酔眼独語 

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相撲は文化財だ!?

2008-05-27 04:25:56 | Weblog
 大相撲5月場所の千秋楽、結びの一番後の番外戦に非難ごうごうだ。

 朝青龍が倒れた白鵬の背中を突いて駄目を押した。これに激昂した白鵬が肩をぶつけ両者にらみ合いになった。まあ、格闘技の見せ場ですね。

 でも、大相撲は格闘技とは違う。横綱の品格が…、神聖な土俵が…。町村官房長官までコメントを発して苦言を呈している。横綱審議委員会の海老ジョンイルや東北大学相撲部監督を務める脚本家が北の湖理事長に「横綱をちゃんと指導しろ」と申し入れたのはいうまでもない。

 相撲や柔道は格技と呼ばれる。「闘」の文字が抜けている。単なる闘いではなく格式の高い競技だ、などと考えるのは誤解である。「格」は絡み合うことでありそれだけでもつれる様を表している。本来は手偏に各を書くのだろう。手で組んで争うのである。勝った方が「格上」となる。

 相撲は数ある格闘技のうちでも、最も破壊力が大きいものの一つだ。150㌔の巨体が裸で激突する。勇気と闘志が必要だ。気持ちが昂ぶり体全体が紅潮する。

 両者の気合がぶつかり合う立合い前のにらみ合いは、観衆から大きな拍手や歓声を受ける。派手な動作で自分を鼓舞することで人気のある力士もいる。

 力士が土俵の上で繰り広げるすべての動作はパフォーマンスだと割り切って考えたほうがいいのではないか。

 あの一番、二人にとっては横綱のプライドだけを懸けた相撲だったろう。「二人占め」してきた優勝はない。三つも四つも負けてしまった。ここだけは勝って意地を示したい。そんな思いが交錯したに違いない。

 北の湖が言っているように、朝青龍の駄目押しは流れの中の出来事だ。あまりほめられた図ではないがよくあることだ。白鵬がカッとなるのも分かる。体をぶつけたのは余計だった。でもそれ以上もつれることはなかった。メディアは「一触即発」などと大げさに言っているが、土俵上でパンチの応酬や口論になるわけがない。「覚えていろよ、この野郎」とにらんでおしまいだ。

 横綱の品格とは何だろう。玉の島、北の富士あたりまではこの言葉は通用した。だが、北尾や花田兄弟あたりから実はかなり怪しかった。今の理事長にしたところで、大きなことは言えないはずだ。

 幕の内の上位を占めているのは外国人力士だ。品格だの神聖だのごたくを並べられる状況なのか。大相撲の国際化とは、伝統やしきたりを犠牲にする部分が生じるということだろう。そこを墨守したいのなら、スポーツであることをやめて「重要無形文化財」を目指した方がいい。横綱はさしずめ人間国宝だ。それなら品格だの横綱の体面だのいくら強調してもしすぎることはあるまい。

 なぜ日本人力士が弱いのか。理由は簡単だ。体力と運動能力に恵まれた若い人が相撲界に入ってこないからである。部屋制度や親方や兄弟子との付き合いの難しさが相撲を敬遠させているとはいえないだろうか。

 力士暴行致死事件と今回のにらみ合い騒動は微妙に絡み合うような気がする。稽古や生活面の指導が甘くなれば、本場所の土俵に影響しないわけがない。素質のある外国人力士は上に上がれば甘やかされる。琴欧洲が天狗にならないのは厳しい先代がいたからだ。

 あれもだめ、これもだめでは相撲が萎縮するだけではないか。外国人に門戸を開いている以上、あまり細かいことに目くじらを立てないほうがいい。品格などはおのずと備わるものだ。「横綱の器にあらず」というなら責任を問われるのは横審であり、番付編成会議だ。
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