東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

新宿中央公園2014(3月)

2014年03月23日 | 散策

連休の一日出勤したが、終えて外に出るとまだかなり明るいので、その辺をぶらぶらしようと歩きはじめ、新宿中央公園まで行った(現代地図)。

都庁展望階から 都庁展望階から じつは公園ではなく都庁の展望階に行こうとしたのだが、途中、西新宿の高層ビル群の谷間に入ると風が急に強くなったので、這々の体で地下街に逃げ込んで、地下通路からエレベータ乗り場に着くと、長蛇の列である。連休のためたくさんの人が見物に来ている。かなりの待ち時間になりそうなので諦めて、その近くの公園にしたのである。

超高層階からの東京展望は諦めざるを得なかったが、ここには数ヶ月前に来たことを思い出した。パソコン内のアルバムを見ると、昨年12月はじめである。そのときの写真を二枚貼りつける。

一枚目のようにちょうど日の入り前であった。二枚目に写っているが、丹沢の山々の際に沈みゆく太陽が見え、まさしく落陽である。右方に霞んで富士山も見えた。

新宿中央公園 新宿中央公園 熊野神社 熊野神社 歩道橋から公園に入り、都庁や高層ビルを見上げると、風が吹いていたからか、一、二枚目の写真のように空が青く澄んでいる。

公園の西側に歩いていくと、ちょっと下がったところに十二社熊野神社がある。

三、四枚目は境内で撮ったものであるが、空を入れようと上向きのアングルにすると、高層ビル群が写ってしまい、新旧混在の構図となる。

この神社は、江戸時代よりももっと古い室町時代頃の鈴木九郎伝説(以前の記事)に由来し、九郎が紀州の熊野神社から勧請したとされている。 その当時、山伏のような格好をした修行者を優婆塞や角筈などと呼んだ。また、修行者は、先端に鹿の角をつけた長い杖をもって歩いたが、この杖を角筈といった。これから、このあたり一帯は角筈(つのはず)と呼ばれるようになった。

尾張屋板江戸切絵図 内藤新宿千駄ヶ谷辺図(文久二年(1862))に熊野神社(十二社権現)やこの地名がついた施設(角筈調練場)が見える。

新宿中央公園 新宿中央公園 新宿中央公園 新宿中央公園 公園内をぶらぶらすると、水仙や花壇の花がひかえめに咲いている(一、二枚目の写真)。桜が咲く季節のちょうど前であるが、これらの花が眼を楽しませてくれる。

下の広場に降りて、交差点の見えるところからJR新宿駅方面を撮ったのが三枚目の写真で、そのあたりから北側を見上げて撮ったのが四枚目である。

この時間帯であると、北や東の空は青く撮れて印象的であるが、そのちょっとした方向やアングルで青みの程度が違ってくる。

ここから大江戸線都庁前駅へ。

参考文献
中沢新一「アースダイバー」(講談社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)

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