東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

烏山川緑道(2)

2010年07月14日 | 散策

環七通りを越えて進むと、天神橋跡の手前に烏山川緑道の地図のある説明板が立っている。それには、「烏山川緑道は昭和49年に開園し、現在、全長約6.9kmに及び、世田谷区船橋七丁目から三宿一丁目まで続いています。」とある。

これは、この説明板の当時のことで、現在、下流側は目黒川の暗渠が始まるところまで続いている。これは前回の記事のとおり。上流側へはこれから歩く。

右の写真は、中堰橋跡の先で撮ったものである。

ここから、谷中橋跡、本村橋跡を通りすぎ、松陰橋につく。ここを左折し松陰神社に行ってみることにする。

しばらく歩くと、右手に松陰神社が見えてくる。右折し戻るようにして参道を進むと、本殿の右手に、左の写真のように松下村塾が建っている。これは山口県萩に保存されている松下村塾を模したものらしい。

吉田松陰は、安政の大獄で安政6年(1859)10月に伝馬町牢内で処刑され、その墓は荒川区の回向院にある。文久3年(1863)に伊藤博文等の門人によって、長州毛利藩の所領で大夫山と呼ばれていたこの地に改葬され、その後、明治15年(1882)、この松陰神社が創建されたとのことである。

来た道を引き返し、緑道にもどり進む。

厚徳橋跡、杉大門橋跡、やませき橋跡を過ぎて、ちょっと広い通りにでる。勝橋跡である。

ここで、緑道が消えたように通りの向こうで急に左に曲がっている。

勝橋跡を進むと、左手が崖であったのであろうか、右の写真のように、法面がしばらく続く。

むかし、この辺りで烏山川は崖下を流れていたと想像される。

品川橋跡、稲荷下橋跡、城下橋跡、青葉橋跡、城向橋跡、豪徳寺橋跡、清涼橋跡を通りすぎて玉橋跡に至る。

左の写真は、豪徳寺橋跡の先で撮ったものである。両側は緑でいっぱいである。この辺りになると、歩道が狭くなっているところが多くなる。

地図を見ると、豪徳寺橋跡を右折していけば、豪徳寺に至るようである。ここには安政の大獄のときの大老井伊直弼の墓があるが、先ほどの松陰神社と意外なほど近い。偶然であろうが、なにか因縁めいた感じもする。

玉橋跡の先で東急世田谷線が横切るため緑道はここで中断する。
(続く)

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