奇想庵@goo

Sports, Games, News and Entertainments

映画とゲーム

2007年02月01日 19時00分34秒 | アニメ・コミック・ゲーム
ネットで「文芸ジャンキー・パラダイス」なるサイトを見つけた。
いろんなエンターテイメントをランキングしているサイトだが、やはり驚かされるのは管理人カジポン・マルコ・残月氏の情熱だ。例えば洋画のランキングが1000ってそれだけで凄い。それに解説までつけているのだから恐れ入る。

ランキング自体はかなりオーソドックスだが、やはりそれだけの数を見る熱意と、世評を踏まえながらもそれに左右されない評価がなされているように思える。私自身、昔、一時期だがかなり映画にハマり、それなりに名画なども見たが、長続きしなかった。もしかしたら彼のような映画マニアになっていたかもしれないが、それを妨げた最大の要因は間違いなくゲームの存在だ。
カジポン氏も「ゲームの功罪」というコラムで書いているが、ゲームは良く言えば時間単価で価格の低さが売りと言ってもいいエンターテイメント、悪く言えばとにかく時間を無駄に食うメディアだ。氏はPS、SS、DCをプレイしているようだが、私はそれより早くファミコン時代からゲームにハマり、いまだに抜け出せていない訳で、そのゲームに費やした時間を例えば映画の鑑賞に向けていれば、彼に勝るとも劣らない程度見ることができたかもしれない。

映画は総合芸術である。
それは、テーマとストーリーがあり、役者が演技し、それを撮影し、編集し、そこに効果音や音楽を加えていく。時には特殊効果なども付加する。また、セットを組んだり、ロケを行ったりもする。役者は衣装を身に纏い、メイクを施される。こうした様々な要素をシステム上監督が統括することとなる。即ち、監督が思い描くものをあらゆる表現手段を利用しつつ作り上げたものが映画と言える。
ゲームもそんな映画に近い部分がある。一時ゲームの映画への接近が言われ、ひとつの目標めいたものとされることもあったが、最近ではそうした言説は減ってきている。
映画は既に100年以上の歴史を持ち、様々な批評技術によって鍛えられてきた。それとゲームとを単純に比較することはナンセンスだが、比較の中から互いに得られるものも決して少なくはないと思う。

ここで改めて語っておくが、「エンターテイメントの本質」の記事で述べたように、面白さには言葉で表現できる面白さと表現できない面白さの二つがある。前者は批評される要素であり、映画であれば芸術性、小説であれば文学性と表されるものだ。後者は娯楽性であり、低く見なされることの多い要素である。
映画とゲームの比較では、前者の芸術性において全く比較にならないほどのレベルの差がいまだに存在している。ゲームにおけるテーマや物語性は正直子供だましと呼ばれても否定できない程度のものだ。もちろん、ゲームをプレイして感動した人もたくさんいるのは事実だし、そうした人たちはこの意見に納得できないだろう。ただその多くは、他のメディアよりも感情移入しやすいゲームの特性が発揮されたものだったりする。
これに対し、娯楽性においては、ハリウッドの一流の映画作品と互角以上に渡り合えるゲームはいくらでもある。メディアの特性として、短時間で手軽に楽しめる映画と楽しむまでに時間や手間がかかることの多いゲームの差異は当然存在するが。

強みを生かすという意味では、ゲームが娯楽性に特化するという方向性は間違ってはいない。任天堂の方向性だし、最近袋小路に入った感のある非娯楽的要素を含む作品がライトユーザーに難しいという印象を与えてその反動として手軽でゲーム性の強い作品が人気となっている傾向がある。
ビジネスモデルの性質上ゲームは娯楽に傾斜している。映画が決して娯楽作品のみで成り立ってないように、ゲームにも多様性を発揮するシステムができれば、ゲームという市場のパイ自身が拡大する可能性もあるが、少なくとも現在そうした模索はほとんど見えてこない。
一方、娯楽映画の分野では、大作と呼ばれるものははゲーム同様にシリーズものが席捲し、ファンの支持は受けるもののそれ以外の観客からは受け入れられにくい状況を作り出している。そうした中で、娯楽性と芸術性の両方を兼ね備えた作品が再び注目を浴びるという流れが出来つつあるような気がする。


カタルシスの作り方

2007年02月01日 17時35分59秒 | アニメ・コミック・ゲーム
『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!』第4話がなかなか面白かったのでそれについて書いておく。

このアニメはほんのちょっと未来の高校が舞台。今以上に学校生活に無気力ぶりが目立つ中で、一人の転校生がそれを変えていくというお話だ。
その転校生、主人公まなびは明るく前向きな性格で、いかにもなキャラであるが、もちろんそんな前向きさだけで問題を解決できるわけではない。それでも、コミュニケーションの力を素直に肯定し、ミュージカル的な表現でかなり力技で問題を解決するあたりは好みが分かれるだろう。
1話で転校生のまなびがいきなり生徒会長になり、2話で生徒会室のリニューアル(生徒会という存在のリニューアルでもあった)、3話で学園祭作りという目標が見つかっての第4話。

学園祭作りに広く関心を持ってもらうためにプロモを作ることになり、言い出しっぺの芽生を中心にCGを使った凄いものを作り始める。ところが、彼女のトラウマに触れる発言がきっかけで彼女はCGを作る手伝いをやめてしまう。まなびたちは、次の生徒総会までにCGを完成させようと徹夜までして頑張る。
この大ピンチは芽生によって救われる。彼女は生徒会室に持ち込んだPCのカメラを通して、頑張るまなびたちの様子を見、まなびの想いを知って、CGを作り上げる。
生徒総会本番、完成したプロモを流し始めて生徒達の注目を集めたその時、いきなりフリーズして再びまなびたちは窮地に立たされる。そこに颯爽と現れたのはやはり芽生だった。講堂の扉を開け、逆光に凛々しく立つ芽生、そのあと壇上に向かって歩きながら次々と指示を飛ばしていく。そして、ついにプロモは復旧し、まなびたちの目標は一つ遂げられた。

主人公を窮地に置き、それを脱することは見ているものにカタルシスを与える基本的な方法である。たいていの場合、見る側はその仕掛けに気付き、窮地は脱せられると知っていてもそれでもカタルシスを感じてしまう。「水戸黄門」の印籠と同じで、お約束でも快楽を得ることが出来るシステムだ。
もちろん、そのピンチがピンチであるほど、またそれを脱する方法が上手ければ上手いほどカタルシスの度合いは増す。
今回のケースでは、一度ピンチを脱して、ホッとした後にもう一度ピンチを作り出すことで、見る者を上手く惹き付けている。最初のピンチがお約束だったのに対して、その後のピンチは不意打ちであり、またその解決法はけれん味たっぷりに演出したことでかなり印象的なものとなった。

まあ頑張りすぎて尺が合わなくなりエンディングがなくなるというハプニングも生まれたが(笑)。

ちなみにこのアニメ、深夜アニメだし絵は萌えキャラなのだが、キャラが弱く恋愛要素にも欠けるため、萌えアニメとしては成功しないだろうと思う。テーマがはっきりしていて、演出が非常にユニークなので見ていて楽しいが、おそらくこの時代、この時間枠でヒットするのは難しい。それが分かるだけにちょっとプッシュしておきたいアニメ作品だ。