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キャラを立てるということ

2007年02月03日 21時37分26秒 | アニメ・コミック・ゲーム
アニメ「Venus Versus Virus」を題材にキャラを立てるということを検証してみたい。
このアニメは原作付きだが、原作は未読。アニメの第1話と第2話を取り上げる。

主人公は、ルチアとスミレという二人の少女。彼女たちが、普通の人間には見ることのできない魔物を退治することが描かれる。
第1話は依頼を受けて魔物を倒す様が、第2話ではスミレの過去が描かれた。

まずスミレから見ていく。
彼女はまだこの仕事に不慣れで、第1話では敵をおびき寄せるエサとしてルチアに利用された。しかし、彼女はバーサーク状態となることで、魔物に対し圧倒的な力を発揮できる。ただし、その際には自身をコントロールできない。
第2話では、ルチアらにその力を実験されることに不満を抱いて、彼らのもとを離れそれまでの学校生活に戻ろうとするが、魔物に狙われたことを契機にもう戻れないと知る。
自分の意思とは関わりなく魔物と戦える特質を得て、それを利用される嫌悪感から逃れたいという気持ちを描いた第2話だったが、それを描くためにスミレのモノローグを連発するあたりにシナリオの未熟さが目立つ内容だった。
また、自分の身を守るため(魔物が見えると魔物に襲われるため)には戦うしか方法がない状況で、ただ闇雲にもとの学園生活に戻りたいという心情も理解しがたい。何を受け入れ、何を否定するかの線引きがなく、ルチアらに従うか反発するかの二択では説得力がない。
第2話までを見た限りで、彼女が何を望んでいるのかが全く見えてこない。つまり、キャラが立っていない。

キャラが立つとは、そのキャラクターの人となりが見る者に理解されることだ。それは、優しいとかクールとか熱血漢といった単純な言葉や形容詞によって表現されるものではない。分かりやすく言えば、ある状況下でこのキャラクターならこんな行動を取るだろうと予測されるレベルになって初めてキャラが立ったとなる。
そのためには行動基準がある程度明瞭であり、一貫する必要がある。またその基準が見る者に受け入れられるものでないと、キャラは立てにくい。もちろん、その場の思いつきだけで行動するというキャラを作り、一貫してそれを描き続ければそういうキャラとして立てることも不可能ではない。ギャグキャラならともかく、ストーリーに絡ませるのは難題だろうが。
TVアニメの第2話までで、そこまで深く理解させることは難しいが、主人公クラスはある程度キャラを立てないと見ている者を物語に引き込むことは困難だ。

ルチアの方を見てみよう。
彼女は魔物の退治屋のリーダーであり、非常にクールに振る舞っている。眼帯を付けた左目には特殊な力が備わっているようだ。半人前のスミレに比べ、プロとしてしっかりしているように見える。
ところが、第1話でいきなり弱音を吐く。魔物との戦闘でもかろうじてバーサーク化したスミレに助けられる。第2話では逃避するスミレに気持ちは分かると言う。
強さをきっちり描いた上で、内面に潜む弱さを描くなら効果的だが、強さが描かれる前にこれでは見る者は見た目とのギャップに失望してしまう。ギャップを狙っていたのならともかく、単にキャラの立て方を知らなかっただけだろう。これでは単に二人の少女が魔物と戦うだけの話で、物語性は成り立たない。

同じく1月スタートのアニメ「Saint October」も少女が魔物と戦う話だ。変身少女もののフォーマットのため、より非現実的な設定だが、キャラを立てることに成功している。
主人公の葉山小十乃(ことの)は親に捨てられ教会で暮らしている。親友の白藤菜月と共に少女探偵でもある。これだけでも突っ込みを入れたくなる設定だが、ことのの捨て子であるという自覚は作品内に芯を通している。第1話で敵から両親の幻想を見せられたが、それを意思の力で振り払った強さは、彼女の自覚が育んだ強さだろう。同じような境遇に見えるヨシュアという少年への振る舞いなど、彼女のキャラを立てるための演出が細部に織り込まれている。
キャラが立っているからこそ非現実的な設定の中でも生き生きとした魅力を見る者に与えることが出来ている。物語においてキャラが全てではないが、エンターテイメントにおいてキャラの力は絶大であり、作り手にとって大きな武器と成りうるだけに、魅力的なキャラを作ることはもちろん、キャラを立てることが大切となる。

「Venus Versus Virus」は演出が未熟すぎてこれ以上見るのは苦痛だ。アニメ版の「Fate/stay night」も演出に難を感じてあと数話で終わりだが放置してしまっている。シナリオの程度が低すぎるものを除くと、演出のひどい作品が苦手だ。エンターテイメントにおいては時にシナリオ以上に重要な要素だけに、工夫や意図の見られない演出は見る価値のないものと私の目には映る。アニメに限らず、作り手の熱意の感じない作品に付き合うほど暇ではないのだから。