記者会見は好きではないという民主党の小沢一郎幹事長だが、大組織のトップに会って話を合わせるのは得意のようだ。かつて、連合の山岸と意気投合したのは有名だ。いまは日医や農協などとの腹合わせに余念がない。宗教界もその例外ではないらしく、このほど高野山詣で。以下の発言で仏教を持ち上げた。
《民主党の小沢一郎幹事長は10日、和歌山県高野町で全日本仏教会の松長有慶会長と会談後、記者団に宗教観を披露した。この中で小沢氏はキリスト教に対し「排他的で独善的な宗教だ。キリスト教を背景とした欧米社会は行き詰まっている」との見解を表明。イスラム教については「キリスト教よりましだが、イスラム教も排他的だ」と述べた。
国政に影響力を持つ与党の実力者による批判発言だけに、波紋を広げる可能性がある。
一方、仏教に関しては「現代社会は日本人の心を忘れたり見失っている。仏教は人間としての生きざまや心の持ちようを原点から教えてくれる」と称賛した》=共同=。
全仏は全国の寺の9割を組織するといわれる既成仏教の大元締め。とはいっても実際に信者を組織しているのではないため、集票力は極めて限定的だろう。こんなところでも、媚を売るのが小沢流か。要は「とにかく味方を増やせ」である。
とはいえ、この発言は最悪だ。一国のリーダーとしては失格である。もっとも小沢は首相などにはなる気はあるまい。「党の幹事長ならこの程度の発言は許される」という読みもあるだろう。それにしても、センスがない。
仏教の素晴らしさを説く分には、害にならない。だが、キリスト教やイスラム教を「排他的」とけなすのは世界観が狭すぎる。そういう小沢の政治手法や言動は、包容力とはほど遠い。天に唾するとはこのことだ。
案の定、キリスト教団体などから抗議がきた。小沢先生答えていわく。
《 民主党の小沢一郎幹事長が16日の記者会見で、仏教観と文明観を改めて披露した。
10日に和歌山県の高野山金剛峯寺を訪れた際に、キリスト教を「排他的」「独善的」と指摘。これに対し、「日本キリスト教連合会」が「キリスト教に対する一面的理解に基づく、それこそ『排他的』で『独善的』な発言」と抗議文を送っている。
これを受けて小沢氏は16日、「(仏教の世界観では)生きながら仏にもなれるし、死ねば皆、仏様。ほかの宗教で、みんな神様になれるところがあるか。根本的な宗教哲学と人生観の違いを述べた」と説明。さらに、エベレストに挑んだ登山家の「そこに山があるから」という発言を引用し「西洋文明は自然も人間のために存在する考え方。(エベレストの)地元では霊峰としてあがめられて、征服しようという考え方はアジア人にはほとんどない」と語り、西洋思想は人間中心だが、東洋思想は人間が自然の一部だと強調。最後は「僕も君も、死にゃ仏になれるんだ、だから」と締めくくった》=朝日com=。
「改めて文明観披露」。朝日の見出しは嫌味たっぷりだ。本当に小沢は「死にゃ仏になれる」などと思っているのだろうか。「いわんや悪人おや」。なるほどね。
《民主党の小沢一郎幹事長は10日、和歌山県高野町で全日本仏教会の松長有慶会長と会談後、記者団に宗教観を披露した。この中で小沢氏はキリスト教に対し「排他的で独善的な宗教だ。キリスト教を背景とした欧米社会は行き詰まっている」との見解を表明。イスラム教については「キリスト教よりましだが、イスラム教も排他的だ」と述べた。
国政に影響力を持つ与党の実力者による批判発言だけに、波紋を広げる可能性がある。
一方、仏教に関しては「現代社会は日本人の心を忘れたり見失っている。仏教は人間としての生きざまや心の持ちようを原点から教えてくれる」と称賛した》=共同=。
全仏は全国の寺の9割を組織するといわれる既成仏教の大元締め。とはいっても実際に信者を組織しているのではないため、集票力は極めて限定的だろう。こんなところでも、媚を売るのが小沢流か。要は「とにかく味方を増やせ」である。
とはいえ、この発言は最悪だ。一国のリーダーとしては失格である。もっとも小沢は首相などにはなる気はあるまい。「党の幹事長ならこの程度の発言は許される」という読みもあるだろう。それにしても、センスがない。
仏教の素晴らしさを説く分には、害にならない。だが、キリスト教やイスラム教を「排他的」とけなすのは世界観が狭すぎる。そういう小沢の政治手法や言動は、包容力とはほど遠い。天に唾するとはこのことだ。
案の定、キリスト教団体などから抗議がきた。小沢先生答えていわく。
《 民主党の小沢一郎幹事長が16日の記者会見で、仏教観と文明観を改めて披露した。
10日に和歌山県の高野山金剛峯寺を訪れた際に、キリスト教を「排他的」「独善的」と指摘。これに対し、「日本キリスト教連合会」が「キリスト教に対する一面的理解に基づく、それこそ『排他的』で『独善的』な発言」と抗議文を送っている。
これを受けて小沢氏は16日、「(仏教の世界観では)生きながら仏にもなれるし、死ねば皆、仏様。ほかの宗教で、みんな神様になれるところがあるか。根本的な宗教哲学と人生観の違いを述べた」と説明。さらに、エベレストに挑んだ登山家の「そこに山があるから」という発言を引用し「西洋文明は自然も人間のために存在する考え方。(エベレストの)地元では霊峰としてあがめられて、征服しようという考え方はアジア人にはほとんどない」と語り、西洋思想は人間中心だが、東洋思想は人間が自然の一部だと強調。最後は「僕も君も、死にゃ仏になれるんだ、だから」と締めくくった》=朝日com=。
「改めて文明観披露」。朝日の見出しは嫌味たっぷりだ。本当に小沢は「死にゃ仏になれる」などと思っているのだろうか。「いわんや悪人おや」。なるほどね。
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