あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

女の子サンタクロースからのプレゼント

2011-12-31 20:32:56 | インポート

ある女の子から、仮のサンタクロースである私宛てに、プレゼントが届きました。中には、サンタ宛てのクリスマスカードとカイロ、色鉛筆(今年のクリスマスプレゼントだったようです)で書かれた手紙が入っていました。

カードには、『毎年毎年ごくろうさまです。カイロで温まってください!』という言葉とサンタの絵が描かれていました。同封された母親の手紙によると、これは女の子が24日の夜に家の玄関に台を用意し、その上に置かれていたとのことです。カイロは、寒い夜にプレゼントを届けて回るサンタのことを気遣って用意したものなのではないかと思います。その優しさに思わずニッコリ、サンタ顔になってしまいました。

女の子の母親は、私が仙台の学校に勤めていた頃の教え子です。今は、東京に住み、すてきなお母さんとして、娘である女の子を大切に育んでいます。女の子が産まれてから、光栄なるサンタ役の依頼を受け、それ以来クリスマスカードを送るようになりました。

12月になると、女の子からサンタあての手紙が届きます。はじめは、絵だけの手紙だったのですが、その絵もだんだん上手になり、やがては文字も入るようになってきました。女の子の1年毎の成長振りを、その手紙を通して実感しながら送るカードにメッセージを書くのは、とても幸せなひとときでもありました。

その女の子の今年の手紙には、たくさんの質問やお願いが書いてあり、戸惑いました。中でも、トナカイと一緒に写っている写真をくださいというお願いには、困ってしまいました。サンタ役としての私に課せられた大きな課題にどうこたえるか、しばらくの間そのこたえを考えた上で、私はひとつの結論を出しました。

目に見える存在としてのサンタから、心で見えてくるサンタの存在に気づいてもらう機会として、今回はクリスマスカードのほかに、そのことをメッセージにしたサンタの手紙を同封することにしたのです。

かんじんなものは、目では見えない。心でさがさないと……。 <星の王子様より>

そんな思いを込めて手紙を書き、女の子の夢の中でサンタとして会うことを約束しました。

女の子の母親からの手紙によると、このサンタの手紙を、女の子はくいいるような顔で読んでいたそうです。

今回同封された女の子の手紙には、青空が大ーいすきなサンタへ というタイトルで、新たな質問が書いてありました。私は、その手紙を読みながらとてもうれしくなりました。なぜって、サンタの存在をその子が、変わりなく信じているからです。心で見ることのできるサンタに、きっと会うことができたのではないでしょうか。

心で見ようとする人には、いつだってサンタが見え、何歳になってもサンタがやってくるのだというメッセージを、その子なりに受け止めてくれたのではないかと思いました。

女の子の質問には、来年書くサンタの手紙でこたえることにしたいと思います。

子どもたちが幸せな時は、自分が幸せな時。そう考える人は、誰だってサンタになれる。

サンタ役を演じることで、少しはサンタの気持ちが理解できた出来事でした。

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2011.12.31を迎えて

2011-12-31 17:01:16 | インポート

いよいよ、今日で2011年も最後の一日となりました。

今年は、3.11があり、忘れることのできない年になりました。

新聞の社説の見出しは、『万の悲しみを忘れない』と書いてありました。警察庁によると、29日現在震災による死者数は15,844人、行方不明者は3,451人とのこと。

亡くなった一人一人に、それまで生きた人生があり、家族があり、友人があり、親しい人々があり、亡くなった人の周りで、多くの人々が悲しみを抱えているのだということを、忘れてはいけないと思いました。

また、震災後に心労で亡くなったり、原発事故で汚染された土地に住むことができなくなったり、農業や漁業ができなくなったことで、将来を悲観し自らの命を断った方々もいます。

こういった 悲しみが 新たな悲しみを生む 現実があることに、心が痛みます。

社説では、

「大切な存在を失った事実を、ゆっくりと受け止めながら、それぞれの速度で前へと進む。そうした『喪の作業』を、いかに周囲が支え、独りぼっちにしないか。復興の道で見落としてはならないことだ」 と訴えています。

過ぎたことでも、被災された方々の心の中では決して終ってはいないのだということを、改めて思います。息の長い物心両面での支援の必要性を痛感します。微力ではあっても、自分のできることを継続的に実践していけたらと考えます。

天声人語では、原発事故で避難生活を強いられた三本木祐輝さん(元中学校教員)が講演の中で語った言葉を取り上げていました。

「がんを宣告され、残された回数券をどう使っていくか考えた。放射能もはっきりしてくれ。進む覚悟が決まれば頑張る。」

どんなことに、自分の生きる時間(回数券)を使っていくのか、重い問いかけの言葉として受け止めました。

生きているという今の時間を大切にしながら、いかに回数券を有効に意味ある事に使っていくか。新たな年を新たな気持ちで、スタートしたいものです。回数券には限りがあるのですから。

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舞い降りる雪を見て

2011-12-30 14:25:47 | インポート

朝から雪が舞い降りています。お正月は、銀世界の中で迎えることになるかもしれません。日本海側では、かなりの積雪のようですので、帰省される方々の交通路が心配になります。事故のない穏やかな年末年始であってほしいものです。

3.11以来、重苦しい思いを抱えて年末を迎えている方々がたくさんおられるのではないかと思います。故郷に戻れず、遠く離れたところで、新しい年を過ごさざるを得ない方もいることでしょう。

降る雪の一粒一粒に、震災で亡くなった人々の無念の思いや大切な家族を失った方の哀しい思いが込められているような気がします。

ゆっくりと舞い降りることで、その思いがきよめられ、純白な雪となって降り積もっていくのでしょうか。音のない世界の向こうにレクイエムの調べが聴こえてくるようです。

あとわずかでやってくる新しい年が、悲しみのない 誰もが心安らぐ 年であることを心から願います。

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待つことの意味と大切さ

2011-12-24 18:16:20 | インポート

昨日(12/23)付けの天声人語を読んでいて、『老いる』ことと『待つ』ことについて考えさせられました。

年をとればとるほど、誰でも肉体的にも老化が始まり、今まで短時間でできたこともゆっくり時間をかけなければできなくなってきます。私自身も初老の域に達し、そのことを少しずつ受け入れていく時期なのかなあという自覚があります。

紙面では、次の例が取り上げられていました。

病院の現金自動支払機を使っていた女性は、もたついて操作をしていて、後ろの男性から『さっさとやれ』と怒鳴られ、長生きはしたくないものだと半月ほど落ち込んだとのこと。

投稿された短歌の一首に『三秒だけ待って下さい履けるのです飛んできて靴を履かせないで』という介護の人に訴えるような歌があったとのこと。

朗報として、歩行者用信号機に、渡りきれない人を感知して青の時間が延びるものが登場したとのこと。横断歩道を渡るのに時間を要する高齢者の方や障害をもった方にはとても助かる信号なのではないかと思います。ただ、設置されているのは全国で20基余りとのこと。

老いることは、誰にでもやってくる宿命のようなものです。そのことを前提にした、社会のありようについて、考えます。人に優しい社会とは、さまざまなハンディーをもった人々が、暮らしやすい社会をつくるということなのではないかと思います。ハードとしての施設や設備、用具、先の信号などはこれからもどんどん改良され、より簡単で便利なものがつくられていくような気がします。しかし、大切なのは、老いることに対する人としての心のありようなのではないかと思います。

現金自動支払い機で怒声を浴びせた男性は、待つことが苦痛だったのでしょうか。よほど急いでいたのでしょうか。待ってあげるゆとりはなかったのでしょうか。自分の都合だけを優先して考えることに、潤いのないすさんだ心のありようを見るような気がします。自らもやがては老いていくことを想像する感性が失われているのではないでしょうか。何かと多忙で効率のみを優先する社会にあっては、待つことは時間の浪費としてしか考えられないのでしょうか。あわてないでゆっくりと操作してくださいといった心で待ってもらえたら、どんなに女性の方は救われたことでしょう。ゆったりと待つことのできる心のゆとりが、これからの社会で必要とされる潤滑油のような役割を果たしてくれるのではないかと思います。

短歌で訴えた人も、わずか3秒待つことを心から求めています。待つことは、少し時間がかかっても自らできることは自分の手でやり遂げようとする意志を尊重することでもあります。介護される側にとっては、そうして待ってもらえることで、生きることに対する積極的な構えを持ち続けることができるのではないでしょうか。その思いを汲み取って介護する側が待つことができたら、どんなに力強い励ましになることでしょう。

老いる側の人々と取り巻く若い人々との関係の中で、待つことが大切にされ、待たされることにもゆとりを持って対応できる、時間の束縛から解き放たれたゆったりとした心で結ばれる関係が実現できたらと思います。

震災の時に、寒い中、誰もが整然と並び、給水車がやって来るのを待ち続けていた光景を思い出します。その時には、多くの人が待つことが当然のことだと考えていたように思います。お互いに同じように被災し、苦労を共にする者同士といった連帯意識も生まれていたように思います。老いも、人として生きていく以上、誰にもやってきます。そんな運命共同体のような中に、今自分も生きているのだという感覚を大切にして、待つこと・待たされることの意味を考えることができたらと思います。

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楊令伝(7巻)を読んで

2011-12-19 08:49:03 | インポート

いよいよ、先の戦いで敗れた 童貫率いる宋の正規軍との戦いが始まります。登場人物それぞれが過去の戦いや出来事を振り返り、国のありよう、志のもちかた、戦死した仲間や共に戦う兵への思い、心に刻まれたものを 見つめながら、戦いの場に臨みます。

梁山泊軍の頭領としての楊令の果敢な活躍、呼延酌・趙安という二人の将軍の戦いと死、呼延酌が息子を救うために死んだことを知って我を失う楊令……印象に残る出来事や場面が展開します。

特に印象的だったのは、我を失った楊令が鬼人のようになって敵陣にたった一人で切り込んでいく場面です。呼延酌の死と自分を守るために死んでいった父の姿が重なり、楊令の理性を奪ってしまったのです。こういった心の傷を抱え、自分の弱さも吐露しながら、頭領として生きていく楊令の姿に、この物語の大きな魅力があるように思います。他の登場人物も強さと同時に弱さも抱えた人間的で魅力ある人物として描かれています。これまでの戦いの中でたくさんの仲間や肉親の死を見てきたことで、誰もがさまざまな心の傷を抱えていることに気づかされます。

これからの戦いの中で、どんな人間模様が描かれていくのでしょうか。戦いそのもの以上に、登場人物の心のありようが気になります。次号の発売が楽しみです。

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