あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

サッカーの試合を見てのもどかしさ

2018-06-29 22:58:05 | 日記
日本とポーランドのサッカーの試合を見ていて、感じたことがありました。
結果的には、決勝トーナメントに出場することができたわけですが、その
結果をもって肯定できるほど、ゲーム最終の戦うことをあきらめたような
ボール回しは、果たして最良の戦術だったのかという疑問です。

それまでの二試合が、最後まで攻撃の手を緩めず、戦い続けた必死さが、
魅力だったチームが、負けを受け容れながら攻めの姿勢を放棄し、味方同
士のパスに終始する姿は、見ていてとても残念に思いました。会場のブー
イングも、戦うことをあきらめ時間経過だけを待つようなプレーに、抗議
する思いがあったから、起こったものだと思います。

結果以上に大切なのは、そこにたどり着くまでのプロセスなのではないか
と考えてしまいます。
もし、最後まで攻め続けることで、ポーランドが2点目を取ったり、日本
の選手がイエローカードを何枚かもらったりすることで、日本代表が決勝
トーナメントに出場できなくなってしまっても、ファンは最後まで攻め続
けたチームに、心からの拍手をおくったのではないでしょうか。

会場で応援するファンやテレビ中継を見ていた世界中のサッカーファンも
セネガルやポーランドの代表メンバーも、納得できた試合になったのでは
ないでしょうか。

決勝トーナメントに出場できたことよりも、もっと大切な何かを失ってし
まったのではないのかと思えてしかたがありません。

決勝トーナメントに向けての 6人のメンバー変更であり、パス回しもそ
の戦略だったとしても、どこかもどかしく 失ったものの方が大きいよう
に感じて仕方がありません。

その失ったものを実感しているのは、もしかすると選手の皆さんなのでは
ないかという気もします。決勝トーナメントでの士気に悪影響をもたらす
のではないかと心配になります。

スポーツに勝ち負けがあるのは当然ですが、結果以上に大切なのはそのプ
ロセスであり、選手一人ひとりの全力プレーを感じ取れば、結果が負けで
あっても、ファンは納得し 応援する熱い思いは変わることがないのでは
ないかと思います。

現在、私の応援する プロ野球の楽天は、パリーグで断トツの最下位であ
り、ただ1チームだけ負け数の多い(18の借金)チームです。
それでも、ファンの一人として 応援は続けたいと思っています。球場で
見る 選手の懸命なプレーに、心打たれるからです。

ワールドカップは、確かに世界的な大会であり、日本のプロ野球などと比
較できない規模のものだと思いますが、どのスポーツにも共通した魅力が
あり、チームの一丸となった熱いプレーこそファンを引き付けるスポーツ
の醍醐味なのはないかと思います。

失われた大切なものを、決勝トーナメントのゲームの中で取り戻してほし
い、そんな願いを込めて、日本代表チームを応援したいと思います。
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大阪北部地震

2018-06-22 09:29:19 | 日記
先日の大阪北部地震で亡くなった方々のご冥福を心からお祈りいたします。

学校教育に携わった者として、特に通学途上でプロック塀の下敷きになって
亡くなった女子児童の痛ましい死については、言葉もありません。

40年前の宮城県沖地震において ブロック塀倒壊によって亡くなった人々
のことを思い出しました。

地震の際には倒壊する危険のあるもののそばには近寄らないということが、
教訓として今でも心に残っていますし、子どもたちにも 避難訓練の際には
そのことを語り続けてきたことを思い出します。

立っているのが大変なほど激しい揺れだったので、女子児童は思わず支えてく
れる壁際に寄ってしまったのかもしれません。

当時仙台市内の学校に勤務していた私は、学区内の被害状況や通学路の確認を
し(幸い児童や家族の安全は確認できました)、帰りに市内の中心部の被災状況
を見て歩きました。
ビルの建物の一部には、窓が落下し出入口付近にガラスの破片が散乱している
ところがいくつかありました。もし、地震の揺れに驚き、建物の外に急いで
避難しようした人やその場にいた歩行者の頭上に、この窓や割れたガラスが落
ちて来たら、大変な被害になったのかもしれないと思いました。

屋外で地震に出会ったら、建物や壁など倒壊するものの近くに近寄らないという
ことを改めて感じた体験になりました。

もし、地震が少し遅れて発生したとしたら、女子児童は学校の中にいて無事だっ
たかもしれません。しかし、通学途上にある他の児童が同じ場所で倒れてきた塀
の下敷きになったかもしれません。

いつ・どこで地震に遭遇するかは、誰にも予測はできません。

朝・昼・晩、町で・学校で・通学途上で・家の中で・海で・山で、
時間と場所を問わず、地震に遭遇した場合 自分の命を守るために どう行動す
ればよいのか、学校や家庭で話し合い、いざとなった時の心の備えをしておきた
いものです。

未来ある子どもの死には、心が痛みます。
5才の女の子の虐待死など、死に至る前に 周りでできること・やっておくべき
ことがなかったのだろうかと考えます。

せめて 同じような悲劇が繰り返すことがないよう、改めて自分のできることを
見直していきたいと思います。

子どもの未来を守る責任は、大人の手の内にあるのですから。
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