あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

演劇『八月に乾杯!』を観て

2020-08-22 18:33:52 | 日記
今日は、コロナ禍の中、半年振りの仙台演劇鑑賞会の例会でした。

劇団俳優座の岩崎加根子さん・小笠原吉知さんによる二人芝居。
原作は、A・アルブーゾフ 訳・演出は、袋 正 さん。

主人公の二人 リーダ(岩崎さん演じる)とロジオン(小笠原さん演じる)は、
戦争によって、愛する息子と愛する妻を失った悲しい過去を持っています。
そんな過去を持った 若くない二人は 保養所の患者と医師として出会います。
お互いの価値観の違いからケンカをするような出会いであったものの、出会いを
重ねるたびに、お互いの心が惹かれ合います。

リーダの奔放な言動と豊かな感性が、ロジオンの閉じた心を開き、
ロジオンの亡くなった妻に寄せる真摯で誠実な思い(戦争のためにこの地で亡くなった
妻の墓に毎日花を手向け続けていた)に、リーダの心が動かされます。
二人のそういった思いの変化が、二人の交わす会話や態度を通してしみじみと伝わっ
てきます。さすがの演技力でした。

大詰めの別れの場面での 乾杯の場面。
お互いの出会いに感謝し、別れることを納得させようとする 二人の心遣い。
モスクワに旅立つリーダを迎えに来たタクシーが、エンジンを鳴らしながら去って
いく音を耳にしながら、絶望の淵に置かれ心臓発作で意識を失ってしまうロジオン。
しかし、リーダはモスクワへは旅立たず、彼のもとに戻ることを決心します。
戻ってきたリーダに気づき、ロジオンは意識を取り戻します。
そのとき リーダが彼に語った言葉。
「私の人生は、あなたって方に出会うための人生だったのかしら……」
それはまた ロジオンにとっても
「私にとっても 亡き妻とあなたに出会うための人生だったのかもしれない…」
という思いだったのではないかと感じました。

心に残るエンディングの場面でした。
 
人は人を愛するために生きているのかもしれません。

久しぶりの演劇鑑賞でした。

リーダを演じた岩崎さんは、会報に次のようなメッセージを寄せていました。
  いま  
   つらさを凌いで 穏やかな安らぎを 求めている このごろ
   ひとの思いを われをもて 表すさま 感じていただきたい。
   ひととき 限りない愛を望み ともに 楽しみ ましょう。
   乾杯!   八月という月のために!

いいですね…演劇は…。
限りない愛の行方を 感じることのできた ひとときでした。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

数と命の重さ

2020-08-20 23:02:26 | 日記
 8/18付の朝日新聞の記事が、心に残ります。
 記事の見出しは、【「感染者死者1」あなたは誰】
 記事に登場した長崎市の森田さんは、20年来、原爆で亡くなった人々の名前を
戦没者名簿に筆で記す筆耕を続けている。
 作家の姜信子さんは、社会から強制的に隔離されたハンセン病患者をはじめ、
自らの名前や生きてきた記録を許されなかった人々の足跡をたどり、書き記し
てきた人。在日韓国人三世でもある。
 コロナ禍のニュースでは、毎日積みあがる死者や感染者の数が報じられている。
しかし、その人がどんな名前を持った人なのかは、プライバシーの問題やその
家族の状況や心情に配慮した形で、名前を隠した形でその数だけが報道されて
いる。実名報道されることで、その当人や家族が、誹謗中傷を受ける異常な社
会状況下であることは、悲しい現実でもあるのだと思う。
 しかし、森田さんは、『どの名前にも名付けた人の祈りが深く込められている』
と語り、亡くなった人々の『生まれた証し』の記録を続けています。
 姜さんは、コロナ禍でことに亡くなった人の名前が隠され、数字として語られる
ことに、『もうずっと前から私たちはそのことに慣れ、そのことだけではなく、
自分が数字にされていることにも慣れている』と語っています。
 その現実に対し、姜さんは『名前は、一人一人の命に与えられた、最も固有の言葉
であると同時に、命と命のつながりの証し』と語ります。
 そしてさらには、『名前が数字にされた時、個々の記憶は世界とのつながりを失っ
てしまう。名前と命の結びつきを取り戻すのは、今の社会を作り直す、最初の一歩
なのだと思います。』と語ります。

 先日、学び直しのボランティア活動の中で、二つの詩を取り上げました。
 石垣りんさんの『表札』と新川和江さんの『わたしを束ねないで』の詩です。
『表札』では、最後の連で
  精神の在り場所も
  ハタから表札をかけられてはならない
  石垣りん
  それでよい。
と語られ、『わたしを束ねないで』の最後には
  わたしは終わりのない文章
  川と同じに
  はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩
と語られています。
 二つの詩には、共通した主張があります。

 『表札』の詩に書かれている 精神の在り場所は、石垣りんという人の中に
あるのですね。そこは、誰にも侵すことのできない その人だから持つことの
できる その人自身の大切なよりどころとなる場所。
ハタからどう思われようとも、勝手な表札をかけられようとも 私は 石垣りん
という名前の 一人の人間なのです。 という声が聞こえてきます。

 『わたしを束ねないで』では、わたしは 一つに束ねられるような存在では
なく、ハタからこうだと枠をはめられるような束ねられる存在ではないのです。
一つに束ねることのできない 自由に流れ拡がっていく わたし(という存在)
なのですから。 という声が聞こえてきます。

 共通しているのは、わたしは、名前を持ち、ハタから表札をかけられるような
 一つの枠におさまる存在ではなく、自由な精神の在り場所を持つ 一人の石垣
 りんであり、一人の新川和江という人間である。 
 そんな声が聞こえてくるような気がしてなりません。

 新聞の記事同様に、二つの詩を通して、数字であらわす人間の存在そのものが
いかに無味乾燥で、名前を持った一人一人が、いかにかけがえのない大切な存在
であり、一人一人が尊い命と精神を持った存在であることを 強く感じます。
 名前と命の結びつきの意味や価値を 見直すことのできる これからの社会で 
ありたいものだと 痛感します。


   表札
       石垣 りん

自分の住むところには
自分で表札を出すにかぎる。

自分が寝泊まりする場所に
他人がかけてくれる表札は
いつもろくなことはない。

病院へ入院したら
病室の名札には石垣りん様と
様が付いた。

旅館に泊っても
部屋の外に名前は出ないが
やがて焼き場の罐(かま)にはいると
とじた扉の上に
石垣りん殿と札が下がるだろう
そのとき私がこばめるか?

様も
殿も
付いてはいけない、

自分の住む所には
自分の手で表札をかけるに限る。

精神の在り場所も
ハタから表札をかけられてはならない
石垣りん
それでよい。


  わたしを束ねないで
         新川 和江
 
わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂

私を止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください 私は羽撃き
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音  

私を注がないで
日常性に薄められた牛乳のように  
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮 ふちのない水

私を名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
座りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風

私を区切らないで
・(コンマ)や・(ピリオド) いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには
こまめにけりをつけないでください わたしは終りのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8/6 意見広告を見て

2020-08-07 22:05:16 | 日記
8/6付けの新聞に、『第9条の会ヒロシマ』の会の皆さんの 意見広告が掲載されていました。
以下 その文面より 

 ゆめ
 きぼう
 こい
 みらい
 そういうことを 自由に えがき
 こせいを いかしあい
 こころを おもいやり 
 じぶんを ぞんぶんに あらわし
 たがいの でこぼこを そのままに
 ときには うめたりして たすけあい
 ほがらかに うたう
 それができる いまを
 そのさきへ つなぐために 
 今日 つたえよう だれかに 
 8月6日8時15分 75回目の原爆記念日
   わたしが わたしを やめないために

それぞれの願いや思いを 連ねる形で 綴った メッセージなのでしょう。
一人一人の思いや願いが大切にされる 平和な世界であってほしいと 私も思います。

改めて 核のない平和な世界を願うとともに、軍事力を放棄し、平和な世界を願う 憲法9条の意義と
大切さを痛感します。

  平和は、核兵器では守れず、つくれない。
  人を殺傷するための兵器や武器では どんな平和な世界もつくれない。
  かけがえのない命の尊さや重さを 誰もが理解し 大切に受け止める心が
  真の世界の平和を 形あるものに つくり変えていく。

8月6日・9日・15日は、私にとっても 核兵器の廃絶と世界の平和を改めて心に誓う日でもあります。

ヒロシマの原爆で愛する夫を失った 104歳の女性のことを紹介する記事を読みました。
4人の子どもに恵まれ、亡くなったご主人と共に過ごした 幸福だった10年間。
自力で4人の子を育てその成長を支え見守り続けた その後の75年間。
その女性は、今でも財布の中にご主人の写真を大切に入れ、その写真を見るたび涙を流してしまうそうです。
10年間の ご主人と子どもたちと共に過ごした幸せな日々。
75年間の 愛する夫を失いながらも子どもたちと共に懸命に生きた日々。
104年間の人生の中で、余りにも幸せだった日々の短さに、 戦争さえなければ 原爆投下さえなければ という 
女性の心の痛みを感じ、何ともやりきれない思いになります。

このような痛みを抱え続ける人がいない 核兵器も戦争もない 平和な世界であってほしいと 心から願います。

一人の幸せが守られてこそ、世界の人々の幸せが守られるのだと、改めて強く感じます。
  


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする