東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

旧東富坂

2012年11月29日 | 坂道

東富坂下 旧東富坂上 旧東富坂下 旧東富坂下 前回の鐙坂下を北へ道なりに進み、途中左折し小路を西へ歩くと、白山通りの歩道に出る。左折し白山通りに沿って歩くと、やがて春日通りとの大きな交差点に至る。ここが新東富坂の坂下で、一枚目の写真のように、広い通りが左(南東)へ上っている。

この坂は後で紹介するとして、旧東富坂に向かう。一枚目の写真の横断歩道を渡りそのまま南へ歩けば坂下に至るが、そうせず、横断歩道を渡ってから左折し、新東富坂を上り、次を右折すると、旧東富坂の坂上(現代地図)である。二枚目は坂上から坂下を撮ったもので、中程度の勾配でまっすぐに西へ下っている。坂下は白山通りで、その上に架かっている鉄橋を丸の内線が通っている。

三枚目は坂下から撮ったもので、坂下側で緩やかで、中腹あたりでちょっと急になっている。四枚目はそのちょっと上側から坂下を撮ったものである。

旧東富坂中腹 旧東富坂中腹 旧東富坂中腹 旧東富坂中腹 一枚目の写真は坂下からちょっと上って勾配のあるところから坂上を撮ったもので、二枚目はそのあたりから坂下を撮ったものである。三枚目はさらに上ってから坂上を、四枚目はその上側から坂下を撮ったものである。

坂の右側(北)に沿った丸の内線が坂上からよく見える。遠くに見える後楽園駅から出てきた電車がちょうど通過していき、ここで本郷台地の中にできたトンネルへ入っていく。坂下の白山通りでかなりの高さの鉄橋を渡り、坂上で本郷台地の中に入っていくことから、本郷台地と白山通りとの標高差がかなりあることがわかる。タモリが東京に出てきたとき、渋谷の地下鉄銀座線の駅が二階にあることに驚いたというようなことをなにかに書いていたが、同じような光景が洪積層の台地に対し沖積層の谷がよく発達した山の手ではあちこちで見られるということである。

三枚目、下二枚目の写真のように、坂上の南側に坂の標識が立っている。歩道側に次の説明がある。

「旧東富坂(きゅうひがしとみさか)
 むかし、文京区役所があるあたりの低地を二ヶ谷(にがや)といい、この谷をはさんで、東西に二つの急な坂道があった。
 東の坂は、木が生い繁り、鳶がたくさん集ってくるので、「鳶坂」といい、いつの頃からか、「富坂」と呼ぶようになった。(『御府内備考』による)富む坂、庶民の願いがうかがえる呼び名である。
 また、二ヶ谷を飛び越えて向き合っている坂ということから「飛び坂」ともいわれた。明治41年、本郷3丁目から伝通院まで開通した路面電車の通り道として、現在の東富坂(真砂坂)が開かれた。それまでは、区内通行の大切な道路の一つであった。
            文京区教育委員会 昭和63年3月」

旧東富坂上 旧東富坂上 旧東富坂上 小石川谷中本郷絵図(文久元年(1861)) 一、三枚目の写真は、坂上側で坂上を撮ったもので、坂上の向こうが現在の新東富坂(真砂坂)である。二枚目はそのあたりから坂下を坂標識を入れて撮ったものである。

四枚目の尾張屋板江戸切絵図 小石川谷中本郷絵図(文久元年(1861))の部分図(右斜め上が北)を見ると、菊坂町の左方(南)に炭団坂上と鐙坂上が北から南へ延びているが、その南側の先がつながっている東西の道がこの坂と思われる。ただし、炭団坂と鐙坂の先が接続したあたりは新東富坂(真砂坂)に吸収されている。新東富坂は鐙坂が接続した付近で坂上から見て右にちょっと曲がってから下っている。

旧東富坂下の左が水戸屋敷で右に松平丹後守邸がある。水戸屋敷跡が現在の東京ドームや小石川後楽園などであろう。

近江屋板(嘉永三年(1850))もほぼ同様であるが、この道に坂マークの△が見える。

『御府内備考』の長右衛門屋敷の書上には次のようにある。

「一東富坂 高凡二丈五尺程、幅五間程、長二十二間程、 右坂の辺往古木立有之、鳶多居候由にて俗に鳶坂唱候由、年代不知富坂と書改候由申伝候、」

上記の標識はこの記述をもとにしているが、要するに、むかしこの坂あたりは木立があって、鳶が多く住んでいたので、鳶坂といわれたが、いつのまにか富坂と書き改められた。

この坂に相対して西富坂(富坂)がある。横関は、もともと二つの坂を飛坂といい、飛坂という一つの名が同時に二つの坂を意味していたが、それがいつのまにか、鳶坂となり、さらに富坂に改名されたとしている。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「大日本地誌大系御府内備考 第二巻」(雄山閣)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)

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