goo blog サービス終了のお知らせ 

ホトケの顔も三度まで

ノンフィクション作家、探検家角幡唯介のブログ

戦場の掟

2010年04月02日 09時09分48秒 | 書籍
鹿島へ向かう電車の中、2008年度のピューリッツァー賞を受賞したスティーブ・ファイナル「戦場の掟」を読んだ。イラク戦争については、新聞やテレビのニュースを通した表面的な事実しか知らなかったが、この本を読むことでこの戦争が持つもう一つの側面、ひいては現代のアメリカの戦争に対する驚くべきスタンスが如実に浮かび上がってくる。

イラク戦争では、アメリカの傭兵警備会社が政府の受注先として戦争のかなり実質的な部分を担っている。彼らは一般の兵士と違い、イラクの法律で裁くことができないため、イラクの民間人を虐殺しても、危険に対する適切な処置だったとしてあいまいに闇の中に葬られる。彼らはかなり気軽に民間人を殺害してきたというが、そのようなあらゆる犯罪が表面化してこないというのだ。こうした驚愕の事実を、ジョン・コーテという、筆者がたまたま取材中に知り合い、後に拉致されることになる魅力的な若い傭兵の人間像を交叉させつつ、物語を進めていく。社会悪としてのアメリカを告発するだけではなく、生身の人間の物語にしているからこそ、読者にページをめくらせる駆動力がある。エピローグでは思わず目頭が熱くなった。

すごいなと思うのは、この危険な取材を何年もかけて行ったのが、アメリカで最も権威のある新聞の一つ、ワシントン・ポストの記者だということだ。社員が死んで責任を追及されることを恐れ、危険な取材はすべてフリーランスにまかせる日本のマスコミとはえらい違いだ。報道すべき事実がそこにあるなら、リスクを背負ってでも取材する。そうしたアメリカのジャーナリズム精神の底力を見せつけられた思いである。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ザ・ロード

2010年03月22日 15時54分27秒 | 書籍
コーマック・マッカーシーの「ザ・ロード」を最近読んだ。コーマック・マッカーシーの本は以前、「ノー・カントリー」がアカデミー賞を受賞した時に、原作の「血と暴力の国」を読んで以来だったが、「ザ・ロード」の読後感はそれをはるかに上回った。

核戦争だか、大地震だか、巨大隕石の衝突だか知らないが、何かが原因で地球上の文明が消滅した後の荒野の世界を、父と子がたくましく生き抜く姿を描いている。漫画「北斗の拳」の舞台のような世界を想像してもらえると分かりやすい。生き残った人間どもはみんな牙一族みたいな野盗の集団と化していて、父と子はその野盗どもの目を逃れて生きのびるため南を目指す。

筆者が文学的に何を描こうとしているのか、門外漢の私が語るのはやめておこう。しかし感じたのは、絶対荒野の中に存在する生の力強さだ。ヴァーチャルな世界にのみ込まれ、薄っぺらな知識や情報だけがはびこるこの世の中で、生きていることが確かであると認識するには、このような荒野に身を置くしかないとマッカーシーは言っているかのようである。

こういう世界をノンフィクションの世界で書くことはできないだろうか、とついつい考えてしまった。砂漠でも密林でもいいけど、無だけが支配する荒野で生き抜くオレと息子……。あ、しまった。これを実現するには、荒野を目指す前に、誰かと結婚して子供を作らんといけんのか!

無理だな。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

狩猟サバイバル

2010年01月18日 00時52分25秒 | 書籍
ツアンポー探検の記事の打ち合わせで先日、岳人の編集部を訪れ、服部文祥さんと会った。服部さんといえば最近、新著の「狩猟サバイバル」をみすず書房から出した。服部さんが十年ほど前からライフワークとしているサバイバル登山に、狩猟という新たな方法を持ち込んだノンフィクションだ。

服部さんからは「深い人間になりたい」ということをよくきく。読んでみて最初の「サバイバル登山」の時よりも、その深さがなんとく伝わってくるような気がした。

考えてみると、サバイバル登山は所詮、登山というレジャーやスポーツといった余暇の一形態でしかない。それをしなくても生きていけるし、それで金を稼いでいるわけでもない。会社の休みを利用して行っている趣味に過ぎないといえなくもない。いくらハードな自給自足的な方法で登山を行っても、シカを殺して楽しんでいるだけでは、それほど深い行為とはいえない。

彼のサバイバル登山にひきつけられるのは、僕らが普段生活していて見落としがちな社会の偽善性やきれいごとに強い疑問の目が向けられているからだ。本の中でそうした前提やきれいごとは、スーパーでパックされ殺害、解体といった汚い過程を覆い隠された豚肉や、服部さんが駅でシカの生首を持ち歩いているのに気づき、目をむく電車の乗客などに象徴されている。社会が成立するそうした前提が実はちょっと違うのではないかと疑問をなげかけ、それが登山というかたちに昇華させられている。そのメッセージ性に僕らは深さを感じ、登山をしない人にも共感を与える。

そしてそのメッセージ性は、イワナを殺して山を登っていたこれまでより、大型哺乳類であるシカを殺して山を登った今回の本のほうが、より鋭角的に読者に伝わってくる。それはイワナよりもシカを食料として登る方が、殺害、解体という社会が覆い隠してきた汚いナマの過程をむき出しにしているからだ。

気になるのは、サバイバル登山の次の展開だ。魚から大型哺乳類に方法は進化し、思想性もより鮮明になってきた。次はどのように展開させて本にするのだろうか。もちろんプロのライター、編集者なので、サバイバル登山自体が完全に行為として純粋なわけではなく、おそらく書くことがどこかで意識されているはずだ。だから次にどのようなことが書けるかということを考えながら、サバイバル登山も行われている。本を書くために何らかのさらなる展開、もしくは深化がもたらされると僕は思っている。

うーん、なんだろう。ライチョウでも食べますか? ライチョウ食べたら極めて挑戦的な文明論になりそうだなあ。人間はやめてください。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

倒壊する巨塔

2010年01月15日 12時37分11秒 | 書籍
ローレンス・ライトの「倒壊する巨塔」(白水社)を読んだ。チベットに出発する前に、アマゾンから「おすすめの本があります」と言われて、すぐに買った本だ。上下巻で800ページくらいあるので、帰国してから読もうと思って楽しみにしていた。

ビンラディンやアイマン・ザワヒリ、FBI捜査官ジョン・オニールの人生を丹念に追って、9・11がなぜ、どのような過程を経て起きたのかを提示している。細かいエピソードやシーンをつなぎ合わせることで、テロリストたちの人間像をあぶりだしているところが素晴らしい。あれほど冷酷な犯罪をしでかしたテロリストも結局ひとりの人間で、何かのふとしたきっかけで、ひょっとしたら僕らもああした人たちになってしまうのかもしれないという「地続き感」を思わず抱かせられる。

著書のローレンス・ライトはニューヨーカー誌のライター。確か取材に5年(3年かも)かけたとか書いてあった。それだけの金と時間をかけても、ちゃんと売れて読まれるということなのだろう。アメリカのノンフィクション界の層の分厚さには感嘆するしかない。

最近、デビッド・ハルバースタムの傑作「ベスト・アンド・ブライテスト」が復刊されたので、こちらも購入。待ち遠しい。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガチンコ横綱

2009年11月01日 11時16分19秒 | 書籍
 最近、テレビの情報番組などで元横綱大乃国の芝田山親方が「スイーツ評論家」として登場するのをたびたび見かける。こんな著書もあるらしく、「スイーツ王子」というあだ名もつけられているようだ。まったく大福もちみたいに甘そうで柔和な顔と体の大乃国ならではのはまり役で、これが目つきの鋭いウルフ千代の富士(現九重親方)や、頭を丸めて昔の関東軍高級参謀みたいな強面になった北勝海(現八角親方)が「スイーツ大好き」なんて言ったら気持ち悪くてしょうがない。

 現役時代は優勝二回。千代の富士、北勝海の陰に隠れまったく印象の薄い横綱だった。だが八百長に手を染めていたと言われる千代の富士とは違いガチンコ(八百長をしないで実力勝負)だったとされ、大相撲に八百長疑惑が取りざたされる時などは週刊誌にフェアな力士として取り上げられたこともあった。千代の富士の54連勝を止めたのが大乃国で、それが彼の力士としての最大の見せ場だった。ただ、ガチンコ力士の悲しさか、下位力士に対する取りこぼしが多く、とりわけ有名な注射(八百長)力士だった板井は苦手だった。なんで星を買わないのかとばかりに板井に顔面を張られまくり、泣きそうな顔で土俵に這いつくばる大乃国の姿を見て、「こんな情けない大人にはなりたくない」と幼い頃思ったものだ。歴代の横綱数多くあれど、情けない相撲っぷりで全国の子供たちの同情を広く集めたのは彼くらいのものだろう。

 ガチンコといえば、有名なのは横綱貴乃花。現役では稀勢の里、安美錦がそうだとされている。七月に引退した出島もガチンコだったという。この3力士が八百長の疑いがあるとされる朝青龍にたびたび勝つことをみても、なかなか説得力を感じさせる話である。そういえば数ヶ月前、朝日新聞の記事に貴乃花のインタビューが載っていたが、今後期待する力士として稀勢の里と安美錦の二人を挙げていた。若手の有望株である稀勢の里はまだしも、年齢的にもとうがたった安美錦はなぜ?と思ったが、ガチンコ力士に対する応援と八百長相撲が一掃されない角界に対する皮肉のメッセージだったと考えればうなづける。

 貴乃花が現役だったのは、曙、武蔵丸という二人に加え、若乃花、貴ノ浪、魁皇などの実力派がずらりを顔を並べる、大相撲史上最強の時代だったと言われる。その中で優勝22回、しかもガチンコだったということが貴乃花が「平成の大横綱」と呼ばれる大きな理由なのだろう。いくら朝青龍が優勝回数で上回っても大横綱と呼ばれないのは、少なくてもイメージとしては八百長の疑いがまとわりついている上、土俵上でのガッツポーズなどパフォーマンスが過度に注目されトリックスターとしの側面ばかりが強調されるからだ。ただ、貴乃花については八百長などよりもっとショッキングな噂を聞いたことがあるが、事実かどうかも分からないし、あまりにも生々しい話なのでここにはとても書けない。

 話が完全に脇道にそれたが、大乃国のこのスイーツ本、読んだこともないし、これから買う予定も今のところない。それにしてもこんなに太ってるのにスイーツなんて、勇気あるよな。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信仰が人を殺すとき

2009年10月24日 18時28分48秒 | 書籍
 ジョン・クラカワーと言えば、エベレストの大量遭難を描いた「空へ」や、アラスカの原野をひとり彷徨い死んだクリス・マッカンドラスの評伝「荒野へ」などで有名なノンフィクション作家で、僕も大好きなのですが、この作品は読んだことがありませんでした。というかこんな作品が出ていることさえ知らず、アマゾンでたまたま見つけ、速攻で購入しました。

 宗教については何の知識もないし、それほど関心もありませんでしが、そんな僕でもなんて面白いんだ!と思いながら一気に読むことができました。その理由はこの本の主題がモルモン原理主義の思いもよらない過激な側面についてスポットをあてていることにももちろんありますが、クラカワーの描写力が優れていることに最大の要因があります。膨大な資料を読みこなしインタビューで本音を聞き出す取材力、揺るがない見解、彼独特の皮肉が適度に利いた、飽きの来ないスリリングな文章は、ほとんどノンフィクション作家として完璧のように思えます。とりわけ章の末尾にくる文章やシーンの展開は読者の関心がとぎれないようによく練られていて、良質なミステリー小説を読んでいるかのようです。

 ただ四百ページを超える大冊で、文字も小さい。「空へ」「荒野へ」以外にクラカワーには「エベレストより高い山」というエッセイ集が文庫本で出ていますので、目が悪い人や忙しい人、お金のあまりない人にはそちらをお勧めします。「信仰」とは全然関係ありませんが、クラカワー自身、実は若い時は先鋭的な登山家で、その彼が一般にはなじみの薄いクライマーたちの奇特な世界をユーモアたっぷりに描いています。とても面白く読める、隠れたクラカワーの最高傑作かもしれません。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マン・オン・ワイヤー

2009年10月12日 21時30分29秒 | 書籍
 だいぶ前から見たくて見たくてたまらない映画があった。2008年度アカデミー賞(最優秀ドキュメンタリー部門)を受賞した「マン・オン・ワイヤー」という映画である。以前、愛聴していたTBSラジオ・ストリームで町山智浩が絶賛していた。フランスの「綱渡士」(!?)が当時完成したばかりのワールド・トレード・センターで、厳しい警備の目をかいくぐってワイヤーを仕掛け、綱渡りを敢行するというコアな冒険ドキュメンタリーである。

 何十メートル、何トンもある鋼鉄ワイヤーをいったいどうやって仕掛けたのか知りたくて知りたくてたまらず、8月にインドから帰国したらすぐにネットで上映スケジュールをチェックした。でもおしいことにタッチの差で都内近郊での上映は終了していた。

 しかし最近、そういえばそろそろDVDになったかなと思いアマゾンで調べると、綱渡士本人であるフィリップ・プティが書いた本の日本語版が出版されているのを発見! その場で購入した。

 本の帯には「史上最も美しい犯罪」との文句が踊るが、それも納得。綱渡り自体のすごさも去ることながら、それを実行するために行った事前の偵察活動が圧巻だ。ビルの屋上のどこにどうやって、どの道具を使って鋼鉄ワイヤーを張るかを調べるため、設計図の入手はもちろんのこと、建築誌のジャーナリストを装い広報担当者に屋上でインタビューしたり、ビルの内部に協力者を作ったりとまさにスパイ顔負けの情報活動を展開している。実際、綱渡りが成功した後はビルの管理責任者に乞われて、警備のどこに穴があるのか講義したというから笑える。うーん、早く映画も見たい。

 ところでストリームは復活しないのかな。後継番組はパーソナリティーのしゃべりがただのおばちゃんの世間話状態になっちゃってて、正直聴くに値しない。町山さんは金曜日に映画コラム持ってるけど、番組自体がつまらないので聞かなくなってしまった。小西克哉もコメンテーターより司会の方がうまいよな。
 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コロンブスそっくりそのまま航海記

2009年05月15日 12時17分54秒 | 書籍
 マラリアの薬を買いに行った時に立ち寄った八重洲ブックセンターで、ロバート・F・マークス「コロンブスそっくりそのまま航海記」(朝日新聞出版)を見つけ、購入。

 著者が1962年に、コロンブスの当時の航海をそのまま再現して大西洋を横断したときの冒険の物語である。コロンブスが乗っていた当時の船や航路を再現(実際のコロンブスの船よりかなり小ぶりだったようだが)しようとしたのは当たり前だが、笑えるのは船内に持ち込んだ細かい装備や食料まで当時のものにこだわったことだ。

 《この(食料)リストで一番困った品物はビスケットだった。コロンブス時代のビスケットはいったいどのようなものだったのか?》
 
 フランス人ミシェルが乗員になりたいと希望してきた時には、
 《ミシェルにもひとつだけ難点があった。国籍である。そもそもわたしがアメリカ人であることがすでに話題になっていた。(中略)乗組員は全員スペイン人でなければならないのだ》

 もちろん、そこまで厳密なこだわりは航海中に次第になし崩しになり、最後は様子を見にきた米軍機から水や食料の配給を時々受けて、なんとかスペインからアメリカまで到達した。しかし、面白いのは間違いない。装丁もかっこいいので、本は本棚に飾っておくだけという人にもお勧めだ。

 コロンブス関係ならギャビン・メンジーズ「1421」(ソニー・マガジンズ)も面白い。アメリカ大陸を発見したのは実はコロンブスではなく、中国・明の鄭和艦隊が先に到達していたことを、英国海軍の艦長だった著者が豊富な航海の経験と様々な史料から実証したノンフィクションである。



   ☆   ☆

 ところで今日、朝起きて、いつものようにコーヒーを飲もうと思ったら、間違って焼酎をコップについでいた。うーん、習慣というのは恐ろしい。なんだか生活と自分の内面が徐々に崩れてきているようでぞっとした。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チャンドラー

2009年05月09日 09時45分00秒 | 書籍
 最近、書店には村上春樹訳のレイモンド・チャンドラー「さよなら、愛しい人」が平積みになっている。それを見て、何年か前に発行された「ロング・グッドバイ」をまだ読んでいないことを思い出した。

 チャンドラーは学生の頃大好きで、清水俊二訳の早川文庫版は全部(だったかな?)読んでいた。村上訳の「ロング・グッドバイ」は、初版で買ったのはいいものの、やたら分厚くそのまま読まずに放置していたのだ。

 改めて読んでみるとめちゃくちゃ面白い。原稿用紙で軽く千枚は超えそうなボリュームだが一気に読み終えた。そのまま「さよなら、愛しい人」も購入したが、「ロング・グッドバイ」の方が断然いい。情景描写や話の筋とはまったく関係のないうんちくも、チャンドラー独特の突き放したような言い回しが魅力的で飽きない。あとがきによると、清水訳の「長いお別れ」はかなり細部を省いているらしい。

 いやー、読んでよかった。ひま人でよかった。

 そういえば、昔「長いお別れ」を読んでフィリップ・マーロウにあこがれた僕は、就職してお金に余裕ができて初めてバーに行った時、満を持してギムレットを頼んだ。初めてのバーはギムレットを飲むと決めていたのだ(チャンドラー風)。でも、ジンの苦味が強烈で気持ち悪くなり、悪酔いしてバーのトイレで吐いてしまった。それ以来、二度とギムレットだけは飲むまいと決めている。

 チャンドラーの話でも書いとけば、下品だというブログの印象を薄くできるかと思ったが、最後はまた下品な話になってしまった。おかしいな。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サバイバル

2008年12月20日 02時46分58秒 | 書籍
服部文祥「サバイバル!」(ちくま新書)を読んだ。前著「サバイバル登山家」では学生時代に知床半島で吹雪に閉じ込められる話から始まったが、今回はヨーロッパアルプスで登攀中に墜落して九死に一生を得る話から始まる。

雪男捜索に出発するだいぶ前に服部さんに会った時、「新書を書いてるけど、サバイバル登山家と同じ本になっちゃいそうだよ」と言ってた。前回とは違うエピソードをそろえたが、確かに内容は前著を少し削ぎ落としたという印象。でも相変わらず言葉づかいが巧みなので一気に読むことができる。

服部さんのやってることって、基本的に釣りや鉄砲を交えた山登りなので、こういうことやっている釣り師や沢屋ならおれの周りにもいるよって思う人も多いと思う。でも、面白いのは行動の背後にある確固たる思想を、わかりやすい言葉でストレートに表現している点だ。ここまで考えて、というか、何かを感じて山を登っている人っていない。僕ものんべんだらりと登ってるし。ただ、登山やってない人は、文章の思い入れが強い分、「サバイバル登山家」の方が面白く読めるのではないだろうか。

ところで、僕は新聞記者の時代、服部さんのサバイバル登山を夕刊社会面で取り上げたことがあった。販売促進に大変寄与させていただいたのだが、その時、一緒に取材名目で越後の沢でプチサバイバル登山をしてきた。
僕の車で出かけたので、当時住んでいた埼玉県熊谷市の駅で待ち合わせしたんだけど、服部さん、あの時、獣臭かったなあ。山の中に入って20メートルくらい離れてて、姿が見えなくてもどこにいるか臭いでわかった。

しかし、その後、町であっても臭わない。なぜだろう?曜日によって臭いが変わるのだろうか?

うーん、サバイバル登山は奥が深い!

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする