あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

連載記事「生きる」を読んで

2013-03-10 09:37:11 | インポート

朝日新聞の社会面に、3/5から 震災で大切な人を失った被災地の人々を取り上げ、この2年 悲しみと向き合いながら、どう 生きることの意味を探し続けてきたかを 紹介する記事「生きる」 が連載されています。愛する家族を失い、そのことを悔みながらも懸命に生きている人々の姿に、心が揺り動かされます。

1回目は 妻と二人の子を失い、現在は納棺師となって働く 岩手県に住む28歳の川村祐也さん。「納棺師は、故人をきれいに戻し、家族に帰してあげる。そうすれば家族が泣ける。故人と家族をつないであげるんです。」 被災地で遺体復元のボランティアを続ける納棺師の女性の言葉が、川村さんの心に残ります。これまでの仕事をやめ、新たに始めた納棺師の仕事を通して、川村さんは 家族が亡くした人を大切にしていることをひしひしと感じ、命って大切なんだということを実感します。震災から1年は、「助けてあげられなくてごめん」と家族に謝ってばかりだったものの、いまは家族に対して「自分のところに来てくれてありがとう」と、語りかけているそうです。そして、納棺師である 自分の右手は長男で、左手は次男なんだと考え、その技術の成長が子どもの成長だと思っているとのこと。亡くなった家族と共に いまを生きていることになるのですね。納棺の時に使うメークボックスには、妻が好きで見ることのできなかった桜の花が入っているとのことです。

2回目は 5歳の次男を失った 福島県に住む小学校教師の斎藤誠さん。斎藤さんは、震災翌日に第一原発が爆発し避難指示が出されたため、行方不明となった次男を探しに行くことができませんでした。県内外を転々とする避難生活を強いられる中、4月8日に次男の死を知らされます。あの日、助けに行ってあげられなかったこと、ずっと捜しに行ってもやれなかっことを悔しく思い、心の中の時計があの日のまま、止まってしまいます。でも、その時計が動き出すような希望が生まれました。新しい命の誕生です。予定日は3月10日で、男の子。名前も亡くなった翔太君から一字をもらって、優太にしようと考えているとのこと。担任している子どもたちにそのことを打ち明けると、拍手をしてもらったそうです。教室でも本当の笑顔で子どもたちの前に立ちたい、今はそう願っているとのこと。今日が予定日ですが、もう優太君は生まれたのでしょうか。新たな命の誕生が、前に進む希望のともしびとなったのですね。その命とともに、心の時計も動き出していってくれることを心から願います。

3回目は 小学校4年の娘さんを失った 福島県に住む塾経営者の鈴木貴さん。鈴木さんは、保育園に長男を迎えに行き、その足で学校帰りの娘さんがいる実家に向かう途中で津波に襲われます。長男は何とか助かりましたが、実家にいた娘さんと母親を失ってしまいます。棺に入った娘さんを見て、その死が信じられず、一緒にいた実家の兄に確認してもらうことで自分を納得させることにしたとのこと。「助けられなくて、ごめんね」と、何度も言ったそうです。娘の姫花さんの夢は、デザイナーになること。震災の2年前に、姫花さんは、近くの灯台の絵を描きました。オレンジ色の太陽・黄色に染まる空・緑の大地と青い海・真っ白な灯台が描かれたもので、この絵を京都のデザイナーがハンカチにし、いま灯台の下にある売店で売られているそうです。今でもあの日のことが忘れられず、助けられなかったことを悔やむ日が続いているようですが、姫花さんのハンカチをつくって売り、思いを込めて寄付していくことが、姫花さんを育ていくことになると考えているとのこと。ハンカチを通して、愛娘と共に生き、育てていると感じることに、悲しみの深さを想います。ただ、そのことを一つの光として前に向かって生きていってほしいと願います。いまを共に生きている 残された二人のお子さんたちのためにも。

4回目は、妻と二人の娘を失った 宮城県名取市に住む住宅メーカーで働く桜井謙二さん。桜井さんは、いまでも時間があれば、自宅のあった場所に行くそうです。「いまは更地です。でも仕事から帰ってきたあと、夜にでも行く。そこに行くと、家族と暮らした日々を感じることができるんです。」 昨年の3月10に、長女(14歳で亡くなった)が巣立つはずだった中学校の卒業式に参列しました。イスに置かれた娘さんの写真を見て、来なければよかったと思ったものの、「いつまでも、やさしくてかっこいいパパでいてね。」と言ってくれた娘さんの言葉を思い出し、ここで逃げたら立ち直れなくなると思ったそうです。今年の3月15日には、次女(10歳で亡くなった)の卒業式があり、学校から招かれているものの、まだ返事はできていないとのこと。校内のあらゆる場所が次女の思い出と結びつき、いまも廊下を歩く姿や校庭で遊ぶ姿が浮かんでくるからです。「周りの方からは、『奥さんや娘さんのお墓を守るのがあなたの役目だよ』と言われることがあります。でも、いまはまだ、道筋がみえないんです。あれから2年がたち、みんなが復興に向かって動いています。でも、私は家族を失ったという思いにとどまっている。そんな気持ちを口にすることもむずかしくなっているように思う。」 家族と一緒に過ごした日々、一つ一つの思い出が心によみがえってくるのですね。それだけ、桜井さんにとって大切な家族であり、生きるよりどころとなっていたのだと思います。斎藤さんの言葉にあったように、心の時計はとまったままなのですね。娘さんの言葉にあったように、やさしくてかっこいいパパとして、これからの一歩が踏み出せる日がくることを、心から願います。

愛する人を失った心の痛みを抱えながらも、いまを懸命に生きようとしている人々の思いがひしひしと心に伝わってきます。その思いに少しでもよりそうことで、被災された方々の心の痛みを汲み取ることができたらと思います。

それにしても、天は 愛した人に なんと重い 悲しみや苦しみを与え続けるのでしょうか。

愛は見返りを求めないとはいうものの、愛した分だけ 愛した人には 愛が与えられるような 未来であってほしいと 強く願います。

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