あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

福寿草が咲きました!

2013-03-18 08:36:44 | インポート

震災のあった年に近所からいただいた 福寿草が咲きました。春の陽光を体いっぱい受けながら 咲く姿は、まるで そこにも かわいい小さな太陽が こぼれおちているような感じです。花の数は、大小含めて 9輪。幼い子どもたちの笑顔にも似た愛らしさに、見ているだけでもうれしくなりました。

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オオイヌノフグリのコバルトブルーの花も、あちこちで見られるようになりました。こちらは、青い空の小さなかけらが こぼれおちているといった感じです。

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栗駒山を見て

2013-03-15 20:35:55 | インポート

いつも 見慣れた姿で そこにあるはずなのに、青く透き通った 空が広がり それに向かって 凛として立つ 栗駒山の姿に 見とれてしまいました。

まだ手の入らない 刈田が 山に案内するように 目の前に広がっています。その先に低い山並みが続き、その向こうに 雪化粧した栗駒山が 晴れやかな表情で ゆったりとそびえています。雪の白さと その頭上に広がる 空の青さとが 絶妙に 調和した美しい世界をつくりあげています。

そこに 山があり その上に 限りなく青く澄んだ空が広がり 山の下には 古くから人々が耕してきた田畑がひろがる世界に 改めて 故郷そのものを感じました。

空が好きなせいでしょうか。3月11日に見たせいでしょうか。地上と空とを結ぶように立つ 山の姿に、天に向かう意志と 諸々の祈りが 込められているような気がしました。

やがて 田起こしが始まり、雪溶けに合わせて 田に水がはられ、田植えをする光景が見られるようになります。その頃には 山に 種まき坊主が見られ、青々と稲が育つころには 駒姿となった雪渓が 見られるようになります。

木々の芽吹きも始まり、コブシやヤマザクラも花を咲かせます。雪解けの清流の中にミズバショウの姿も見られるようになることでしょう。

もうそこまで、春が来ているよ と告げるように、フキノトウも顔を出しています。福寿草も 咲き出し、カタクリの花も咲き始めることでしょう。

耳をすますと 春の足音が聞こえてきそうです。

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2人の人生の続きを歩む

2013-03-13 20:58:34 | インポート

「~ 自分に残された年月をかけて、愛する2人(妻と息子)の人生の続きを、私が歩んでいこうと思います。」

3月11日に行われた政府追悼式での 遺族代表:西城卓哉さんのことばの一節です。新聞の一面の見出しにもなっていました。

2人が歩めなかった その続きを 自らが歩んでいく という決意を込めたメッセージに、谷川俊太郎さんの詩:「そのあと」 と重なり合うものを感じました。その続きを歩むことは、終わらない そのあとを生きるということであると感じたからです。それはまた、西城さんの心にある そのあと を 生きることでもあるのかもしれないと思いました。

西城さんは、幸せな時間をくれた二人への感謝の思いも語っています。

「~ それでも一つだけ確かなことは、あなたが(息子さんも含め)いた私の人生は幸せだったということです。」

納棺師となった川村さんも、次のように語っていました。

「震災から1年は、『助けてあげられなくてごめん』と家族に謝ってばかりだった。いまは、『自分のところに来てくれてありがとうね』と語りかけています。」

亡くなった家族への感謝の思いが、悲しみを乗り越え、次の一歩を踏み出そうとする力になっていったように感じました。止まっていた時間が ゆっくりと 西城さんの心の中で動き出したようにも感じました。

続きを歩むということは、心の中に生きる家族とともに、これからの人生を歩むということなのかもしれません。これからも立ち止まり、悲しみを乗り越えていくための辛い時間が訪れるかもしれませんが、どうか歩み続けていってくださいと 心から願います。

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あれから2年目を迎えて

2013-03-11 22:40:11 | インポート

警察庁によると、東日本大震災による岩手・宮城・福島3県の被害状況(3月8日現在)は、死者は15、811人、行方不明者は2,668人。。行方不明の方は、今も帰るに帰れない状況にあり、残された家族の方は2年たっても失った家族を迎え入れることができないままにあります。

74名の児童が亡くなった大川小学校でも、まだ4名の児童が行方不明のままです。子の帰りを待つ父親は、「ここの捜索が終われば、『区切り』になってしまうのだろうか。時間がたてばたつほど、つらくなる」と、その思いを語っています。

震災による避難者は、復興庁のまとめ(2月7日現在)によると、今でも315、196人にも上っているとのこと。復興の道に向かっているとはいえ、いまだにこれだけたくさんの人が、避難生活を余儀なくされています。被災され、大切な人を失った人々が心の痛みを抱えて懸命に生きていることや、原発事故のために故郷に戻ることさえできない事実に、改めて震災がまだまだ終わっていないことを実感します。被災された人々が、『区切り』を感じることができるのに、あとどれだけの年月が必要とされるのでしょう。それぞれの人が自ら抱える重い荷物をおろせる時が果たして来るのでしょうか。

こういった厳しい現状の中にあっても、被災された方々が 今ある命を大切にして明日への一歩を踏み出していくことを 心から願います。また、その一歩を導くような 国や行政の 確かな支援の手が行きとどくことを 強く望みます。合わせて 微力であっても 自分のできることを考え 実践できたらと考えます。

今日の天声人語に、谷川俊太郎さんの詩が取り上げられていました。

           そのあと

                       谷川俊太郎

  そのあと がある

  大切なひとを失ったあと

  もうあとはないと思ったあと

  すべて終わったと知ったあとにも

  終わらない そのあと がある

          そのあと は一筋に

          霧の中へ消えている

          そのあと は限りなく

          青くひろがっている

                  そのあと がある

                  世界に そして

                  ひとりひとりの心に

そのあとは 被災され 大切な人を失った人の 前にひろがる道なのかもしれません。そんな悲しみや辛い思いを抱く人 誰にも 共通する 終わることのない 未来に続く道なのかもしれません。たとえ その先が 霧の中に消えていても、どう進んでいいのか 迷うほど 限りなく青くひろがっていても、道は続いてるはずです。どう進んでいくかは、そのひとりひとりに課せられた 問いなのかもしれません。そのあとが ある限り、道は続いていきます。歩いて行くことで そのあとが 残ります。そして また 新たな そのあとが 見えてくるのかもしれません。でも 歩きながら考えることで、その答えが見つかるのかもしれません。だからこそ、そのあとを いま歩くことが 大切なのだと思えるのです。  

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連載記事「生きる」を読んで

2013-03-10 09:37:11 | インポート

朝日新聞の社会面に、3/5から 震災で大切な人を失った被災地の人々を取り上げ、この2年 悲しみと向き合いながら、どう 生きることの意味を探し続けてきたかを 紹介する記事「生きる」 が連載されています。愛する家族を失い、そのことを悔みながらも懸命に生きている人々の姿に、心が揺り動かされます。

1回目は 妻と二人の子を失い、現在は納棺師となって働く 岩手県に住む28歳の川村祐也さん。「納棺師は、故人をきれいに戻し、家族に帰してあげる。そうすれば家族が泣ける。故人と家族をつないであげるんです。」 被災地で遺体復元のボランティアを続ける納棺師の女性の言葉が、川村さんの心に残ります。これまでの仕事をやめ、新たに始めた納棺師の仕事を通して、川村さんは 家族が亡くした人を大切にしていることをひしひしと感じ、命って大切なんだということを実感します。震災から1年は、「助けてあげられなくてごめん」と家族に謝ってばかりだったものの、いまは家族に対して「自分のところに来てくれてありがとう」と、語りかけているそうです。そして、納棺師である 自分の右手は長男で、左手は次男なんだと考え、その技術の成長が子どもの成長だと思っているとのこと。亡くなった家族と共に いまを生きていることになるのですね。納棺の時に使うメークボックスには、妻が好きで見ることのできなかった桜の花が入っているとのことです。

2回目は 5歳の次男を失った 福島県に住む小学校教師の斎藤誠さん。斎藤さんは、震災翌日に第一原発が爆発し避難指示が出されたため、行方不明となった次男を探しに行くことができませんでした。県内外を転々とする避難生活を強いられる中、4月8日に次男の死を知らされます。あの日、助けに行ってあげられなかったこと、ずっと捜しに行ってもやれなかっことを悔しく思い、心の中の時計があの日のまま、止まってしまいます。でも、その時計が動き出すような希望が生まれました。新しい命の誕生です。予定日は3月10日で、男の子。名前も亡くなった翔太君から一字をもらって、優太にしようと考えているとのこと。担任している子どもたちにそのことを打ち明けると、拍手をしてもらったそうです。教室でも本当の笑顔で子どもたちの前に立ちたい、今はそう願っているとのこと。今日が予定日ですが、もう優太君は生まれたのでしょうか。新たな命の誕生が、前に進む希望のともしびとなったのですね。その命とともに、心の時計も動き出していってくれることを心から願います。

3回目は 小学校4年の娘さんを失った 福島県に住む塾経営者の鈴木貴さん。鈴木さんは、保育園に長男を迎えに行き、その足で学校帰りの娘さんがいる実家に向かう途中で津波に襲われます。長男は何とか助かりましたが、実家にいた娘さんと母親を失ってしまいます。棺に入った娘さんを見て、その死が信じられず、一緒にいた実家の兄に確認してもらうことで自分を納得させることにしたとのこと。「助けられなくて、ごめんね」と、何度も言ったそうです。娘の姫花さんの夢は、デザイナーになること。震災の2年前に、姫花さんは、近くの灯台の絵を描きました。オレンジ色の太陽・黄色に染まる空・緑の大地と青い海・真っ白な灯台が描かれたもので、この絵を京都のデザイナーがハンカチにし、いま灯台の下にある売店で売られているそうです。今でもあの日のことが忘れられず、助けられなかったことを悔やむ日が続いているようですが、姫花さんのハンカチをつくって売り、思いを込めて寄付していくことが、姫花さんを育ていくことになると考えているとのこと。ハンカチを通して、愛娘と共に生き、育てていると感じることに、悲しみの深さを想います。ただ、そのことを一つの光として前に向かって生きていってほしいと願います。いまを共に生きている 残された二人のお子さんたちのためにも。

4回目は、妻と二人の娘を失った 宮城県名取市に住む住宅メーカーで働く桜井謙二さん。桜井さんは、いまでも時間があれば、自宅のあった場所に行くそうです。「いまは更地です。でも仕事から帰ってきたあと、夜にでも行く。そこに行くと、家族と暮らした日々を感じることができるんです。」 昨年の3月10に、長女(14歳で亡くなった)が巣立つはずだった中学校の卒業式に参列しました。イスに置かれた娘さんの写真を見て、来なければよかったと思ったものの、「いつまでも、やさしくてかっこいいパパでいてね。」と言ってくれた娘さんの言葉を思い出し、ここで逃げたら立ち直れなくなると思ったそうです。今年の3月15日には、次女(10歳で亡くなった)の卒業式があり、学校から招かれているものの、まだ返事はできていないとのこと。校内のあらゆる場所が次女の思い出と結びつき、いまも廊下を歩く姿や校庭で遊ぶ姿が浮かんでくるからです。「周りの方からは、『奥さんや娘さんのお墓を守るのがあなたの役目だよ』と言われることがあります。でも、いまはまだ、道筋がみえないんです。あれから2年がたち、みんなが復興に向かって動いています。でも、私は家族を失ったという思いにとどまっている。そんな気持ちを口にすることもむずかしくなっているように思う。」 家族と一緒に過ごした日々、一つ一つの思い出が心によみがえってくるのですね。それだけ、桜井さんにとって大切な家族であり、生きるよりどころとなっていたのだと思います。斎藤さんの言葉にあったように、心の時計はとまったままなのですね。娘さんの言葉にあったように、やさしくてかっこいいパパとして、これからの一歩が踏み出せる日がくることを、心から願います。

愛する人を失った心の痛みを抱えながらも、いまを懸命に生きようとしている人々の思いがひしひしと心に伝わってきます。その思いに少しでもよりそうことで、被災された方々の心の痛みを汲み取ることができたらと思います。

それにしても、天は 愛した人に なんと重い 悲しみや苦しみを与え続けるのでしょうか。

愛は見返りを求めないとはいうものの、愛した分だけ 愛した人には 愛が与えられるような 未来であってほしいと 強く願います。

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