あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

命について思うこと

2012-02-28 21:53:04 | インポート

先日、友人から、同級生が自殺したという話を聞きました。

奥さんと子ども二人、ご両親を残して、命を断ったとのこと。どんなことに悩み、なぜ自殺という道を選んだのでしょうか。残された家族の方々は、どんなに辛く悲しい思いをかみしめておられることでしょう。そのことを想像するだけでも、心が痛みました。

先日の朝刊には、東京・立川市のマンションで母子二人の遺体が見つかったというニュースが載っていました。

女性はくも膜下出血で亡くなり、身体障害のある男児は栄養不足で亡くなっていたとのこと。死後1~2カ月経過しており、女性が先に病死し、男児が食事ができず衰弱死したとみられているようです。救える命を救うことができなかった何とも痛々しい悲しい出来事です。親子三人が餓死したとみられるニュースと重なり合うものを感じました。

      二つの命

生きようとして救われなかった命と

死のうとして救われなかった命がある

  母が病気で死んだため 食べ物が用意されず

  失われてしまった子どもの命がある

    妻と子ども二人 年老いた両親を残して 

    旅立っていった命がある

救われなかった二つの命

生きようとした命と 自ら断った命

    どちらも 命の重さに変わりがないのに

      子どもは 障害があったため 母の存在が 命の支えでもあった

      その母が亡くなり 途方に暮れて 残る命の灯を 燃やし続け 力尽きたのだろうか

      動かない母のそばで どんなに 辛く悲しい 時間を 過ごしたのだろう

        自ら命を断った父は その苦しい思いを 誰にも伝えることなく

        死という重さを 家族に与えて 旅立っていった

        残された家族は 肩にかかる その重さに これから耐え続けなければならない

          悲しい出来事は 悲しみしか残さない

            それでも 人間なので なぜ? と  問い返す

              どちらも 救えたかもしれない

              かけがえのない この世に たった一つしかない 命なのだから

 

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親子3人餓死(?)のニュースから思うこと

2012-02-22 10:20:17 | インポート

さいたま市のアパートで、男性2人と女性1人が死んでいるのが発見されました。この部屋に住んでいた60代の夫婦と30代の長男と見られ、いずれもやせ細っていたことなどから、餓死した可能性があるとのこと。ガスと電気は止められ、水道だけは使える状態にあり、遺体のそばには水の入ったペットボトルやコップが置かれていたそうです。

室内から見つかった現金は、1円玉が数枚だけで、食べ物はなく、水を飲んで生活していたとみられています。アパートの所有者の話だと、家賃の滞納は2年前ほど前から始まり、その頃に夫が腰を痛め、働けなくなったとのこと。

水道については、滞納のため水道局の職員が訪れた時に、妻とみられる女性が出てきて「夫が入院している」と説明したため、その事情に配慮し給水を止めなかったとのことです。

3人は住民票がなく、生活保護の申請もしていなかったようです。何らかの事情があったものと思われますが、死に至るまでの間に救える道はなかったのだろうかと、考えてしまいます。

お金も食べる物もなく、水だけを飲みながら、布団に体を横たえ 死期を待ち続ける 痛々しい姿が目に浮かんできます。30代の長男には、働く道も閉ざされていたのでしょうか。近所の方に借金をお願いした妻には、生活保護という道を選ぶ選択肢はなかったのでしょうか。生活保護は、住民票のあるなしにかかわらず申請が可能だということなのですが……。腰を痛めた夫は、どんな思いで布団に横たわっていたのでしょうか。

生きることは、死を選ぶことより難しいことだったのでしょうか。

以前、母親が育児を放棄し幼い姉妹が餓死するという悲しい出来事がありました。亡くなった子どもたちは、空腹のため食べることのできないものまで口に入れて亡くなっていたとのこと。最後まで生きようと必死だった子どもたちの姿に、二人の閉ざされた未来に、悲しみと憤りを感じたことを思い出しました。

生きたくても、大人の手でその未来を閉ざされてしまった子どもたちもいます。生きることを選ぶことさえできなかった子どもたちです。

どんな事情があっても、与えられた命を粗末にすることは許されないことなのではないでしょうか。死は、選ぶものではなく、与えられた命を全うすることで迎えるものです。

命は、何よりも尊く重いものです。三人の尊い命が失われたことをとても悲しく残念に思います。

家賃の滞納があった時点で、ガスや電気代の未納があった時点で、近所の方が借金を依頼された時点で、水道局の職員が訪れた時点で、周りの人が手をさしのべることはできなかったのでしょうか。苦しい事情や辛い思いに耳を傾けることは、できなかったのでしょうか。

もし、自分が身近にいたら何ができたのだろうかと考えてしまいます。

三人のご冥福を心から祈りたいと思います。

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楊令伝9巻 遥光の章を 読んで

2012-02-21 09:19:43 | インポート

楊令率いる梁山泊軍と童貫率いる宋の正規軍との息詰まる戦いも、決着の時を迎えます。先の戦いで梁山泊軍を破ったのは童貫軍でした。その宿命のライバルとの勝負の行方は、機先を制した楊令の側か、楊令の性格をよんだ童貫の側か、わずかの差で勝敗が決することになります。

戦いの後に流す楊令の涙に、童貫に対する敬愛に満ちた思いを汲み取ることができます。心に残る場面でもありました。

童貫軍との戦いを終え、楊令はこれからのことを、そして志を 熱く同志に語ります。

 ……宋江様が、最後に俺に言われたのが、光、という言葉だった。『替天行道』の旗が俺に光を当てるとな。…民のための国。『替天行道』の旗を見つめながら、俺が見つけたのは、民のための国という光だった。多くの男たちが、なんのために闘ってきたのか考えても、やはり出てくるのは、民のための国だった。帝など国には要らないのだ。苦しみや悲しみがあっても、民のための国があれば、民は救われる。それこそが、光だ。……

楊令が去った後、軍師である呉用が、付け加えるように次のように語ります。

……楊令殿が言ったことに、どれほどの現実味があるか、誰にもわからん。ただ、ひとつだけ間違いないのは、楊令殿が語ったのが、志そのものだったということだ。…昔の梁山泊では、みんな志を語ったな。志のために、いろんなやつが死んだ。…いま、われわれがほんとうに見つめなければならないのは、自らの内なる志ではないのか。私は、そう思う。…

戦いの先にあるものを考え、自らの志を一人一人が見つめながら、民のための新しい国をつくる。戦いを継続して広大な領土を求めるのではなく、今ある領土の内に理想の国をつくりあげる。そういった方向に向かって、梁山泊は踏み出していくことになります。

荒廃した宋の国の現状を憂い、これからの国のありようと自らの生き方を自問する、他の登場人物たち<官軍の将軍:岳飛、青蓮寺の李富>のこれからの動向も気になるところです。

壮大なスケールの中で、自らの志をもって理想の国をつくりあげようとする、登場人物たちの姿に一喜一憂し、その思いに心が打たれます。

自らの内なる志を、改めて見つめ直してみたいと思いました。

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天声人語を読んで思うこと

2012-02-17 21:16:01 | インポート

2/14付の天声人語を読んで、正論ではあるものの果たしてそうなのかなと疑問に思うことがありました。

本文は、個性について書かれた次のような内容でした。

~ 昨今の就職活動では、「個性を封印する」黒のリクルートスーツが流行している。「服装の自由化」を学生に勧める有力企業もあるが、説明会ではやはり黒の上下で埋まってしまう。就活は「人生をかけた椅子取りゲーム」にも例えられ、得点より減点が怖い時、周りから「浮く」のはそれなりの勇気がいる。黒はいわば、無難という名の保護色なのだろう。

夏目漱石が「草枕」に書いた「文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏み付けようとする」の一節は、どこか今の就活に重なる。

幼時からの教育はさかんに「個性」を言う。しかし、社会に出る学生は、指南本やセミナーの説く寸法に合わせてノウハウの尾ひれをつけ、就職戦線を泳ぐ。個性も、総体としての多様さも、色あせないかと心配になる。

むろん個性は外見よりむしろ中身だろう。とはいえ服装一つでも、同調圧力に抵抗力のある人は頼もしい。小器用に空気を読む人ばかりでは組織の活力も生まれまい。人との違いを楽しめる。そんな個性を応援したくなる。 ~

私は、黒のリクルートスーツを身につけた学生が、「指南本やセミナーの説く寸法に合わせてノウハウの尾ひれをつけ、就職戦線を泳ぐ」「同調圧力に屈した」学生とは一概に言えないのではないかと思うのです。むしろ就職戦線が厳しいが故に、無難な服を選ばざるを得ない学生の側の切実な状況について考えてしまいます。減点されることを恐れるのではなく、服装にとらわれずに自分の中味を評価してほしい。そういった思いが、無難な服を選ばせているのかもしれません。経済的に余裕のない学生にとっては、スーツを一着あつらえるだけでも大きな出費となり、冠婚葬祭を含めいろんな場で着用できる無難な色のスーツとして黒を選んでいるのかもしれません。また、採用試験を受ける会社によっては、個性的な服装を求めず、無難な服装を求めるところがあるかもしれません。黒系統が好きなので、選んだという学生もいるかもしれません。

三番目の娘が、就職戦線を戦う姿を見ており、地味な服装を好む私自身であるが故に感じる思いでもあるのかもしれません。

ただ、現象面で黒のリクルートスーツが目につくとしても、個々の学生にとってはさまざまな事情や理由があって、黒を選択しているように思えるのです。

大切なのは、目に見えることだけで、人なりは判断できないということなのではないかと思います。個性は、内に輝くもので、その人しかもたないかけがえのないものです。採用する側は、服装にとらわれずに学生のもつその人なりを判断し、学生の側も自らの内を磨く努力を大切にしてほしいと考えます。

確かに、内なる個性を外にも表現できる人は、服装にも自分らしさを表現できる人なのかもしれません。そういった積極的に自己表現できる個性を求める思いも理解できます。

しかし、たかが服装なのに、されど服装になってしまうところが問題なのではないかと思うのですが…どうでしょうか。

外に見えるものだけで、何事も推し量ることはできないのではないかと思えるのです。

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中学生の句が世界をつなぐ

2012-02-17 20:52:13 | インポート

新聞の県内版で、女川一中の子どもたちが読んだ震災の俳句が紹介されていました。柔らかな感性で震災の印象や思いを綴った句に、そこから新たな一歩を踏み出そうとする若く力強い思いを感じてきました。その作品がNHKのラジオ国際放送で世界に紹介され、聞いた人々から励ましの詩が送られてきました。その詩を読んだ中学生たちが、その届けられた思いを句にしました。

放送では、「見上げれば がれきの上に こいのぼり」の句が紹介され、これに続く詩が募集され、49の国と地域から約800もの詩が寄せられたとのこと。そのうち25作をNHKが選び、生徒たちがその詩を七・七の形に直し、短歌に仕上げました。その作品を次に紹介します。

○ 見上げれば がれきの上に こいのぼり 涙の先に 新しいいのち

 『涙をふいて笑ってください。美しい故郷をもう一度立て直しましょう。桜はまた咲くから』 中国から寄せられたこの詩の思いを、第1句をつくった泉美さんは上記のように「涙の先に 新しいいのち」と詠み直しました。「新しいいのち」は、春に咲く桜の花でもあり、故郷の復興を願い新たな思いで歩んでいくという決意でもあるのかもしれません。涙の先に希望を見出す若さに頼もしさを感じるとともに、詩を書いた人の温かい励ましに心が打たれました。

○ 見上げれば がれきの上に こいのぼり 風が吹いたら 必ず逢える

 『こいのぼりがはためく 心に風が吹くところで 誰かがあなたを待っている』 中国から寄せられたこの詩を読んで、作者の日菜さんは津波で亡くなった人々を思い、かわいがってくれた親類の老夫婦への思いを込めて「風が吹いたら 必ず逢える」という句にしたそうです。風が吹くところで笑顔をいっぱいにして待っていてくれるのは、優しい老夫婦なのでしょうか。心の中に確かに生きている人々との思い出を、これからも大切にしていくのでしょうね。そして、もしかすると夢や希望を与えてくれる誰かが、未来で待っていてくれるのかもしれません。詩を書いた人は、風を受けて元気にはためくこいのぼりを、子どもたちの未来と重ねて見ているのかもしれないと思いました。

○ 見上げれば がれきの上に こいのぼり 希望をもって 明日へと泳ぐ

 『明日は現実になる 夢のこいのぼり』 この詩は、内戦が終結したスーダンから寄せられたとのこと。スーダンの人々は、同じ国民同士が殺し合う内戦という悲劇が終わることをどんなに待ち望んでいたことでしょう。平和がやっと訪れたことの喜びがあるからこそ、夢が現実になることを実感されたのではないかと思います。その思いを汲み取った作者の健斗さんは、「自分の目には映らなくても、明日は町のどこかが再生している」と感じ、「希望をもって 明日へと泳ぐ」という句にしたようです。南スーダンでは、食料事情が悪化し、餓死者も数多く出ているようです。新しい国づくりを進めていく困難さは、震災から再興を目指す被災地と共通するのかもしれません。明日を信じ希望をもって生きることの大切さを、強く感じました。

○ 見上げれば がれきの上に こいのぼり 忘れないんだ あの太陽を

 『忘れないで どんなに夜が長くても また太陽がのぼること』 メキシコから届いた詩です。作者の優太さんは、この詩を読んであの日を思い出しました。震災当日の空は暗くそのまま変わらないのではないかと思えた。だが、数日後の暖かな日差しに「いや変わるんだ」と奮い立つことができたとのこと。その時の思いを込めて「忘れないんだ あの太陽を」という句を書いたそうです。太陽は、希望そのものでもあるのですね。夜が長ければ長いほど、辛いことが多ければ多いほど、太陽の存在を忘れてしまうのかもしれませんが、それでもいつかは太陽がのぼる日が来るということを、忘れてはいけないのですね。太陽は、希望であり未来を照らす光であるということ。また、未来をつくる子どもたちの存在自体が、太陽そのものであるのかもしれません。

○ 見上げれば がれきの上に こいのぼり 祈りが届いた 遠い被災地

『可愛い子どもたち 毎日祈っています 健やかでありますように』 ミャンマーから届いた詩です。温かな呼びかけをうれしく感じ、作者の望月さんは「祈りは被災地のみんなで受け取りたい」と考え、「祈りが届いた 遠い被災地」という句にしました。国や地域が異なっていても、人が人を思う気持ちに、国境はないことを痛感します。女川の子どもたちの思いは、世界中の人々の心に届き、届いた思いが詩としてまた女川の子どもたちの心に届き、その届いた思いが短歌となって詩を書いた人に届けられる。

女川の中学生の心が世界をつないだ 感動的な出来事だったのではないかと思います。

国境を超えた人間としての温かい心のつながりのすばらしさを痛感します。

 

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