東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

荷風生家跡~断腸亭跡~偏奇館跡(5)

2012年01月16日 | 坂道

前回の東福院坂から偏奇館跡を目指すが、とりあえず、紀伊国坂に向かう。ここまで来ると、そこに向かうしかないようであるが、次の観音坂下から戒行寺坂を上って信濃町方面に向かうルートがある。しかし、その先は、外苑東通りや青山通りに沿って歩くので、できるだけ裏道を歩くという原則から外れる(今回の道の地図参照)。

観音坂上観音坂下鉄砲坂下鉄砲坂上 東福院坂上を進み、次を右折し、二本目を右折し道なりに進み、一本目を右折すると、一枚目の写真のように、観音坂上である。西南に向けてまっすぐに下っている。南向きの坂上はさきほどから光って、かなりまぶしい。先ほどの東福院坂よりも緩やかであるが、それでもかなり勾配がある。

坂下を左折し、若葉町の商店街を南へ進む。商店街といっても、あまり人通りがないのが常であるが、大晦日のためか、スーパーのあたりはめずらしく混んでいる。

下一枚目は尾張屋板江戸切絵図(千駄ヶ谷鮫ヶ橋四谷絵図 元治元年(1864))の部分図であるが、左端の中ほどにある西側の真成院、蓮乗院、安楽寺と東側の西念寺との間の道がこの観音坂である。東福院坂上からの道も同じようにある。坂下の道は、東福院坂下から延びた道で、上記の商店街の通りである。

スーパーのところを左折すると、三枚目の写真のように、鉄砲坂の坂下である。緩やかにまっすぐに東へ上っている。この坂は、突き当たりを右折した道までいうようで、その右折後の坂上にも標柱が立っている。四枚目の写真は、そこからさらに左折した坂道を撮ったものであるが、この坂道はもはや鉄砲坂ではないと思われる。尾張屋板に観音坂下から右側(南)にテツホウサカとある。

尾張屋板江戸切絵図(千駄ヶ谷鮫ヶ橋四谷絵図)朝日橋から鮫河橋坂への坂道南元町公園鮫河橋坂上 上の四枚目の写真の坂を上り、すぐにある一本目を右折し、南へ進み、道なりに歩くと、中央線の上に架かる朝日橋の上に出る。ここを渡ると、二枚目の写真のように緩やかな下り坂となって鮫河橋坂の上側に出る。三枚目の写真は、その途中から見える下側の南元町公園である。

一枚目の写真の坂道の突き当たりを左折し、鮫河橋坂をちょっと上って坂下を撮ったのが四枚目の写真である。中程度の勾配でまっすぐに下っている。坂下から西側へ上るのが安鎮坂である。大晦日のせいか、車の通行量が少なく、静かである。

前回の記事の永井荷風が余丁町の自宅から紀伊国坂を通って豊川稲荷まで散歩したとき、新宿通りから南への道に入り紀伊国坂に向かったと思われるが、そのコースの一つとして東福院坂または観音坂を下り鮫河橋坂下に出る道順がある。また、四谷の方からいきなり鮫河橋坂上に出る順も考えられる。

尾張屋板で、鉄砲坂上を左折し、すぐ右折し、右(南)へまっすぐに進み、突き当たりを左折し直進すると鮫河橋坂上である。現在の道筋は、後半がこれとちょっと違っているようである。

尾張屋板江戸切絵図(今井谷六本木赤坂絵図)紀伊国坂上(迎賓館前)紀伊国坂中腹紀伊国坂下 鮫河橋坂上を直進し、右折し、東へ進むと、迎賓館前である。この付近で撮ったのが二枚目の写真であるが、このあたりが紀伊国坂の坂上であろうか。道なりに進むと、次第に下り坂となる。外堀通りの歩道であるが、三枚目の写真のように、植え込みで車道と遮断されているので、独立した細い坂道のような感じになる。かなり長い坂で、やがて、坂下の標柱に至る。四枚目の写真は坂下から上側を撮ったものである。

一枚目は、尾張屋板江戸切絵図(今井谷六本木赤坂絵図(文久元年(1861))の部分図であるが、左上に紀伊国坂とあり、その南が紀伊屋敷である。

ところで、坂途中の信号を渡り、東へ進むと、喰違見附で、さらに紀尾井坂上となるが、このコースを選んでもおもしろいと思われる。清水坂、貝坂、諏訪坂、富士見坂を通り、青山通りを横断し、三べ坂、新坂を通り、外堀通りを横断し、丹後坂などを通ることができる。この方が今回のコースよりもかなり長くなるが、たくさんの坂を巡ることができる。

九郎九坂下九郎九坂上豊川稲荷境内弾正坂上方面 紀伊国坂下の標柱のところで右折し、元赤坂一丁目わきの道を進み、信号のところを直進すると弾正坂の上りであるが、左折すると、一枚目の写真のように九郎九坂の坂下である。ここを上ると豊川稲荷の門前に出る。二枚目は坂上の標柱を入れて撮ったものである。ここから境内に入ってみるが、三枚目の写真のように参道では明日の準備に忙しそうである。

境内から出るとすぐわきの道が弾正坂であるが、この坂は四枚目の写真のように、青山通りを横断して、とらやと赤坂警察署との間を南へ延びている。

青山通りを横断し、緩やかな坂を上り突き当たり手前でふり返って撮ったのが下一枚目の写真である。

尾張屋板を見ると、紀伊邸と松平左兵衛督邸のそばの道が弾正坂で、その上側(北)突き当たりを右折した道が九郎九坂と思われる。豊川稲荷は大正になってから現在地に移されたので、江戸切絵図にはない。

弾正坂上薬研坂上新坂上新坂下 弾正坂の突き当たりを左折すると、牛鳴坂や丹後坂の方に行くことができるが、右折する。ちょっと歩くと、青山通りとの交差点に出るが、南の方からこの交差点に上る坂が、二枚目の写真の薬研坂である。この坂は、いったん底部まで下ってからふたたび上る坂で、両方を称して薬研坂と云っている。この坂を下り上れば、稲荷坂上から続く道が合流するが、そうせず、青山通りに沿ってちょっと歩き、高橋是清記念公園の前を通りすぎ、次を左折する。

細い小路がまっすぐに南へ延びており、やがて、三枚目の写真のように新坂上に至る。ここから下っているが、坂上側は緩やかで、坂下側がちょっと勾配があるが、そう急でない。四枚目の写真は坂下から撮ったものである。狭い道で、静かな雰囲気であるため、よい散歩道になっている。

尾張屋板には、坂マーク(多数の横棒)とともにヤケンサカとあり、その下側(西)の青山邸と毛利邸との間に、志んサカ、とある。

稲荷坂下稲荷坂上三分坂上三分坂下 新坂下を左折し、道なりにちょっと歩くと、左手に稲荷坂の上りが見えてくる。ここを直進すると、三分坂のずっと下側に至る。一枚目の写真のように、いきなりかなりの勾配の上りとなる。ちょっと左に曲がりながら上っているので、坂上側から撮った二枚目の写真には坂下が写っていない。

坂上を道なりに北へ進み、途中、クランク状の曲がり道を通って進むと、先ほどの薬研坂上の先の交差点に出る。ここを右折し、東南へ進むが、このあたりは台地にできた道である。

やがて、ちょっとした下り坂になるが、ここが三分坂の坂上で、三枚目の写真はふり返って坂上側を撮ったものである。ここをちょっと下り角を右に曲がると、いきなり急な坂となるが、この歩道を下る。四枚目の写真は坂下側から撮ったもので、右側の石垣の上が一ツ木公園である。

尾張屋板を見ると、イナリ坂と三分坂がちゃんとのっている。

ここまで来ると、最終目的地の偏奇館跡はもうすぐである。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)

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