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今年1月1日に始めた私のブログが昨日で5ヶ月目に入りました。この機会に、「技術」に対するスウェーデンの考え方と私の基本的な認識を紹介しておきましょう。
環境問題を考えるときも、持続可能な社会の構築を議論するときも、技術は重要です。日本は技術立国を標榜しています。技術者もエコノミストや主流の経済学者も「技術が日本を救う」的な発想で動いているように見えます。しかし、ほんとうにそう考えてよいのでしょうか。
日本とスウェーデンの間には、技術に対する理解と認識に大きな落差があると思います。スウェーデンの「1969年の環境保護法」(99年施行の「環境法典」に統合)は、ほとんど同じ時期に成立した日本の「1967年の公害対策基本法」が規定する「汚染物質の排出行為」を規制するだけでなく、「土地、建物あるいは設備の使用」を「環境に有害な活動」と規定し、事前の環境アセスメントの対象としています。
仮にこの判断基準に従えば、日本の大都市につぎつぎに建てられる巨大構造物の建設は、スウェーデンでは「環境に有害な活動」と見なされたでしょう。また、公共事業や発電所建設などの際に、計画段階から住民の意見を聞き、環境影響評価を行う「戦略的環境アセスメント(SEA)」について、環境省は、経産省に押されて、発電所を適用対象外とする方針を固めたそうです(毎日新聞 2007年3月27日)。スウェーデンでは、発電所こそ、何よりも先に環境アセスメントの対象となるところです。
今回の環境省の決定も、私の環境論の根底を流れる 「今日の決断が将来の環境問題を原則的に決める」という経験則によって、将来の禍根を残すこととなるでしょう。日本の環境アセスメントについては、10年以上前に、次のような報道があったことを思い出しました。
スウェーデンでは、一度、操業許可を受けた施設でも、一定期間(原則的に10年間)経過後には再審査が行なわれます。その理由は「技術」が次の図のように理解され、認識されているからです。つまり、技術それ自体は重要だが、もっと重要なことはその技術が社会のなかで働き、認知され、信頼されることだと考えられているからです。このような考えに従えば、 「原発」は到底、環境にやさしい技術などとは言えないでしょう。
この考えと認識は私の環境論の根底をなすもので、ブログ全体の背景にある考えです。技術立国を標榜する日本の技術論はいったいどうなっているのでしょうか。皆さんはどう考えますか。
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