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感想:『全集 日本の歴史 別巻 日本文化の原型』

2009年09月16日 22時24分30秒 | 学問
全集 日本の歴史 別巻 日本文化の原型全集 日本の歴史 別巻 日本文化の原型
価格:¥ 2,730(税込)
発売日:2009-05-29


近世庶民文化史の副題通り、江戸期における庶民文化を取り上げている。

プロローグ「無事と士農工商の世界」

戦乱に明け暮れた時代から戦乱のない平和な時代へと移り変わり、だからこそ生み出された文化という側面を示している。特に、定住化、巨大消費都市の誕生、職分制国家というシステムの変化による近世の誕生とその特徴を記している。

第1章「ねぐらから住まいへ」

戦乱がなくなり、定住することが可能となった時代、村落において家は掘立式から礎石式へと徐々に変わっていく。とはいえ、その変化は決して早くはない。江戸後期になってようやく庶民レベルまで浸透し、その結果自分の家に対してより住みやすい環境作りに気を回すようになる。

第2章「暮らしを潤す」

絵画が庶民の暮らしにどう関わって来たかを描く。絵画の画題として庶民の暮らしが描かれる一方、それを鑑賞するのは武士層、都市部上層民、村落の有徳人といった階層であり、木版印刷によって浮世絵などが庶民の暮らしに溶け込まれていくのは江戸後期の話となる。

第3章「学ぶ、知る」

参考文献として先日読んだリチャード・ルビンジャー『日本人のリテラシー1600-1900年』も挙げられている(その本の中でも本書の著者青木美智男氏の研究に触れられている)。専門書ではないので概略的な説明だが、外国人の観察による日本人の識字率の高さを示し、一方で教育を受けたとはいえそれは非常に浅いレベルのものに過ぎないことも指摘している。

第4章「文具をつくる、文を書く」

これまで史学においてあまり研究されていない、紙、筆、墨、硯、そろばんなどの文具について書かれている。兵農分離により、文書による社会システムが構築され、その結果識字率の高まりと大量の紙の消費が起こるようになった。文具はやがて庶民でも必需品となり、その生産も多様化し、様々なレベルの文具が生み出されることとなる。

第5章「知と美を広める」

主に出版産業について語られている。日本では木活字は定着せず、木板印刷が普及する。これによりり絵と文章を組み合わせたり、振仮名を多彩に振ったりすることができるようになった。出版は京都、大坂、江戸の三都がその資本力もあって占有し、本屋や貸本屋を通して読者の手に渡った。貸本屋のマーケティングから本が出版されたりもした。地方では村の有徳層が貸本に関わるケースも目立った。

第6章「食べる、着る」

大量消費都市の誕生によって外食文化が定着し、また野菜や魚介類の流通や市場が本格的に生み出されることとなった。塩・酢・味噌しかなかった調味料に、醤油や清酒が加わり、料理屋による専門の料理人の手によって「和食」が形成される。清酒の上方による江戸市場独占や、木綿の普及による庶民の着衣の変革についても述べられている。

第7章「浮世の楽しみ」

三都で圧倒的人気を誇った芝居の隆盛と、それに影響を受けた村芝居への庶民の傾倒が記されている。

第8章「旅への誘い」

街道が整備され、江戸期は旅の時代でもあった。旅への思い入れと、それに対する観光ガイドブックの時代別の切り口の変化を示している。初期は参詣目的主体だったものが、『都名所図会』のようにはっきりと物見遊山目的へと変わり、『東海道中膝栗毛』に至って食い気や色気が目立つようになる。

エピローグ「『ごんぎつね』と環境歴史学」

童話『ごんぎつね』とその話の故郷知多半島を元に、江戸期における環境問題へのアプローチを見る。経済が発展し、産業が確立する中で環境問題は避けて通れないものとなった。その際の尾張藩による一つの取り組みが書かれている。




庶民文化史ではあるが、江戸期の庶民はそれまでの自給自足的な生活環境から大きく様変わりし、産業化し、経済システムが確立する中で消費者としての立場も担うようになる。生産者や流通の立場としても、単に指示されたものを作ったりすればいい時代ではなくなった。江戸後期になると多くの庶民は市場とは無関係に生きていけなくなっていた。そうした日本の経済化の姿が見て取れる本となっている。

江戸が当時世界でも最大級の消費都市であり、大坂堂島では世界最初の先物取引市場も生み出された。アジアの市場にヨーロッパ勢が加わった16世紀、日本は資源大国として金・銀の輸出で中国から絹などを輸入していた。金銀の生産が衰退した時、生糸の自国内での生産などによってその危機を脱しようとした。江戸期において日本は非常に経済化し、近代化の一歩手前まで自力でたどり着いていた。
江戸末期は江戸期の社会システムが最早破綻寸前になっていたのは間違いない。そこに開国による経済危機が拍車を掛け、幕府を転覆へと導いた。だが、崩壊寸前だったとはいえその社会システムは閉じた範囲で言えばかなり豊かな社会状況を生み出していたとも思われる。
19世紀の江戸時代は庶民レベルまで高い文化を享受する環境にあった。庶民の多くは文化の受け手というだけでなく時に生み出す側にさえ回った。大衆文化が成熟し、豊かな国と今の基準から見れば言えただろう。だが、明治維新により海外を相手にするには相当の意識改革が必要だった。ほどほど働き余暇に文化を享受する社会は悪と見なされ、富国強兵・殖産興業の名の下、「頑張る」ことが美徳とされる社会が築き上げられていった。

それでも明治維新による変化は、江戸期開始時の変化に比べると小さいようにも思われる。織田・豊臣・徳川による戦国期からの変革は、兵農分離という強大なものだった。武士を城下町に集め、村落には百姓しか残さない。村は郡代や代官の下に置かれるが村内部は村方三役と呼ばれる村役人によって管理される。武士層と村役人との間では文書によるやり取りがなされる。町や商業に関しても、町役や株仲間などを通した間接支配が基本だ。
幕府は貿易を管理し、大名や朝廷を束ねる。幕藩体制下では、藩内は藩の自治ではあるが、幕府の目も光っており無茶はできない。経済化していく社会によって幕府も藩も財政が最大の課題となっていく。庶民生活への干渉は各種禁令によって行うが、直接の取り締まりは容易ではなく、常に実効性の問題が付きまとった。




横道ばかりとなってしまった。
本書への感想としては、個々の興味深い事例が多かったことだろう。だが、時期、階層、地域の差をもっと明確にしてそれぞれの話題に対して記して欲しかった。『日本人のリテラシー1600-1900年』で明治期の識字率の調査を見ると、鹿児島や愛媛、青森などの識字率は低く、産業化した江戸期日本の辺境に位置していたように思える。江戸期も前期と後期で大きな違いがあり、武士層を除いても庶民とひとくくりにするのが躊躇われるほど身分階層は広い。庶民にさえ含まれなかった人々の暮らしまで目を向けて欲しかった。
私自身の最大の興味は心性にある。何を考え、どんな常識に従い、善悪の基準を何において生きていたのか。何を求め、何を恋し、何を恐れて暮らしていたのか。それは現代とどう同じでどう違い、その違いはいつ生まれたのか。欲について、食欲に関しては1章を割いているけれど、色欲に関しては触れられてはいるものの記述はほとんどない。それらの研究は多いが、庶民文化の本でそれらに触れないのは片手落ちの感がある。
文献からだけでなく、「もの」を通して社会を描いたという意味では画期的な内容だったが、もう少し庶民に関わらずその時代に生きる人々の心に迫って欲しかった。そこまで求めるのが酷だとは思うが。


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