奇想庵@goo

Sports, Games, News and Entertainments

『裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心』

2011年05月05日 17時58分21秒 | 学問
裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心 (新潮選書)裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心 (新潮選書)
価格:¥ 1,260(税込)
発売日:2010-05


日本人の羞恥心の変化を江戸末期から明治初期にかけて描いている。理由付けはともかく、資料の豊かさは注目に値する作品だ。

黒船来航以降多くの外国人が日本を訪れ様々な記述を残した。文章だけでなくイラストとしても。ヴィルヘルム・ハイネの描いた銭湯の様子を切り口に当時の日本人の羞恥心のあり方を探っている。
当時の日本では、一部の上層階級を除くと「裸」に対する羞恥心を持っていなかった。江戸期の銭湯が混浴だったことは有名だが、幕府からは何度か禁令が出されている。それによって、全ての銭湯が混浴だったわけではないが、洗い場が男女共同だったりと今から見ればほとんど混浴といった銭湯も少なくなかった。また、地方までそうした禁令が行き渡っていたわけではない。

開国当初多くの外国人(欧米人)が銭湯に見物に行った。それほどその事実は驚きをもって知れ渡っていた。単に混浴だっただけではなく、裸に対する羞恥心の無さが特徴と言えた。
銭湯から裸のまま家まで帰ったり、往来から見えるところで行水することが当たり前に行われていた。

こうした日本人の態度に外国人たちは興味を持って覗きに行く一方で、不道徳として糾弾も行った。間もなく、性的な関心をもって覗かれることに羞恥心を持つ女性たちが現れてくる。(もちろん、そうした羞恥心を持った女性はそれ以前からいたし、羞恥心の広がりも地域差などが大きかった)
更に明治政府が樹立すると、「裸」は文明的でない、遅れている証として取り締まられることになる。

新聞も当初はそんな取り締まりを揶揄する記事を書いたりしていたが、やがて積極的に「裸」への批判を繰り広げるようになる。芸術的な裸婦像に対して公開に批判的な立場を取ったりした。

性的に見られることで隠すようになり、隠すことで羞恥心が芽生える。庶民レベルでは浸透に時間が掛かったが、ある程度以上の階層ではエスカレートしていき水着姿まで人目にさらすことを恥ずかしく感じるようになる。




日本人の羞恥心のなさは戦国期のルイス・フロイスなどの宣教師の残したものからも知られている。布教に際して彼らは日本人の羞恥心のなさを改めようと努力したが十分な効果を上げられなかった。
また、江戸期に来日した朝鮮通信使たちも指摘している。

この「常識」を変革させたのは、明治政府の強権とメディアによる新たな「常識」の構築による。欧米的価値観を是とし、それに近付くことが目的とされた時代だった。それでも温泉地での混浴などはかなり後まで残った。

「常識」の変化は常に起きている。現代では国家権力がそれと分かる形で関与するケースは少ないが、権力やメディアによる変革は今も変わらず存在する。また、科学技術の変革が「常識」の変革に結び付くケースも多い。携帯電話の普及による「常識」の変化の大きさは相当なものだろう。

明治後期に「良妻賢母」という新たな概念が提唱され「常識」化されたが、それが「一家心中」を生み出したという指摘もある。羞恥心の獲得によって性犯罪に影響を与えただろうという指摘が本書でもなされている。

明治維新によって「裸」や「性」に対してオープンだった日本の伝統文化に大きな変革が加えられた。羞恥心に関しては急に昔のようになることはないだろう。一方、風俗関連産業の規模が世界でもトップクラスと言える状況など性のあり方については明確な規範のなさが一因なのかもしれない。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿