東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

葭見坂

2012年06月17日 | 坂道

葭見坂上の先 葭見坂上 葭見坂上 葭見坂上 前回の天神坂の坂下から坂上へもどり、二本榎通りを左折し、すぐに次を左折する。右手に団地がある道を西北に進む。

一枚目の写真はその途中に進行方向を撮ったもので、ここをまっすぐに歩く。まもなく、二枚目のように、右手に高松中の門が見えてきて、左に坂が見える。ここが葭見坂の坂上である。

坂上は、三枚目のように、緩やかであるが、ちょっと下ると、四枚目のようにかなり急になる。

この坂は、天神坂のすぐ東北側にある。標柱は立っていないが、天神坂の標柱に「葭原が見えるので葭見(よしみ)坂・吉見坂ともいったという説もあるが北方の坂か。」とあるように、葭見坂は、この坂と考えられている。

葭見坂中腹 葭見坂中腹 葭見坂中腹 葭見坂中腹 一枚目の写真は坂上からちょっと下ってから坂上を撮ったもので、二枚目は坂下側を撮ったものである。このあたりから勾配が急になり、左にわずかに曲がっている。このあたりから下は道幅が狭い。

三、四枚目は、ぐんぐん下って、途中でふり返って坂上側を撮ったものである。わずかであるが右へ左へと曲がっており、むかしもこうであったのだろうと想ってしまう。

石川は、この坂のいわれについて、次の二つの文献を挙げている。

『東京府志料』の三田君塚町の条に「葭見坂 町の西辺を北へ下る、白金村の畑地昔は葭原なりしを坂より見下せしよりかく名付くと云伝ふ」と記され、『東京地理沿革志』も天神坂は町南を白金台町に下る坂とし、「又町の西辺を北へ下る坂を葭見坂と云ふ、白金村の畑地昔は葭原なりしを坂より見下せし故の名なり」とある。

両文献とも明治以降のもので、白金村の畑地はむかし葭原であったが、これを坂より見下ろしたため葭見坂というとしているが、この説明は、前回の天神坂で引用した御府内備考とほぼ同じである点がちょっと気になる。天神坂の東北側の小さな区画が旧君塚町である。

葭見坂中腹 葭見坂下 芝三田二本榎高輪辺絵図(文久元年(1861)) 御江戸大絵図(天保十四年(1843)) さらにちょっと下ると、上二枚目の写真のように、左に曲がっているが、そこを曲がってから撮ったのが一枚目である。ここから先は、かなり緩やかに下り、もう坂下といってよいほどである。まっすぐに進み、次の角を右に曲がるが、曲がる前にふり返って坂上側を撮ったのが二枚目である。

石垣が接近しているためか道がかなり狭くなっているように感じるが、実際そうで、人と自転車程度しか通ることができない。

三枚目の尾張屋板江戸切絵図 芝三田二本榎高輪辺絵図(文久元年(1861))の部分図を見ると、天神坂わきの三田南代地丁と広い細川越中守の屋敷との間に、細く緑色の部分があり、その先の北側が広がって四角状になっているが、ここに、此辺樹木谷ト云、とある。しかし、この坂に相当する道筋がない。四枚目の御江戸大絵図(天保十四年(1843))には谷も道も見えない。

近江屋板に、ほぼ同じ位置に、樹木谷ト云、とあるが、ここと三田南代地丁の北辺との間に細い道筋が見え、その先が天神坂下とつながっている。この道筋がこの坂と思われる。

樹木谷は、同名が他にもあり、たとえば神田明神近くの樹木谷坂や麹町の善国寺坂の近くにもあった。地獄谷とよばれたが、それからの転訛(呼び名変更)といわれる。

葭見坂下 葭見坂下 葭見坂下 葭見坂下 一枚目の写真は、上記の坂下の角を曲がってから、さらに坂下側を撮ったもので、二枚目は、そこからまっすぐに進んでふり返って撮ったものである。このあたりは、もう坂下で、勾配はほとんどない。その先で左にちょっと曲がっているが、その曲がりの先を撮ったのが三枚目で、桜田通りが見える。突き当たりを左折すると、天神坂下である。四枚目は、さらに進んでふり返って撮ったものである。

明治実測地図(明治十一年(1878))を見ると、君塚町の北側に、天神坂下につながる細い曲がった道筋があるが、この坂と思われる。明治地図(明治四十年(1907)にも戦前の昭和地図(昭和十六年(1941))にも見える。

この坂は、上記の近江屋板から推測すると、江戸末期にはできていたが、その道は崖を下るような険しい所だったように思われる。

高輪台地には、第一京浜へと東に下る柘榴坂や桂坂や伊皿子坂、桜田通りへと西に下る天神坂や魚藍坂、北へ下る聖坂のように二車線の広い坂道がメインの道としてある一方、洞坂やこの葭見坂のように、車も通れず曲がりくねった細い坂道がある。これらの大きな坂道よりも曲がって細い坂の方がいかにも坂らしく、ひっそりとした感じで、よい印象が残る。そして、この坂は両側に住宅が迫っているが洞坂よりもむかしの雰囲気を残しているような感じがする。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「古地図・現代図で歩く明治大正東京散歩」(人文社)
「古地図・現代図で歩く戦前昭和東京散歩」(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「大日本地誌大系御府内備考 第四巻」(雄山閣)
「江戸から東京へ明治の東京」(人文社)

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