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ファンタジー

2007年02月24日 22時52分41秒 | アニメ・コミック・ゲーム
ファンタジーはよく使われる言葉だが、私自身は真のファンタジーを2種類に分類している。
ひとつは、世界の有り様を形作るもの。もうひとつは、リアルを描くために使われるものだ。両方を兼ね備えたファンタジーもあれば、そのどちらでもないファンタジーもある。どちらでもないファンタジーは、基本的にツールとして利用されたファンタジーであり、そのこと自体は別に構わないが、ファンタジーとしては評価に値しない。

世界系ファンタジーとは、例えば魔法がある世界を描くとして、よくあるファンタジーのように中世的な世界にただ漫然と魔法が存在しているというものではなく、魔法があることで世界がどんなものになりうるかという一種の思考実験を指す。魔法が使えれば当然世界の有り様は大きく変わる。魔法でできることは魔法でするだろうから、魔法が広く普及していると例えばどんな商売が成り立ち、どんな商売が成り立たないかを丁寧に確認しなければならなくなる。
こうした面をうまく描いた作品に『サガ・フロンティア2』がある。主人公の一人ギュスターヴは、大国の王子として生まれながら、世界中のほとんどの人が使える魔法のようなもの「アニマ」を使うことができず、母と共に追放される。彼は阻害されながらも、「アニマ」を持つ人たちからほとんど注目されなかった「鋼」を利用することで覇王へと至る。「アニマ」があれば、包丁がいらない。鍛冶技術も発達しない。ごく少数の「アニマ」を使えない人たちのための技術として細々と存在していたようなそれにギュスターヴは惹きつけられ、自分の力とした。このゲームのギュスターヴ編は独特の描き方(ほとんどがイベントを見るだけ)となっているが、世界観の確立には大きく寄与している。

一方、現実を描くためにファンタジーの手法を取る作品は少なくない。問題を顕著化する点ではかなり便利な方法だから、昔から実によく使われてきた。
この系統の作品は数多いが、優れた例としてコミック『Papa told me』を挙げよう。この作品は、父親と娘との二人での生活を描いた物語で、基本となる舞台は現実世界である。主人公・的場知世(ちせ)が魔法を使えるわけでもない。この物語は甘いだけでなく、社会へのまなざしを少数者の側から当てることで、刺々しい批判ではなくチクリと針で刺すような痛みを与えてくれる。時に不可思議な出来事が起こる世界だが、そうした分かりやすい出来事をファンタジーと呼ぶのではなく、そうした不可思議も含めた世界の有り様がファンタジーだ。

あえて「異世界」と銘打って優れたファンタジーの名を挙げるなら、紫堂恭子の『グラン・ローヴァ物語』&『辺境警備』、小野不由美の『十二国記』、三浦建太郎『ベルセルク』を挙げよう。
紫堂恭子の一連の作品は、世界観の構築も主題の描き方も非常に丁寧だ。キャラクターの魅力と相俟ってとても素敵な物語を紡いでいる。
『十二国記』に関しては、正直物語としてはそんなに高く評価はしていないが、その世界観の有り様がとてもユニークで興味深い。もうちょっと掘り下げて欲しい面もあって、その点は物足りなさも感じるがそれでも国産ファンタジーでは傑出した世界観と言えるだろう。
『ベルセルク』は絵の力を背負う世界観というべきか。まさに描きたいものを描くための世界がそこにある。その重さと痛さは強烈で他に比べるものが無い。そのため読むにもパワーが必要だったりするが。

ゲームの世界では、先に挙げた『サガ・フロンティア2』を含む『サガ』シリーズが世界観の構築という面で健闘してはいるものの、物語主導のゲームではファンタジーはツールに過ぎないと言っていいだろう。特にファンタジーをタイトルに冠した大作シリーズではそれが顕著だ。まあゲームの場合、世界観が良ければ面白いゲームになるというわけでもないので、そこまで力を入れていないとも考えられるが。