あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

東京に出かけてきます

2013-03-28 23:25:16 | インポート

明日から、1泊2日で東京に出かけてきます。東京で働く娘の激励が第一の目的です。就職1年目の昨年度は、いろんな面で苦労や悩みもあったようですが、何とか周りに支えられながら本人も努力することで、乗りきることができたようです。明日は娘が休みなので、妻と一緒に これまでの苦労話を聴きながら、横浜の中華街で豪華ディナーで慰労したいと思っています。

東京国立博物館で、円空展が開催されていますので、娘も誘って 100体に及ぶ円空作の仏像を眺めてこようかなと思っています。そこでどんな感動を覚えたかについては、後日のブログに書く予定です。明後日の予定は、今のところ未定です。鎌倉方面にでも足を伸ばそうかとも考えているのですが……。

1年振りの 妻と一緒の旅になります。昨年は、北鎌倉方面に出かけ、歴史と豊かな自然に育まれた鎌倉の良さを 一緒に歩きながら 実感してきました。今年も、得るものの多い旅になりそうです。結婚31年目の記念すべき年ですので、妻への感謝の思いを込めながら 心に残るひとときを過ごしてこようと思っています。

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一票の格差問題について

2013-03-26 22:22:43 | インポート

昨日の広島高裁に引き続いて、岡山でも、先の衆議院選挙に対し違憲で無効という判決が出されました。マスコミでも大きく取り上げられていますが、この問題は民主主義の根幹に関わる問題なのではないかと思います。

広島高裁の判決の骨子は、次のようになっています。

○昨年12月の衆議院選挙当日の区割り規定は、憲法14条に違反する。

○民主的政治過程のゆがみは、重大で憲法上許されない事態であり、憲法の規定に反する区割り規定に基づいて施行された選挙は無効。

○区割りの改定作業が始まっていることを勘案し、選挙無効の効果は今年11月26日経過をもって発生する。

※憲法14条 1 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

憲法14条の法の下の平等という点から、2009年の衆議院選挙(最大で2.30倍の格差)を最高裁は11年の3月に違憲状態と判断したのにもかかわらず、2012年の昨年末の選挙では格差が2.43倍に広がった状態で選挙が行われ、今回のような厳しい判断が出されました。一票の重さを軽視した形で選挙が強行されたことに対する、司法の側からの厳しい判断だったのではないかと思います。

政治家が自分の都合だけで選挙という土俵を取り仕切っていることに大きな問題が内在し、司法の判断を軽視してきた政治家の怠慢が問われる問題なのではないかと考えます。民意に対する政治家の傲慢な態度が是正されない限り、1票の重さが平等に反映される政治は実現できないのではないかと思います。

新聞では、「政党や政治家は、有権者に選ばれる立場なのに、一票の格差問題では、まるで政治家が有権者を選ぼうとしているかのようである」 と指摘していましたが、私も全く同感です。政党の利害がからむことで、選挙制度の改革は一向に進展しない状況があります。国民主権の考えが大切にされ、民意が政治に正しく反映される、選挙制度の改革が今こそ必要なのではないかと思います。

それにしても、選挙制度の改革を政治家に委ねていいのかという疑問も感じます。自分たちに都合のよい制度を政治家は考えてしまうのではないかと思ってしまうからです。民主主義の理念のもとで、国民が平等に一票の重みを行使し、真の政治家を選ぶことのできる選挙制度の実現を心から願います。その実現に努力する真の政治家が、どれだけいるのかはとても疑問なのですが……。今後の政党や政治家の行動に注目したいと思います。

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ジョウビタキを見て

2013-03-25 22:19:11 | インポート

頭は、白みがかった灰色で、顔のあたりは黒、胸からおなかにかけてオレンジ色で、羽は全体が黒で一部に白が混じっている。体の大きさは15㎝ぐらいで、冬によく見ることのできる小鳥。それがジョウビタキのオスです。

以前にも、庭にあるムラサキシキブや桜の木の枝にいるところを見かけてはいたのですが、昨日は畑のはしにあるバタンキョウの枝にとまっている姿を見かけました。近づいても飛び立たない様子なので、急いで家からデジカメを持ち出し写真に撮りました。

ふっくらとしたおなかのあたりの 鮮やかなオレンジ色が 目をひきます。何とも温かそうな毛並で プクッとした全体的な様子に、とても愛らしさを感じてしまいます。渡り鳥ということなので、暖かくなれば北の方に移動してしまうようです。見かけられるのもあとわずかなのでしょう。そう思うと、なおさら愛おしく感じてしまいます。

我が家の庭や畑には、いろんな小鳥たちが訪れているのですが、これまではあまり関心をもたないでいました。今年は、じっくりと野鳥の観察をしてみようかなと思っています。暖かくなったら、餌台をつくって庭に設置し、そこに集まって来る鳥たちを観察できたらと考えています。

昨日、耕運機で畑を耕しました。春の訪れに合わせて農作業の方にも本格的に力を入れていきたいと思ったからですが、さっそく激励に訪れた仲間がいました。畑を耕すと必ずのように掘り起こした土の間をちょこまかと動き回り、癒しのひとときを与えてくれた セキレイです。これまで見かけたセキレイと同じ小鳥なのかどうかは不明ですが、懐かしい友と出会ったような ほのぼのとした気持ちになりました。

命あるものが 活動を始める春。春の息吹が、私の内でも外でも動き始めたようです。

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桜の便り

2013-03-24 10:20:22 | インポート

東京の上野公園の桜も見頃を迎えたようです。この調子で桜前線が北上してくると、私の住む宮城も例年より早く開花の時期を迎えるかもしれません。予報では、仙台の開花は4月8日頃とのこと。とすれば、栗原市では4月中旬頃には満開の桜を見れそうです。

今年は、野山に咲く桜の風情を写真に撮り、フォトアルバムで紹介できたらと考えています。

満開の桜の花の美しさに見とれながら、なぜか 同時に それがやがて桜吹雪となって散っていく様子を想い描くようになったのは いつのころからだったでしょうか。すべてのものに、始まりがあって終わりがあるのだ ということに気づくことができるようになってからでしょうか。一瞬の風が通りすぎ余韻を残していくように、その運命論が妙にすっぱく心に残ったものです。

満開の花の華やかさ、花吹雪となって散る潔さ、美しさとはかなさと寂しさが一体となったような 風情に魅了されるからでしょうか。

でも、終わりの後にも 新たな始まりがあります。花のあとには 愛らしいサクランボが実ります。花は 散ることで、そのステージを実に譲り渡します。やがて熟れた実は地面に落ち、そのいくつかは芽を出し 新たな桜の木の一生が始まるのかもしれません。

四季の中で 繰り返し繰り返される 始まりと終わり。花は、咲くことと散ることで 時の流れに色どりを与え 時の豊かさや大切さを 語りかけているのかもしれません。

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「主権回復の日」の式典実施について

2013-03-20 09:54:05 | インポート

先日の天声人語に、4月28日に政府が初めて「主権回復の日」の式典を実施することが取り上げられていました。1952年4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本が6年8カ月に及ぶ占領から解放され、主権を回復しました。しかし、同時にこの日は、沖縄・奄美・小笠原が本土から切り離され、沖縄ではその後20年間に渡って米軍統治下に置かれることになった日でもありました。沖縄の人々にとっては、4月28日は「屈辱の日」として記憶される日であり、なぜこの日に式典が実施されるのかと読者に問いかけています。

今でも、米軍基地の大半が沖縄に存在し続け、本土の安全と安心を守るための犠牲を強いられている現状と 沖縄の人々の思いを汲み取るならば、私も実施する意味がないのではないかと考えます。むしろ、実施することでさらに沖縄の人々の痛みを増幅し、身勝手な政府の論理に失望感を抱くことになるのではないかと想像します。

「日本には長い占領期間があったことも知らない人が増えている」と安倍首相は言っているそうですが、本土よりもさらに長い26年間余りを占領下の中で過ごしてきた沖縄の人々の屈辱の思いも理解した上で、語っているのでしょうか。本土の安全や安心を保証するために、沖縄が引き受けてきた痛みを、本土で暮らす以上 しっかりと受け止める必要があると感じます。

また、占領されたという負の事実だけを強調することで、それが先の戦争の結果が招いた事実だということから目をそらしてしまうことを懸念します。不戦の誓いを込めた憲法を改正する動きと連動して、主権回復を愛国心の高揚と軍事力の強化に結び付けていくような方向性さえ感じてしまいます。

忘れてはいけないのは、戦争がもたらした負の歴史であり、それを背負い続けてきた沖縄の人々の心の痛みなのではないでしょうか。

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