた。

旅をしている間に、症状は悪化し帰国。しょうがないので、夏前ぐらいから再び病院に通いはじめ、今度は半年ぐらい同じ肝臓に悪いという薬を飲み続けたが、しかしまた治らないまま、今度はグリーンランドに行って、再び悪化させることになってしまった。

今、私の足の親指の爪はひどいことになっている。表面がこんもりと盛り上がり、内側が見たことのないガサガサの形容不能な汚い組織で覆われている。先日、服部さんと飯を食った時、私の足をみて、「うわ、けっこうすごいことになってるね」とビビっていたぐらいだ。サバイバル登山家がビビるほど、迫力のある爪をしているのである。

それはともかく、ここまで頑張って治療に励んだのだから、来年の北極までには治したい。しかも娘ができ、「うつったら、どうするのさ」と妻の追及も厳しいので、病院をかえて、近所で評判だという皮膚科に行ってみることにした。

そこで恐ろしい事実が判明したのだ。

評判だという皮膚科医は私の汚い足の爪をみて言った。
「前の病院では検査はしたんですか」
「いえ、パッと見て、ああ爪水虫だねって感じで、特に検査はしなかったのですが」
実はそれまで通っていたのは専門の皮膚科ではなく、内科・小児科・皮膚科などの看板をかかげた小さな町医者だった。
評判だという皮膚科医はピンセットで、私の足の爪の内側のガサガサした形容不能な乾いた組織を削り、粉状にしてスライドガラスの上にのせ、顕微鏡で検査しはじめた。そしてしばらく観察した後に、こんなことを言った。

「あのね、今ずっと見てたんですけど、水虫菌が一匹も見つからないんですよ」
「え?」
「一匹もね。普通、爪水虫がひどかったら、爪だけじゃなくて指も水虫になるもんですが、それも全然ないでしょ。だから爪がこうなったのは、違う原因かもしれないですね」

なんということだ! 今まで爪水虫と信じてきたから、肝臓の悪い薬も飲んできたのに。もしかしたら最初から違ったというのか?

先生によると、水虫じゃなくても、登山家やマラソンランナーのなかには爪が激しく変形してしまう人もいるらしい。一度変形し、二段爪になり盛り上がると、爪の根元の皮膚が弱まり、どんどん悪化していく傾向があるとか。先生はもしかしたら水虫だったけど、薬の服用で治ったのかもしれないとも言うが、しかし指に水虫ができたことはなかったし……。

一応、夏にもう一回検査して、それで繁殖していなかったらシロということになった。爪水虫だと思っている、あなた。あきらめるのはまだ早い。一度、きちんとしたお医者さんに診てもらうことをお薦めします。

それにしても、いい加減な診察をした、あの町医者のジジイ。今度、病院の前にウンコしてやろう。




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対談本収録終了

2013年12月31日 10時13分57秒 | 雑記
客観的かつ冷静に分析して、おそろしくかわしい私の赤ん坊についてもう少し書き加えたいところだが、それはさておき、年末にかけておこなってきた高野さんとの対談本の収録が、ようやく昨日終了した。

今年は『アグルーカ』が高野さんの『ソマリランド』と講談社ノンフィクション賞を同時受賞した。その受賞記念として対談本をだしませんかと講談社から声をかけられたのだ。

対談はあまり得意ではないので、いつも自分の考えていることがうまく話せなくて落ち込んだが、先日あがってきた原稿を読むと、うまくまとまっており、予想以上に面白い出来になっている。

ちなみに原稿をまとめてくれたのは、これまた探検部の大先輩で、山と溪谷社のクライミング誌『ROCK & SNOW』の元編集長で、今はフリー編集者の森山憲一さん。森山さんは、高野さん率いるムベンベ隊に一年生で参加し、何を考えているかよくわからないと書かれていた、あの森山さんだ。

私とはまったく大学ではかぶっていないが、探検部に入ったばかりの頃に一度、森山さんふくめたOB連中と伊豆の城山でクライミングをしに行ったことがあり、その後も、なぜか剱の内蔵助谷でばったり出会ったり、穂高の涸沢に向かう途中でばったり出会ったりと、やたらと山の中でばったり出会うことの多い人だった。

昨日、その森山さんから言われた一言が印象的だった。

森山さんによると、城山で初めて出会った時、私はゴリラのようだったという。全然言葉をしゃべらず、ウッホ、ウッホという挙動(学術的にいえばロコモーションという)で練り歩くばかりで、人間のようには見えなかったのだ。少なくともホモサピエンスには。それが私の本を読んでその考えは一変した。こんなに知的な作業のできる人間だったんだ。というか言葉を知っていたんだ……と。

しかし今回、何度も対談の収録で顔をあわせた結果、その印象はまた変わったらしい。

「角幡は最初会った時は本当にゴリラにしか見えなかったんだけど、結局、そっちのほうが正しかったということがよくわかった」

なんということだ。あんなに一生懸命、自分の言葉で考えを伝えた結果、人間からゴリラに逆戻りしてしまったのだ。そういうふうに読めてしまう本なのだろうか(そういえば私の姉の娘が小さい頃、ゴリラが大好きで、将来はゴリラになりたいと言っていた時期があったが、その頃好きだったのが、ゴリラと私と小島よしおだった。結局、そういうことなのだろうか……)。

ちなみに対談本の発売は来年四月ごろの予定で、タイトルはまだ決まっていない。


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私の赤ん坊

2013年12月29日 21時19分24秒 | 雑記
昨日、今日と病院で赤ん坊をまじまじと観察していたが、客観的かつ冷静に分析して次のようなことがいえそうである。

まず、恐ろしい美人である。産まれた直後の時点ではっきりとした二重瞼の兆しがみられたが、産後の三日目の今日の時点でしっかりとした二重瞼になっており、目もいくぶんリトルグレイ風であるが、ぱっちりとしており、将来のアイドル顔は確約されたようなものである。まつ毛も一昨日よりも昨日、昨日よりも今日と、気のせいか一日一ミクロンずつ長くなっているようで、一生つけまつげのお世話になることはないだろう。

かつ鼻は赤ちゃん特有のつぶれた感じはみられるものの、それでいてどこかすっと鼻先が通った感じがあり、目と目の間の鼻骨もしっかりと盛り上がっていることが確認されていることから、日本人離れした顔立ちになる気配がみられる。

また小顔である。手足はながく、早くも六頭身か七頭身ぐらいありそうで、大人になった時に何頭身になるのか、まったく想像がつかない。頭のかたちは後頭部が出っ張っており、全体的にラグビーボール状、またはピッコロ大魔王的であるが、新生児は頭のかたちが安定していないので、そのうち普通児と同じ許容範囲に収まるであろうことから、これは心配していない。

見目、容貌のレベルの高さは明らかに群を抜いており、同じ病室内の他の5人の母親に同情を覚えてしまうほどだ。同じ人間なのに、これほどの差が生まれてしまい、申し訳ありません。残念ながら人間というのは平等ではないようです、と。

一方、性格は気難しいところがあるらしく、いつも眉間にしわを寄せてしかめっ面をしている。とはいえ、これなども効果的なアクセントとして顔の愛くるしさを引き立てているわけで、眉間のしわの本来の役割としては逆効果といえそうだ。外界の変化に対して敏感であり、目の前で何かが動くと興味深げに眉間にしわを寄せてじっと見つめるところなどは旺盛な好奇心をうかがわせる。

そしておそらく頭がいいにちがいない。眉間にしわを寄せることなども、ひょっとしたら生まれた直後ではあるけれど、ウィトゲンシュタインみたいに難しいことを考えている可能性もある。人生の不条理について悩んでいるのかもしれない。

時々、声優アイドルのような透き通ったかわいらしい声をあげることがある。これで甘ったるい声を出したらバカな男を騙すことなど造作もないことであることから、将来どれほどの男を手玉に取るのか、親としては今から少し心配な部分もある。また、しばしば声を上げるので、早くも言葉を話すのではないかと、他人からみると親バカだと思われてもおかしくないことをふと考えてしまうが、でもこちらの言葉を理解しているのは確実なようだ。

末恐ろしい子供である。今のところ将来は女優にさせようと思っている。

うんちはチョコソフト、鼻汁はグァバジュースのようである。

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橇作り

2013年12月10日 23時13分37秒 | 雑記
あまりにも当たり前のことで今まで書かなかったが、今冬も北極圏に行く予定だ。

オール読物の連載を読んでいたという希少な人は別だが、多くの人は私が今何をメーンテーマにしているか知らないと思うので、一応あきらかにしておくと、今私は冬の太陽の昇らない極夜の北極探検をテーマに活動している。しかもGPSをつかわず、天測で旅をするというものだ。

今年は11月からグリーンランドに行く計画で、妻の妊娠が発覚してからも、それは変わらなかったが、いろいろと思うところがあり、出産に立ち会ってから出発することした。出産予定は今月下旬だが、困ったことにいつ生まれるかわからないので、出産後に航空チケットを手配することにしている。

もちろん、いつでも出発できるように、準備は着々と整えている。今日は沼田の清野さんの会社の作業場で、職人さんに手伝ってもらいながら、橇づくりをしてきた。

今まで極地用の橇はカナダの極地探検家リチャード・ウェーバー氏のところのプラスチックの橇を購入していたが、プラスチック製の橇は軽くていいのだが、壊れると修理ができないのが難点。しかも私の場合、衛星電話も持っていかないので、壊れたら、その場でほぼ死亡の可能性が高い。それはやはりちょっとこわいので、壊れても自分で修理できる、今年はイヌイット式の木製橇を試すことにしたのだ。

設計図は極地探検家山崎哲秀さんにお借りした。それをもとに、二週間ぐらい前にはだいたい本体はできていたが、今日は軽量化のための、本体の肉抜きと、ランナーの取り付けをおこなってきた(写真)。材料は檜。選定は特殊家具製造が本業の清野さんにお願いし、重さと強度の点から選んでもらった。合板材は軽くてつよいが、極低温で長期間使用した場合、接着部分から壊れないかちょっと不安だそうで、やはり木材のほうが安心だという。

ランナーも清野さんのアイデアで、50ミクロンのテフロンを塗りつけたステンレス材を採用。何かの極地探検記にランナーは摩擦係数が低いテフロンが有効との記述があり、自分が極地に行く時はそれをつかおうと頭にインプットしていたのだそうだ。どこにそんなことが書いてあるのか、調べなければ。

テフロンランナーははじめてお目にかかったが、つるつるで、これは引きやすそうで、素晴らしい。世界広しといえども、テフロンを触って「引きやすそうだ」と喜ぶのも私だけだろう。今日は一日かけて、檜材を工具で削りまくっていただけに、今もまだ檜のニオイが抜けない。

極夜の北極探検には、アグルーカの時には使わなかった道具がたくさん登場する。そろそろ、(株)タマヤ計測システムさまのご協力により、今回最大の秘密兵器である、戦前の日本軍が使っていた(けど、その後長らく製造されていなかった)気泡六分儀「角幡スペシャル2014」が完成予定なので、そしたらまた報告します。

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ライカでグッドバイ

2013年11月08日 09時33分33秒 | 雑記
ライカでグッドバイ: カメラマン沢田教一が撃たれた日 (ちくま文庫 あ 47-1)
青木富貴子
筑摩書房


9月、10月とやたら本の末尾の解説やら書評の仕事が多かった。そのうちの一つ、青木富貴子さんの『ライカでグッドバイ』がちくま文庫から刊行された。

ベトナム戦争の写真報道でピューリッツァー賞を受け、その後、戦場で命を落としたカメラマン沢田教一の評伝ノンフィクションで、写真を撮ること、作品を作ることの業に捕われたものの一生を描いたものである。危ない目に遭いながらも何度も危険地帯に写真を撮りに行かざるをえない姿は、人間の生き様としてひとつの極限だと思う。

今回のちくま文庫版は絶版となっていた文春文庫版を底本としており、その時の開高健の解説も収録されているのだが、見本が送られてきてびっくり。帯に「解説=開高健・角幡唯介」とあるではないか。

なんだか文豪になった気分だ。仕事を引き受けてよかった。

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食品偽装はもういいよ

2013年11月06日 10時14分16秒 | 雑記
今日の新聞をみると、また食品偽装の話が一面トップを飾っていた。私がとっているのは朝日新聞なので、その偽装の中身を簡単に紹介すると、高島屋の惣菜店が「車海老のテリーヌ」と表示して、その実、ブラックタイガーを使うなどしていたらしい。

こんなどうでもいいニュースを、よく一面トップで扱えるなと正直あきれ返る思いだ。

腐った肉ミンチを混入させていたとか、廃棄すべき食材を再利用していたとか、消費者の安全に関わるような不正だったら大きく追及するのも分かるけど、車海老がブラックタイガーって……。一面トップで扱うような話なのだろか。社会面の端っこに載せておけばいいような程度のことだと思うのだが。

こんなのもある。喫茶店「ル カフェ ドゥ ジュエル・ロブション」で紙容器入りの100%フルーツジュースを、搾りたてを意味する「フレッシュ」と表示していた。

これってもはや偽装ではなくて、日本語の表現上の解釈の問題だろう。フレッシュという英語の意味を厳密に理解していなかったというだけなのに、いちいちたたくような話なのか?

こういう重箱の隅をつつくような不正をあげつらっても、社会が息苦しくなって閉塞的な雰囲気が増すだけだ。ちょっと規範から外れただけで徹底的にたたくという構造は、ネット世論と似たり寄ったりである。私も記者の経験があるからわかるが、細かな不正でも追求すると自分たちが正義の執行者になったような気がして気持ちがいいのである。だがそれが社会にとっては一番有害だったりする。

こんなどうでもいいことより、秘密保護法案という最悪の法律が成立しそうになっているのだから、連日一面でこれを議論するぐらいのことをやってほしいもんだ。

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魂が引き裂かれそうな苦しみ3

2013年09月04日 21時25分57秒 | 雑記
ダメもとで来たフィリピン取材だったが、今日ついに一番会いたかった取材先の居所をつかんだ。

この人に会いたいと思ってフィリピンに来た私であるが、考えてみると日本を出発した時はその人の名前さえ知らなかった。途中でカタカナ表記の名前が分かったが、それをアルファベットで書くとフィリピン人はどう発音するかということが分からなくなり、たぶんアルファベット表記はこうで、だからこう発音するんじゃないかと通訳の澤田さんに助言され、その発音でその人のことを知らないかと、いろんなところを回って聞きこんできた。しかし結果から言うと、私たちが想定していたその発音は実は間違っており、その人の名前はちがう読み方をしたのだが、しかしそれでもこの異国で澤田さんを巻き込んで地を這うような地どりを続けた結果、奇跡的に見つかったのである。

正確にういと今日見つかったのはその人のいとこで、いとこからその人の連絡先が分かった。その人はゼネラルサントスに住んでいると思っていたのだが、実は今はダバオの先のなんとかという村に住んでおり、たまたま昨日までゼネラルサントスにいたのだが、何か用事があって今日帰ってしまったという。しかし電話をしてわざわざ日本から来たのだと恩着せがましく言うと、明日、もう一度ゼネラルサントスに来てくれることになったのだ。

しかもそのいとこの話によると、なんとその人にはあの経験があって、その経験の話を聞ければ、もうこれは今回の取材は成功したも同然なのである。

という回りくどい書き方しかできないのが、実につらいところだ。

ここですべてを書いてしまいたいが、作品化する以上、ネタバレになってしまうような詳細をブログなんぞで明かすわけにはいかない。ああ、書きたいことを書けないのって、書きたくないことを書かなければならない時よりもつらいことなんですね。う~、魂が引き裂かれそうである。それに今、おしっこがもれそうだ。

それにしても取材は足で稼ぐもの。回れば回った分だけ結果はついてくる。今更であるが、新聞記者一年生のような心境になった。

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カメラが盗まれて困っています

2013年09月02日 00時51分45秒 | 雑記
今日はミンダナオ南部のゼネラルサントスに来た。

飛行機に乗る時、うっかりザックの雨蓋にコンパクトカメラをいれたまま荷物を預けてしまった。町について写真を撮ろうと思い雨蓋を開けたところ、まんまと盗まれていた。海外で物を盗まれたのは、十年以上前にヤルツアンポーに行った時に中国の硬座列車で寝ていて眼鏡を盗まれた時以来である。とてもショックだ。しかも今回は滞在期間が短い予定なので、海外旅行保険にも入らなかった。くそ、保険に入っていたら新しいカメラを買えたのに。それにしもて昨日の話ではないが、どうも気が抜けたみたいになっている。カメラがないのは非常に困るが、買うのもバカらしい。しょうがないから通訳の澤田さんのを借りるしかない。

それに変圧器のことだが、澤田さんに訊くと、220ボルトなら別に変圧器がなくても大丈夫ですよと言われた。だが昨年、パソコンのACアダプターを間違って外付けHDにつなげて壊してしまった時のトラウマが残っていて、パソコンが壊れるといけないと思い、一応ショッピングモールに行って110ボルトの変圧器を購入した。

しかし帰ってきてよくよくパソコンのACアダプターをみると、入力が110~240ボルトになっている。そうだよな。今時、海外で使えないパソコンのACアダプターなんてあるわけがない。一体フィリピンに来て、いったい自分は何をしているのだろうと頭を抱えた。でもせっかくだから変圧器は使っている。全然意味はないが。

しかし取材の方は今のところ順調に行きそうな気配である。今日は地元ジャーナリストと、日系企業の関係者と会ったが、来る前に少し懸念していたイスラム過激派もゼネラルサントス周辺では特に活動はしていないという。

それに山下財宝の話とか、今回の取材とはまったく関係ないけど面白そうな話をいろいろ聞いてしまった。年をとって身体を使うような探検ができなくなったら、ここに来て山下財宝を探すのも悪くはない。

ちなみに何の取材をしているかというと、沖縄のあるマグロ漁師の漂流事故の話を取材している。掲載誌は小説新潮。来年に連載開始の予定で始めた取材だが、一体いつになるのか今のところ目途は立っていない。今回のフィリピン取材はこの取材がうまくいくかどうかの、かなり肝の部分になりそうな気がする。下らないことでドタバタしている場合ではないのだが。

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フィリピンに到着したけど変圧器がなくて困っています

2013年08月31日 19時03分00秒 | 雑記
唐突だが、今日からフィリピンに来た。例の沖縄取材の一環で、どういうわけかフィリピン取材まで敢行してしまうことにしたのだ。最近はカナダばっかりでアジアに来たのは久しぶり。空港を下りた瞬間に空気と人間にアジア的な熱気が感じられて気分が高揚した。やはり旅をするのはアジアに限る、とカナダが旅行先としてはとりわけつまらないだけに、本当にそう思う。

マニラに着いて、韓国系の二つ星のホテルにチェックインし、怖ろしく電気が暗い部屋の中でこのブログの記事を書いている。

出発初日に気づいたことが二つあった。まずフィリピンに入国する際には帰国の便を押さえておかないと、行きのフライトのチェックインができないことを、チェックインカウンターで初めて知った。飛行機はもちろんジェットスターなのだが、決まりなので帰国便を購入してもらわないと、どうしても乗せてくれないという。今回は長い滞在ではないが、いつものように帰国日を決めているわけではない。だがしょうがないので適当に帰国日を決めて、その場で帰りのチケットを購入することにした。ネットで購入するよりもかなり割高のようだ。ひどく損をした気がする。

さらにマニラに着いてからも変圧器を持ってくるのを忘れたことに気がついた。というか変圧器が必要かどうか調べることを忘れていたのだ。おまけに現金を三万円少々しか用意しておらず、あとはカードキャッシングしなければならない。なんでもっと現金を用意してこなかったのだろう。面倒くさいことだ。

最近は飛行機を予約するのも手軽になったし、海外でも大体カードが使えるし、短期間ならビザが必要ない国も増えたし、何よりも飛行機代が安くなった。以前のようにリコンファームしなくていいし、TCを大量に準備することもない。というかそういう旅行を最近してないだけかもしれないが、要するに海外に行くのが便利に、手軽になって、ハードルが下がったので、北海道に旅行するのと変わらない気分で家を出るものだから、全然下調べをしなくなってしまったのである。

いや下調べをしていないわけではない。取材に関する事前調査はもちろん入念に行っている。今回は南部のミンダナオ島で取材予定なので、最近頻発しているイスラム過激派による爆弾テロのニュースだとか、原理主義組織の動向などは十分に情報収集している。だが、目的地に行くまでの移動やホテルの予約などが、もともと関心がないものだから恐ろしくいい加減に流してしまっている。

完全に地球の歩き方まかせ。というか、地球の歩き方は一応買ったが、読んだのはさっきマニラに着いてから、フィリピンって変圧器がいるのかどうか確かめたのが初めてという状態だ。

しかし考えて見たらホテルを予約しただけ上出来かもしれない。そういえば海外に来るのにホテルを日本で予約したのは初めてのことだ。エクスペディアとかアゴダとかの予約サイトができて、自分の部屋にいながらにして東南アジアの地方都市の宿の予約までできるものだから、最近では旅行先で利用することが少なくなくなった。

でもおかげで、こんなに部屋が暗いホテルに泊まることになった。予約サイトには夜の町に荘厳に光を放つ立派なホテルの写真が掲載されていたので、すっかり騙されてしまったのだ。自分で町を歩いて宿を選んでいたら、もう少し安くていいところに泊まっていたような気がする。

新潮選書で『「便利」は人を不幸にする』という本があるが、まさにその通りだ。便利に旅行できるようになったせいで、私は変圧器を忘れ、こんなに暗い宿に泊まらなければならなくなった(昔から私のことを知っている人間は、お前は昔からそういう人間だったと指摘することを承知で、私は今この文章を書いている)。宿は一日だけだからどうでもいいけど、変圧器は早く手に入れないと、こんなどうでもいい記事を書いている間にもどんどんバッテリー残量が減って、明日からの仕事に支障をきたすことは明白な状態である。

これから水谷さん(ノンフィクション作家、『日本を捨てた男たち』の作者)に会うから聞いてみよう。


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私はフェイスブックに登録してませんの続き

2013年06月06日 00時11分21秒 | 雑記
ついさきほど私はフェイスブックに登録してませんという記事を書き、アップしたが、どうやら私の早とちりだったらしい。
事の真相は、フェイスブックユーザーに私の本などをお気に入りなどにリストアップしてくれている方がいらっしゃり、その結果が反映されてグーグル検索に引っかかっただけらしい。

赤の他人が私に成りすましてフェイスブックの登録をしていたわけではないのだ。ついつい、自分にもついに成りすましが登場したかという、なかば喜びに近い感情と、久しぶりにブログに書くことができたという興奮とがあいまって、先走った記事となってしまった。

ザッカンバーグさん、すいません。

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