企業・組織再生現場からの独り言

仕事の中で、覚えていったこと。感じたことなどなどを記していきます。我以外皆我師也。あと、読んでいる本を簡単に紹介。

東京へ出てきて今に至るまで

2005年04月07日 | 趣味関係(食IT音楽を含む)
東京へ出てきてから住んできた住居をおさらいしておこう。自分のこれまでの動き、そして、これから東京で新生活を過ごす人にとっての比較として、多少は役に立つと思われるからね。徳島から出てきて、すでに10年以上が経っているが、あれこれあったなぁ、と感じている。その中でも住居と、住んでいる地域は、自分のライフスタイルに大きく影響を与えてきた。残念ながら、六本木とか麻布とか広尾とかとは縁が遠く、都内でも田舎ばかりで住んでいたので、IT系企業の人々の住居と比べると、どうにもぱっとしないが、まぁ、参考になるだろう。。。
まず、大学へ進学したときのこと。財団法人が運営する寮に住んでいた。家賃は18000円。個室。トイレ・バス共同。ベッドと机、本棚があった。だから、家具はあまり買わなかった。途中までは、エアコンはなかった。4年くらいになって、クーラーが入った程度。
その後、寮を出てから、一度、妹と2DKで暮らした。左右振り分けタイプ。和室だったが、まぁ快適だった。リビングが8畳あったし、所沢の駅から8分歩くけれど、ダイエーから1分。ダイエーに入り浸り、売場の隅々を覚えてしまったものだ。ちなみに、家賃は84000円。所沢にしては高い。
そして、次に板橋で1Kに引越する。駅から6,7分。16平米強。今はなきスーパーからは3分、コンビニから2分と便利。但し、築年数20年。6畳和室と2畳程度の玄関&キッチン。2F。但し両隣に人が住んでいて、風通しが悪い。バス・トイレは一室だが、近代的なユニットバスではない。当初63000円。更新時に、設備などの問題もあり53000円にしてもらった。ここに3年程度いたわけだ。クーラーは付いていたが、暖房はなし。今思い出しても、かなり貧乏な生活だったと思う。大家が、ちょっと精神的に問題があり、早朝とかにピンポンダッシュならぬ、連続呼び出しをしてきたりして、多少、精神的につらかった。そして、当時の設備は、ガスコンロのみ。テレビも、電子レンジも、冷蔵庫も、洗濯機もないまま数年暮らしていた。(あ、正確にはCASIOのポータブルテレビを持っていた)パソコンだけはあり、これでCS放送を受信するという荒技。
このあと、隣のビルに引っ越した。広さは40平米弱というところ。立地は同じ。築年数は25年と、さらに古かった。但し、板間のDK玄関が8畳。和室4.5畳と和室6畳。ここは、部屋が広いのが魅力だった。但し、家賃は85000円。2Fだけれど、高さは2.5階くらいあったかな?下が材木置き場だったので高かった。東南角部屋で、東側は駐車場、南は道路で向には家がないという立地。もともとクーラーなどない部屋だったが、この頃には、クーラー、ガスファンヒーター、ガス乾燥機、洗濯機、冷蔵庫、ハンディ掃除機も買った。テレビも14インチのSANYO箱形を導入。外資系コンサル時代も、この部屋で暮らしていた。(というか前の部屋にも住み続けていた時期もあった)この家で、風呂回りで白蟻を発見して、嫌になり出る決意をしたのは、ちょうど転職する前くらい。
転職して、同じ板橋で、近代的2LDKのマンションに引っ越す。駅からは6分程度。57平米、11階。144000円の家賃。エアコンは付いていた。前回購入したガスファンヒーターや、乾燥機は使うことができず処分した。もったいなかったなぁ。このころになって、電子レンジ(サムソン製7800円)を購入。オーブントースター1980円。サイクロン式掃除機3万も。ここでは、マンションのためCSも見ることができず解約。テレビ、冷蔵庫は以前と同じものを使っている。
かなり無理をした生活だったが、まずまず快適に暮らすことができた。だが、出張生活が長くなり、空の部屋に、家賃を払っているのはばかばかしくなって、35年ものローンでマンション購入となったのが今月のこと。そろそろ引越します。

なんだか、いろいろあったけれど、やっと落ち着けます。派手な生活をしているわけでもないつもりですが、ここ10年で貧乏学生から中流家庭くらいまでこれたかな、と思っています。
コメント
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