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日本の21世紀前半社会の概念形成がますます混乱し、いよいよ迷走し始めたのではないでしょうか。皆さんは表題に掲げた「持続可能な社会」、「低炭素社会」、「循環型社会」、「自然共生社会」、これらを組み合わせた社会が何だかわかりますか。私にはさっぱりわかりません。
これらの言葉は、10月17日の環境新聞に寄せられた鴨下一郎・環境大臣の「バイオマス総合展 2007」開催へのあいさつ文に登場します。バイオマス総合展2007は今日から26日まで東京ビッグサイトで開催されます。
次の図をご覧ください。
検討したい部分は赤枠部分です。
これらの用語の組み合わせは、今年6月に閣議決定した「二十一世紀環境立国戦略」においては、地球規模での環境問題の深刻化を「人類が直面する最大の試練」として、社会経済活動を地球規模で持続可能なものへと築き直すに当たって、「低炭素社会」、「循環型社会」、「自然共生社会」の実現を求めています、という文脈の中で出てきます。
環境分野について、少なくとも日本とスウェーデンを中心に30年近くフォローしてきたという自負がある私にとって「低炭素社会」という言葉を知ったのは比較的最近ですので、試みに今この時点でこれらの用語をヤフーの検索エンジンにかけてみました。その結果、
●「持続可能な社会」は約5,910,000件
●「低炭素社会」は約890,000件
●「循環型社会」は約4,590,000件
●「自然共生社会」は約3,310,000件
という驚くべき検索結果が出てきました。
「持続可能な社会」という概念は1987年の「ブルントラント報告」で定義づけられていますし、「循環型社会」の概念は2000年の「循環型社会形成推進基本法」で定義づけられていますが、「低炭素社会」と「自然共生社会」はどうでしょうか。
そこで、今度はウイキペディアで「低炭素社会」を調べてみました。次のような短い説明しかありませんでした。ということは、この用語の概念が十分に議論されていない、きわめて不確かなことを示しているのだと思います。
低炭素社会(ていたんそしゃかい, Low-carbon society、LCS)とは、二酸化炭素の排出が少ない社会のこと。低炭素型社会ともいう。低炭素経済(ていたんそけいざい, Low-carbon economy)は経済システムを重視した概念であるが、基本的には同じである。平成19年度(2007年度)の日本の環境・循環型社会白書において提唱された。これ以前の2005年ごろから使用されていた用語で、同じような概念があったが、日本では白書以降よく使われ始めた。
この説明にあるように、 「低炭素社会」はきわめて新しい、概念の不十分な用語であることがわかります。
そこで、上の図の環境大臣の「バイオマス総合展 2007」開催のあいさつに戻るのですが、このような概念の異なる用語を3つも同時に組み合わせ、不用意に用いることは挨拶をする方自身が挨拶の内容を十分理解せずに寄稿しているのではないでしょうか。そうであれば、今年6月に閣議決定した「二十一世紀環境立国戦略」も、私には非常に心もとなく感じられます。
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くるべさんの「スウェーデン人はいま幸せか」を読んでいます。スウェーデン人の思考への理解が深まっています。スウェーデンの人々はとても誠実で、心の透明さを持っているんだなーと感じました。
ところで質問なんですが、スウェーデンで脱原発の方向性を決めた最も重要な理由とは何なのでしょうか?チェルノブイリの事故が大きく影響しているとある本に書いてありましたが。小澤先生はどうお考えですか?
首藤さんのご質問は「私の考え」をお尋ねなので、私個人の考えを申し上げます。
私はスウェーデンの脱原発の方向性を決めた最も重要な理由は「国民の意志」だと思います。世界で最も安全性が高いとされていた当時のスウェーデンの原発に対して、国民の40%が国民投票でノー(ということは60%強が原発容認)と反応したからです。つまり、スウェーデン経済を支えていた原発を含む当時のエネルギー体系に国民の40%弱が不安というか疑問を持っていたことを国民投票が明らかにしたからです。
「スウェーデンの脱原発政策」を、原発推進の立場の人が解説した場合と「脱原発」あるいは「反原発」の立場をとる人が解説した場合ではどこに主眼を置いて政策を見ているかで異なってくると思います。また、どちらにも属さない方の解説では、その方個人の「原発に対する判断基準」による解説がなされるでしょう。
スウェーデンの「脱原発政策」(脱原発の議論ではありません)は、1980年3月の「原発に関する国民投票」の結果に基づいて、3ヵ月後の同年6月に国会が「国民投票で過半数を占めた建設中の原子炉を含む12基すべてを使用するという結果を踏まえて、2010年までに12基の原子炉すべてを放棄する」という決議を行ったことに始まります。そして、1986年4月26日、旧ソ連でチェルノブイリ原発事故が発生しました。
では、なぜ1980年3月に「原子力に関する国民投票」が行われたのかといいますと、その前年の1979年に米国でスリーマイルズ島原発事故が起きたからです。ですから、時系列的にみれば、「チェルノブイリの事故が大きく影響を与えているとある本に書いてあった」というのは事実関係として誤りです。
スウェーデンの脱原発政策の説明に「チェルノブイリ原発事故」を引き合いに出し、何らかの関連付けをしたいのであれば、「1980年の国会決議に端を発したスウェーデンの脱原発政策は、6年後に起こったチェルノブイリ原発事故の発生によって世界で初めて打ち出された脱原発政策の正当性を国民に実感させた」というような趣旨になるべきだと思います。
私は数日後から連続して「スウェーデンの脱原発政策の歩み」を改めてまとめておこうと考えております。ご期待下さい。
なるほど、、
「民主主義は多数派のためでなく少数派のためにある」とくるべさんの本にありましたが、
スウェーデンにおける国民の意思の決定過程とは、
日本と違い成熟した民主主義なのでしょう。
ありがとうございました。
これからも期待して拝見します^^
民主主義の成熟度(8/18)
http://blog.goo.ne.jp/backcast2007/e/8994bb07166343550cea55616ceac9ea
原発(4/23)
http://blog.goo.ne.jp/backcast2007/c/a8fa1faae4b334b51b859d7c821d47be
http://blog.goo.ne.jp/backcast2007/e/35530a2e865dceb2c8d9f44daeba6830
でした。