
写真1 郵便船・折田丸は11:30頃、モエンザッで汽笛を鳴らす。郵便局は○印・千年樹アコウの右側にあった
畑のある海抜100mほどの所から撮る。モエンザッ:弊ブログ2013年03月07日

写真2 湯之港からモエンザッを望む。1955年頃、ガンギ・船着き場は整形溶岩で築かれ突き出ていた

写真3 湯之港のガンギから南岳を望む。ガンギの付け根は、1955年頃の夕方、海水で洗われる黒毛和牛で賑わった(弊ブログ2013年03月05日)

写真4 筆者が着いてから2回目の爆発。1回目は弊ブログ2013年03月02日。湯之港近くから撮る

写真5 桜島の対岸、鹿児島市与次郎2丁目から望む桜島、我が故郷東桜島町・湯之
定時郵便船・折田丸が寄港した野尻、赤水も見える

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2015年05月14日(木)、NHKBS・こころ旅
東村山市の芳林山梅岩寺、俳優火野正平が昼前11:30に鐘を10回撞く
住職と合わせて12回
住職曰く、かつて、鐘音を聞き、畑のオンナノシュウ・女の衆がお昼の準備に帰宅
オトコノシュウ・男の衆は30分ほど遅れて帰る
筆者は想起、1955年頃の故郷・東桜島町に聞こえる11:30の汽笛を
郵便船・折田丸が燃崎・モエンザッを曲がる際、鳴らす
畑の祖母は言う、“おいたまいがきたからかえろかい”(折田丸が着たから帰ろう)、と
すなわち、折田丸の汽笛は、梅岩寺の鐘音と同じだった
折田丸は古里温泉~東桜島・湯之~持木~野尻~赤水~鹿児島(現北港)を走る焼玉エンジン木造船
同船は次のような朝夕の定時連絡船
朝06:30頃、古里港から東桜島・湯乃港に着き、通勤・通学者を乗せて出港、上の航路で鹿児島へ
昼前11:30、モエンザッで汽笛を鳴らし、持木港に着く
同港で、郵便袋を肩にかける船員が東桜島特定郵便局を目指して走る、船と競走の如く
走る道は持木と湯之の間に走る海岸段崖の縁を通っていた
その道の中間ほどに郵便局が建っていた
船員は約2km走り、次港の湯之で船に戻り、折田丸は古里温泉へ向かう
15:30頃、古里温泉から湯乃港に着き、船員は郵便局へ走り、郵便袋を受け取り持木港へ走る
船は野尻港、赤水港を経て鹿児島へ
19:00頃、モエンザッで汽笛を鳴らし、通勤・通学者を乗せて帰る
時は移り、折田丸は現在走ってない
注1 燃崎・モエンザッは1476年(文明8)大噴火の流出溶岩が造った小半島。持木町と野尻町の間に突出
現在の郵便局は海岸段崖から大きく離れた国道224号の近く
執筆・撮影者:有馬洋太郎 撮影日:写真1~写真4;2013年02月11日 写真5;同月10日
撮影地:上記