ホワイトシェパード・アリエスの日々 ≪一雲日記≫

いつまでもどこまでも一緒に歩こう!

春はきたけど

2019-04-24 | 11~12歳
アリエスがいない淋しさには少しずつ慣れてきたけど、アリエスがいないこと自体には、まだ慣れない。うっかりすると、心に開いた穴に落ちる。突然アリエスの不在を切実に感じ、ハッとする瞬間はやっぱり恐怖でしかない。あいもかわらず帰宅を焦り、アリエスに話しかけ、部屋を出る時は細くドアを開けておく。何をするにも、アリエスの穏やかに見守るような目を確認しながら生活していたから、アリエスの伏せる高さのあたりに、今でもそれを探す。

当然だが実際に一緒にいる自分を外から見たことがないので、アリエスにどのように接していたかがふとわからなくなることがある。今こんなに頭をなでてギュッとしてやりたいど、それができる贅沢な身分だった自分は、どうしていたのだろう。家族に訊くと、アリエスの頭が茶色くなるまでなでていたなどと言われる。通りがかりにかわいがり、戻ってきてまたなでる。1日中そんなふうだった。みたいだ。

アリエスと暮らしていると、人と相対する時も、相手は満たされていると無意識に考えていたと思う。自分がそうであったから。けれど今は、何らかの大きな欠落による不完全さをひそかに持っているのではないかと、少し恐れる気持ちがある。自分が何より大切にしていたものを失ってやっと、当然あるべき他者への洞察らしきものを感じるのかもしれない。大変な失くしものをして、そのまま生きていかねばならない、人生ってそうなのかという限りない共感のようなもの。

こんな愚痴みたいな日記が何になると思う時もあるけれど、何になるのかを自分でわかりたいという思いがあり、場を借りて続けている。悲しみを振り払ったり、新たな何かを始めることでは自分は再起できないと知っている。心にあることを取り出しては考え、1段の階段のようにして、少しずつ穴の上に昇るしかないのだ。アリエスに会った意味。アリエスがいた意味。アリエスが教えたこと。これからもアリエスのために、私ができること。それは何か。日々それを考えながらここに書き出していくことは、私にできる数少ない前進と信じつつ。


アリエスはここで過ごしていました。いなくなってからの日差しの美しさは、本当に泣かずにはいられないものでした。私にとっては今でも動悸の出る写真。