ホワイトシェパード・アリエスの日々 ≪一雲日記≫

いつまでもどこまでも一緒に歩こう!

フニオチル毎日

2014-02-18 | 6~7歳
 幼少期からこれまで、当然のことながらアリエスは少しずつ変化をとげているわけですが、「小さな子犬の頃がいちばんよかった」とは、一度も思ったことがありません。いつもいつも、今がいちばんいい時で、いちばんかわいい。ちょい折れ曲がった耳やつるつるじゃない肉球も、すべてがアリエスの歴史そのもの。

 彼は私の年齢を追い越してゆくけれども、新しい局面に即応し、学び判断し、進歩する姿を見せることに驚きます。これまでの様々な経験と柔軟な感性が相乗効果を発揮する、素晴らしい年の取り方というのを目の当たりにしています。自分もこんなふうでありたいものだなと思っちゃう。

 アリエスとの関係はまったくの親子であり相棒であるのですが、違う種類の動物であるということは忘れないようにしています。物事を感じ取る力もとらえ方も違う。だからこそ、アリエスについて知る努力もしたいし、分かり合える喜びもすごく大きい。

 リーダーシップや主導権を誰が握るのかという考え方から離れて、近年はイヌの行動をもっと詳細に観察して理解しようという流れが生まれているようです。私はいろいろ迷ってひとり相撲を取っていた頃、それこそ千差万別の考え方の人に出会ってきました。遠くまで会いに出かけたり、イヌと接する現場を見に行ったり。トレーナーさん、筋金入りの愛犬家、まったり犬暮らしの人、トレーナーの信者かつYou Tube係、立場も様々でした。良い経験もあり、自分にとって反面教師的役割の人もいた。自分の観念を打ち壊されたりしながら、本当にたくさんのことを学んだと思います。

 その時期は感情的になることもあったし、種々雑多な概念をとても整理できませんでしたが、最近になってじわじわと体験が生きるようになってきた気がします。それをいちばん実感するのは、イヌとの接触について新しい考え方や技術を目にした時です。「ああ、そうだろうな」と思えたり、「アリエスもこんなふうに動くな」とすぐに腑に落ちるようになったからです。いいも悪いもやってみた。自己嫌悪も半端ではなかったし、アリエスも周りで見守る人も大変だったことでしょうが、全部をみんなで体験して、知識じゃないところで考えることができるようになったのだと思えます。

 アリエスと理解し合うことができるなら、理屈も考え方の名前も何だっていいのです。ただひとつ、それがヒトの姿を客観視している見方か、ということが私にとって大事です。自分のやり方の土俵に乗ってこないイヌを敵視したり、やたらと去勢の有無を問題にしたり、小型犬しか無理なトレーナーにも会いました。そんな時感じる違和感は今思うと共通していて、イヌの相棒たるヒトの姿があまり考慮されていないという点の気がします。イヌの思いを無視する、ホルモン以外の本質的な行動の動機を無視する、自分がどうであろうととりあえず力では勝てる、そういう考えの具現化だからです。

 アリエスの手をひいている私の何が、アリエスに影響しているのか。アリエスの何を見落としているから、こういう行動になっているのか。「このイヌは」という観察の次には、「このヒトは」という観察が必要で、それが欠落するとひたすらイヌの責任を問い追い詰める結果になる。本当に見つめ直すべきは、ヒトのほうであることが多いのではないでしょうか。

 私は数多くのイヌを知るわけではありませんが、これからも、アリエスというひとりの自然の使者から大切に学んでいきたいなと思っています。一歩一歩進む日々が、なんだかすごーく楽しいです。


 ま、のんびりやれよ、母ちゃん。