環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

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改めて、今日の決断が将来を原則的に決める―スウェーデンに失敗例はないのだろうか?

2012-01-20 22:26:20 | 社会/合意形成/アクター
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今日は、改めて、私の環境論の根底にある考え方の一つ「今日の決断が将来を原則的に決める」を考えてみます。私はこのブログ内でこれまで2回、このテーマを取り上げたことがあります。

このブログ内の関連記事
今日の決断が将来を原則的に決める(2007-04-04)

再び、「今日の決断が将来を原則的に決める」という経験則の有効性(2007-07-30)


 スウェーデンと日本の違いは、「予防志向の国」 「治療志向の国」、言い換えれば、「政策の国」「対策の国」といえるでしょう。スウェーデンは公的な力で「福祉国家」をつくりあげた国ですから、社会全体のコストをいかに低く抑えるかが、つねに政治の重要課題でした。そこで、政策の力点は「予防」に重点が置かれ、「教育」に力が入ることになります。一方、これまでの日本は、目先のコストはたいへん気にするが、社会全体のコストにはあまり関心がなかったようです。

 このブログでは、これまで主としてスウェーデンのよい点、成功例を挙げてきましたが、では、スウェーデンに失敗はないのでしょうか。そんなことはありません。世界に先駆けて新しいことを始めるお国柄ですから、失敗例には事欠かないでしょう。問題は、何をもって失敗と考えるかです。そして、失敗であることがわかった時点でその誤りを修正し、先へ進めることができるかどうかです。特に、このブログの主なテーマである 「エコロジカルに持続可能な社会の構築―安心と安全の国づくりの話」 ではなおさらです。たとえば、こんな例はいかがでしょう。

 1997年9月に、北欧の「強制不妊手術問題」が日本のマスコミをにぎわせました。1935年から約40年間にわたって、知的障害や病気を理由に、6万人が不妊手術を強制された、というものです。日本の新聞などマスメディアの論調は、「人権重視のあの福祉国家がなぜ?」という驚きでした。

 北欧の不妊法は、1929年にデンマークで、34年にノルウェーで、35年にはフィンランドとスウェーデンで制定されました。ほぼ同じ時期に、大陸のドイツやスイス、オーストリアなどでも類似の法律がつくられました。また、米国や英国、カナダ、フランスなども例外ではありません。日本では、戦後の1948年になって、「優生保護法」という類似の法律がつくられました。

 30年代は、「悪質な遺伝子を淘汰し、優良な子孫を残すことが人類にとって望ましい」という優生学の思想がヨーロッパで支配的になり、北欧の不妊法もそのような国際状況のなかで生まれたのです。

 100年前のスウェーデンは、ヨーロッパの最貧国でした。人権や平等の理念のもとに、「最貧国」を「福祉国家」に変えるビジョンを掲げた社民党が、初めて政権の座に就いたのは1932年でした。政権に就いて3年たった社民党政権が不妊法を制定した理由は、福祉国家の建設のために、当時最先端の科学として認識されていた優生学の知見が有用であると考えたからです。

 スウェーデンで強制不妊手術を許したのは、宗教的な背景だといわれています。不妊手術はイタリアなどのカトリックの国では許されませんでしたが、スウェーデンのようなプロテスタントの国では、それほど強い抵抗感はなかったのです。

 左右両陣営から広く支持されていたスウェーデンの「不妊法」は、1976年に廃止されました。政府は、国民からの批判を受けて、病気や知的障害などを理由に強制的に不妊手術を受けさせられた市民を対象に、99年に一人当たり約260万円の国家賠償金を支払うことになりました。


 一方、スウェーデンより13年遅れて1948年に制定された日本の「優性保護法」は1996年に廃止となりました。スウェーデンの「不妊法」が廃止された後20年も日本では「優性保護法」が施行されていたことになります。次の2つの記事をご覧ください。






 いくつか別の例を挙げてみましょう。

 東西冷戦体制のときにスウェーデンは国民の80%以上を収容できる核シェルターをつくりました。これには、たいへんな建設費と維持費がかかっています。東西冷戦体制のさなか、核の脅威が差し迫っていた40年前の判断では、この事例は成功例だったかもしれませんが、東西冷戦体制がなくなったいま考えると、これは「失敗例」といえないこともありません。

 60年代末に、核兵器の開発と保有の権限を放棄する選択をしたことや、70年代中頃に「軽水炉・再処理・高速増殖炉」路線を変更し、ワンスルー利用(使用済み核燃料の再処理をしないで、そのまま保管すること)を選択したこと、さらには、1991年に気候変動への対応策として世界に先駆けて導入したCO2税はどうでしょうか。

 携帯電話の導入は? また、「旧スウェーデン・モデル(20世紀の福祉国家)」や、旧スウェーデン・モデルの下でつくられ、年金受給者の安心に貢献した60年の「旧年金制度」は失敗だったのでしょうか。旧スウェーデン・モデルは70年代に、日本の識者から多くの批判を受けました。

これまでに挙げた事例はおそらく、批判が花盛りの頃だったら「失敗例」と判断されたかもしれません。しかし、現在の判断基準に照らせば、失敗とはいえないと思います。

 実はスウェーデンには、 「持続可能な社会」の観点から見て、たいへん大きな失敗例があります。きわめてスウェーデンらしい失敗ということもできます。それは、原発の導入です。

 スウェーデンは60年代から、「環境の酸性化」に悩まされてきました。そこで経済成長にともなって増えつづける電力需要に対処するために、「環境の酸性化への対応」と「エネルギーの自立」と「中立政策」を考えて、水力のつぎに、迷うことなく原子力を選択しました。

 化石燃料を輸入に頼らざるを得ないスウェーデンが火力発電に踏み切ることは、東西冷戦体制のもとで、東西どちらかの陣営から化石燃料を購入することになり、伝統的な中立政策と矛盾することになります。ほかの先進工業国が(やはり化石燃料を自給できない日本もそうであったように)、水力発電のつぎに化石燃料による火力発電を導入したことを考えると、この選択にはスウェーデンらしさがよくあらわれていると思います。

 そして、スウェーデンは、80年代から原子力を廃棄しようとしています。原発の選択は、その時点では成功例だったかもしれませんが、「21世紀の持続可能な社会」に向けての判断基準に照らすと、失敗例だと思います。

 このように、ある事柄が成功か失敗かは、そのときの状況、立場、判断基準により異なります。しかし、21世紀最大の問題である環境問題に対応するには、失敗例に学ぶことではなくて、成功例に学び、予防志向で早めに行動を起こさなければならないと思います。なにしろ、時間がありませんし、失敗したら後戻りができないのですから。

 日本は、目先のコストが高くなることをたいへん気にしますが、社会全体の長期的なコストについては、これまであまり関心を払ってこなかったようです。
 けれども90年代後半になって、戦後の経済復興から一貫して「経済の持続的拡大」を追い求めてきた日本の社会の仕組みから、つぎつぎに発生する膨大なコスト(たとえば、国や自治体の財政赤字、年金をはじめとする社会保障費、企業の有利子債務、不良債権、アスベスト問題など)が目に見えるようになってきました。そしていま、その「治療」に追い立てられているのです。


 

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