リビアが大量破壊兵器の放棄を受け入れて、国際社会―つまり西側-に受け入れられるようになったのは2003年12月(リビア政府の表明の時期)のこととである。
このときは情報機関を通じての工作が物を言ったといわれた。
その後西側諸国は手のひらを返して彼をパリへ、ローマへ、ロンドンへと招き、彼から石油を買い、BPが利権を確保し、いっぺんに親密な関係が構築された。
そして今回の紛争である。
もし大量破壊兵器の保有に成功していたら。もし核兵器でローマやパリが狙えたら、こんなことにはならなかったのにと、カダフィはほぞをかんでいるのかもしれない。
金正日は必ず、自分の判断は正しかったと考えていることだろう。
このときは情報機関を通じての工作が物を言ったといわれた。
その後西側諸国は手のひらを返して彼をパリへ、ローマへ、ロンドンへと招き、彼から石油を買い、BPが利権を確保し、いっぺんに親密な関係が構築された。
そして今回の紛争である。
もし大量破壊兵器の保有に成功していたら。もし核兵器でローマやパリが狙えたら、こんなことにはならなかったのにと、カダフィはほぞをかんでいるのかもしれない。
金正日は必ず、自分の判断は正しかったと考えていることだろう。