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Fate/stay night ファーストインプレッション

2007年01月09日 01時35分38秒 | アニメ・コミック・ゲーム
3つのルート、5つのエンディングをようやく見終わって、残すは桜ルートのバッドエンディングを見て回るのみという状況。語りたいことはいろいろとあるので、まずはその第1回目。

まず、ゲームとしての評価だけど、簡単に言えば0点である。つまり、ゲーム性がないので、ゲームとして評価はできない。他のこうしたノヴェル系ゲームをやったことがないので、ジャンルとしての評価ではないが、少なくとも「Fate/stay night」はゲームとは呼べない。
既に述べたように、事実上選択肢に意味はなく、ルート分岐やエンディング分岐の効果はあるが、それだけではゲームとは呼べない。正直、選択肢なしでいい。その方が集中できただろう。なんなら2周目から選択肢を付けるとかしてくれると良かったかも。
とにかく、これをゲームとしては評価できない。ゲーム性を利用して物語を表現する努力は放棄されているからだ。従って、あくまでもビジュアルノヴェルという表現形態の物語として批評する。もちろん、言うまでもないがゲームでないことは欠点ではない。

思い至った現在の感想は、「軟弱な『北斗の拳』」である。

最初のセイバールート、次の凛ルートは非常に面白かった。最後の桜ルートはかなり苦痛ではあったが。
その面白さの質は『北斗の拳』などに近い。設定が上手く、その中で巻き起こる戦いにわくわくする。あくまでも戦いが物語の中心を占めている。
『北斗の拳』を挙げたのは、Fateが影響を受けた作品に『ベルセルク』の名が挙げられていたことへの批判とも言える(Wiki参照)。足掻くものを描いた『ベルセルク』とFateにはもちろん共通する要素もあるが、決定的な違いがある。
エンターテイメントはおよそ2種類に分類され、簡単に言えば「理」と「情」である。「理」が勝った作品は、基本的にその世界の論理を超えることが出来ない。相手に勝つには、相手を上回る論理が必要となる。一方、「情」が勝った作品は、基本的にその世界の論理よりも優先される力を示す。相手に勝つには、相手を上回る理由が必要となる。その理由はロジカルなものでなくていい。他の者より不幸だったからとか守るべきものがいるからとかで構わない。
「情」が勝った漫画を岡田斗司夫は「バカマンガ」と呼んだが、それは貶しているのではなく、そういう性質のエンターテイメントであるというに過ぎない。そして、Fateもこの系列に位置する。

『キン肉マン』『北斗の拳』など少年ジャンプ黄金期に特に輝かしい勢いを見せた「バカマンガ」だが、Fateは紛れもなくその正統な継承者だ。「バカマンガ」は理にかなってはいないため、通常であれば読み手に拒絶される。しかし、優れた「バカマンガ」はその圧倒的な勢いで馬鹿げた物語を読み手に納得させてしまう。どれほど馬鹿げたことでも、読んでいるその一瞬だけは読み手を頷かせてしまう力こそが、特大の快楽となって読み手を惹きつける。
Fateの場合、設定を細かく論理的に組み上げておいて、一見「理」にかなったように錯覚させておき、強烈なパワーでプレイヤーを惹きつけている。マンガではないがその系譜を継ぐものとして、あえて21世紀最高の「バカマンガ」と評してもいいだろう。

それほどまでに面白い作品ではあるが、当然のことながら「バカマンガ」は評価しにくい。理に合わないことを力技で納得させるような物語を、理で計ることに無理がある。Fateの物語を批評すれば、百や千の批判はたやすくあげつらう事ができる。一見「理」があるように見えるからなおさら、その物語の破綻は語りやすくなっている。
そうした批判はおいおいするとして、言えることは、そうした批判を抱いても、それでも面白いということ。ただし、最初の二つのルートに限られる話だが。

桜ルートに関しては、厳しい意見だがない方が良かった。プレイしたのは時間の無駄に近い。批評するのにやらないといけないという思いがなければ途中で投げ出していたかもしれない。特に桜ルートのTRUE ENDINGなんてギャグかと思った。本だったら叩きつけていたし、卓袱台ならひっくり返していたところだ。
「情」が勝る作品世界というのは、言ってみれば主人公の望みが叶う世界である。ある意味、不可能なことがない世界だ。そんな世界で、作り手がテーマを語ることに本来無理がある。悩みも葛藤も結局は思い通りになってしまうのだから、それはあってないような悩みや葛藤に過ぎない。それでも、最初の二つのルートではそれなりに描こうとして努力している様が見て取れた。
全体を通して、主人公の傲慢さには辟易したが、凛ルートでは向かうべき対象が上手く合っていて描こうとするテーマ性をそれなりには表現できていた。GOOD ENDINGにはがっくり来たが、TRUE ENDINGは物語として納得できるものとなっていた。
しかし、そうした評価も最後のルートで吹っ飛ばされた。Fateへの評価、奈須きのこへの評価を著しく下げてしまった。

「なんのために戦うのか」という問いは、実はあまり意味がない。戦わなければならない場面で、そんなことを考えていては戦えない。そして、戦いたくない者が戦わなければならない場面はめったに訪れないし、訪れたら死ぬだけだ。意味があるのは、戦いたくない人間に戦う気を起こさせる、または戦おうとする人間のその戦意をくじくことだろう。
Fateで主人公がまっとうでないのは自分がないからだ。自分の欲がないし、他人への愛もない。それでいて自分の考えを他人に押し付ける傲慢さが鼻につくが、それはここでは追求しない。
それでも自分の規範を持ち、そこから考えを巡らしていたうちは良かった。桜ルートではその規範を壊してしまう。それに代わり得るものとして、「愛」を描こうとするが、それは描けば描くほどまがい物だった。結局、自分を持たない主人公が愛を知ることはない。事ここに至っては力技でも納得できるだけのものとならなかった。

今回はネタバレに気を付けつつ、印象を書いたが、今後ネタバレ込みでいろいろ批評してみる予定だ。まあ批判だらけになるのは分かりきっているが、それだけ作り手の思いがストレートに描かれているからだろう。また、他の作品との比較みたいな形での批評もする予定。まあそんなの書いても読む人がいるかどうかは甚だ疑問だけど、折角プレイしたので書くことも込みで作品を楽しむことにする。


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