紅葉坂上を右折し直進する。
突き当たりを左折しちょっと進むと、右手に牧野富太郎の墓の案内が見えたので、右折しそちらに進んだが、かなり奥まで続いている。結局、見つからないので、諦めて引き返す。
後で調べたら、右折しまっすぐに進み、中ほど右に入ったあたりである。
もとの道を南へ歩き、突き当たりを左折して進むと、緩やかな下りになる(現代地図)。このあたりが芋坂の坂上と思ったが、はっきりしない。
横関は、この坂を次のように説明している。
『台東区谷中七丁目、谷中墓地の北、天王寺旧裏門の辺から、荒川区東日暮里五丁目善性寺のほうに下る坂』
明治11年の実測東京全図を見ると、天王寺の東南角近くの崖地に根岸の谷地へとのびる道筋がある。ここが芋坂と思われるが、天王寺裏門とは、どのあたりを指すのかはっきりとはわからない。
下り道を進むと、やがて、左折するが、緩やかな下りが続いている。
そのまま進むと、山手線などが通る線路の上にかかる跨線橋(高架橋)であるが、そのむかし、このあたりから本格的な下りになっていたのかもしれない。
この坂は、線路のため、烈しく分断されているだけでなく、坂の主要部が完璧に消滅しており、谷中の墓地側と根岸の団子屋側にかすかに痕跡をとどめているに過ぎない。
線路の上の跨線橋(高架橋)の歩道が両側のフェンスの間に細くまっすぐに延びている。
上記の案内図や下記の標柱にもあるように、ここを芋坂跨線橋と呼ぶが、ちょうど、そのむかし、坂の主要部があった位置であろう。
高架橋の手前右側に、この坂の標柱が立っているが、次の説明がある。
『芋坂(いもざか)
坂を登れば谷中墓地、下ると羽二重団子の店の横から善性寺前に通じていた。鉄道線路でカットされ、これに架かる橋が「芋坂跨線橋」と名付けられて、わずかにその名を残している。
坂名は、伝承によると、この付近で自然薯(山芋)が取れたのに因むという。正岡子規や夏目漱石、田山花袋の作品にもこの芋坂の名が書かれている。
芋坂も団子も月のゆかりかな 子規』
この辺りの尾張屋清七板江戸切絵図(根岸谷中日暮里豊島辺絵図(安政三年(1856)))を見ると、天王寺の南東わきに多数の横棒の坂のしるしとともに芋坂と記されている。ほどよく湾曲して描かれているので、実際もそのように曲がりながら上下していたのかもと想像してしまう。
跨線橋を渡り、階段を下り、坂下側に至り、ふり返ると、跨線橋を見上げるようになり、その高さから、この坂のかつての高低差を感じることができる。
すぐ近くに日暮里駅のホームが見えるが、ホーム側に進み、右折し、京成線のガードを通り抜けると、そのままほぼまっすぐに延びている。この辺りが坂下であろう(現代地図)。
右側の団子屋(羽二重団子)のわきに荒川区教育委員会の標識が立っていて、次の説明がある。
坂上側の標柱の説明と同じでないのがよい。
『芋坂
善性寺の門前から谷中墓地へのぼる坂。坂名の由来は未詳。
明治十五年ころ、日本鉄道会社の東北線(現JR)が通じて分断され、その形状が、失われてしまった。伊藤晴雨が描いた「根岸八景」の「芋坂の晩鐘」は、天王寺の五重塔を望む芋坂の、のどかなたたずまいをよくあらわしている。
荒川区教育委員会』
通り出た所の角にある羽二重団子本店は、文政二年(1819)創業で、明治以前からある古い店とのこと。ただし、江戸切絵図ではここは植木屋になっている。
夏目漱石の「吾輩は猫である」に次のように登場する。
『行きませう。上野にしますか。芋坂に行って、団子を食ひませうか。先生あすこの団子を食った事がありますか。奥さん一返行って食って御覧。柔らかくて安いです。酒も飲ませます』
これからもわかるように、この芋坂は、ここの団子と分かちがたく結びついているようである。
昼飯がまだであったので、ここに入って、団子二本お茶付きセットを頼む。こし餡の団子と醤油味の焼き団子で美味。しばしの休憩をとる。
(続く)
参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
「大江戸地図帳」(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)
「江戸から東京へ 明治の東京」(人文社)
「漱石全集 第一巻」(岩波書店)
横山吉男「江戸・東京 名墓碑ウオーク」(東京新聞出版局)