あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

見事 楽天 サヨナラ勝ち

2011-06-30 07:29:03 | インポート

今日は,楽天対ソフトバンクの試合を最後までインターネットの中継で見ました。序盤戦は,2:0でリードされていたのですが,一挙に3点を取り逆転としこのままでいくのかなと思いました。しかし,さすが相手は現在圧倒的な勝率で1位を確保しているソフトバンクです。5回に1点を取り同点とします。そのまま3:3の延長戦となりますが,10回の表にソフトバンクは貴重な1点を取り,4:3とリードします。この時点で今日も負け試合になるのかなと思いました。相手のピッチャーは抑えのエースの馬原投手です。申し分のない速球と切れのある変化球で,10回の裏もたちまち2アウトをとられてしまいます。楽天が負けるところを見たくないのでここで見るのをやめようかと思ったのですが、代打に草野選手が出てきたので,期待を込めて見続けることにしました。クリーンヒットではなかったのですが,草野選手の当たりはセカンド前のボテボテのゴロで内野安打となりました。さらには続く高須選手がライト前ヒットを打ち,同点のランナーが3塁,逆転のランナーが1塁という状況になりました。そして迎えたバッターが岩村選手です。

岩村選手は,松井選手と共に今年から楽天のメンバーに加わった選手で,二人は共に大リーガーとして本場アメリカで活躍した選手でした。松井選手の活躍に比べると,岩村選手は打撃が不調で2軍に落とされ調整をした上で,また1軍に戻って来たところでした。

岩村選手の打った打球はレフトに舞い上がりました。高く上がり過ぎたのでレフトにとられてしまうのではと思ったのですが,打球は伸びレフトフェンスに当たる長打となりました。二塁を回った岩村選手が喜びを体で表現するようにジャンプする姿を見て,サヨナラ勝ちしたことを確信しました。球場も割れるような拍手と声援があふれ,その場に一緒にいて喜びを分かち合いたいと思いました。

ヒーローインタビューで,岩村選手は「私は泣きません。」と言っていましたが,汗まみれの顔には涙も混じっていたのではないかと思いました。この日を信じて2軍から1軍にはい上がり,自らのバットでチームの勝利に貢献できたことを心から喜んでいる様子に,私自身も胸に込み上げるものがありました。

家を仙台に移し,ここで野球選手としての最後を飾るという決意で楽天にやって来た 苦労人の岩村選手を,私も心から応援していきたいと思いました。

今は最下位の楽天ですが,上位に食い込むためのカギとなる選手が岩村選手だと思います。今チームにいない山﨑選手の分まで,活躍してほしいと願っています。

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イタリア映画「道」を見て

2011-06-28 13:24:53 | インポート

雨が降り続いていましたが,今日は久しぶりに太陽の顔を見ることができました。明るい陽光を浴びていると,それだけで元気(エネルギー)をもらったような気がします。適度な雨降りと青空の広がる晴天とが交互にやってくる梅雨であったらいのになあと願っています。

先日,古い映画を二つ見ました。その一つが,「道」というイタリア映画で,1954年につくられたモノクロ映画です。主人公のジェルソミーナという娘の名前と哀愁を帯びたテーマ音楽は聞き覚えがあったのですが,映画そのものは初めて見ました。有名な映画ですので,見たことのある人はたくさんおられるのではないかと思います。

この映画の主要な登場人物は,3名です。貧しい家に生まれた娘ジェルソミーナは,口べらしのために,大道芸人(胸に巻きつけた鎖を胸の筋肉で断ちきる芸を演じます)のザンパノという男にお金で買われ旅に出ます。このザンパノが悪の象徴的な存在となり,旅の途中で出会った綱渡りの芸人(ザンパノとは旧知の間柄であったが,犬猿の仲)が,(ちょっと口が悪いため,ザンパノとはケンカ沙汰になりますが)ザンパノと対照的な善の象徴的な存在として登場します。

この映画の中で印象的だったのが,綱渡りの芸人がジェルソミーナに語る言葉です。

無器用で何も出来ない自分に,生きる意味はどこにあるのかと嘆くジェルソミーナに対して,彼はこう言います。<道にある小石だって役に立っている。すべては神様が必要と考えてつくられた世界の一つなのだ。小石だって,空の星だって,おまえだって,何かの役に立っている。> 

この言葉から,ジェルソミーナは自分の生きる意味に気づきます。自分をお金で買った乱暴者で自分勝手で誰からも愛されないザンパノではありますが,彼にとって自分は必要な存在であると考え,小石となって一緒に生きていくことを決心します。

しかし,ジェルソミーナのこの愛を,ザンパノは理解することができませんでした。さらに悪いことには,ザンパノが犬猿の仲だったあの綱渡り芸人を彼女の目の前で殴り殺してしまったのです。

この事実がジェルソミーナの心に大きな傷を与えてしまいます。殺された芸人をいつまでも気遣うジェルソミーナの言動に耐えきれず,やがてザンパノは彼女を置き去りにして逃げてしまいます。

数年後,サーカスの一員としてこの地に戻って来たザンパノは,かってジェルソミーナがラッパで吹いていたあのメロディを耳にします。そして,そのメロディを歌う女性から,ジェルソミーナの最期の様子を聞くことになります。

海辺で泣いていたジェルソミーナを,女性の父親が見かねて家へ連れてきた。しかし,ジェルソミーナは用意した食事に手をつけることもせず,泣きながらラッパを吹き,ある朝冷たくなっていたということを・・・。

映画のエンディングでは,夜の海辺で慟哭するザンパノの姿が映し出されます。ジェルソミーナが自分にとって,どんなに大切でかけがえのない存在であったかを,ザンパノはこの時になって初めて知ったのだと思います。

見終わった後に,あのもの悲しいテーマ曲とともにジェルソミーナの純粋で無垢な笑顔やしぐさが心に浮かんできます。何とも切ない それでも 心に残る 映画でした。

綱渡り芸人の言葉から,ある詩の一節を思い出しました。以前のブログで紹介した詩ですが,改めてその詩を書き出しておきます。

           小さな質問

                       高階 杞一 (たかしな きいち)

    すいーっ と 空から降りてきて

    水辺の

    草の

    葉先に止まると

    背筋をのばし

    その子は

    体ごと

    神さまにきいた

       なぜ ぼくはトンボなの?

    神さまは

    人間にはきこえない声で

    その

    トンボに言った

       ここに今

       君が必要だから

この詩のトンボが,ジェルソミーナと重なります。

この世に在るすべてのもの・すべての人々が,なくてはならない 必要とされる 大切な存在であるのだ ということを,改めて思います。

もう一つ見た映画が,1952年につくられたフランス映画の「禁じられた遊び」です。この映画の感想も,別の機会にブログで紹介したいと思います。

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青い空は 青いままで 

2011-06-22 22:44:07 | インポート

先日,福島県相馬市に住む酪農を営む男性が,「原発がなければ…」という言葉を残して,自殺するというニュースがありました。放射能汚染のため,牛乳が出荷できず,収入の道が閉ざされたこと。牛糞を肥料にするために設備投資をし,借金を抱えていたこと。奥さんと子どもは,放射能による被害を避けて,奥さんの故郷であるフィリピンで暮らす状況にあり,単身での生活であったことなどが,要因となったようです。借金をした大工さんやお世話になった近所の人へのお詫びの遺書も添えてあったとのことです。

亡くなった男性のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

この男性と家族の幸せを破壊したのは,地震や津波ではなく原発の事故だったのです。酪農家として搾乳した牛乳をただ捨てなければならない状況は,辛く悲しい毎日だったのではないかと思います。これまで積み上げてきたものがすべて無くなったような,絶望の淵に追い込まれていた男性の心境が見えるような気がします。そして,この男性と同じような状況に在る,多くの福島の人々のことを想います。

そこに住んでいても,これまでと同じように働くことのできない状況。農家が作物や牛乳を生産しても出荷できない。漁師が捕った魚も出荷できない。

故郷がそこにあるのに,住むことも戻ることも出来ず,新たな場所で新たな日々を過ごさなければならない人々もいます。事故の終息が見えない中,不安のみが大きくふくらんでしまっているのではないでしょうか。

先に東電が示した工程表に沿って,事故が速やかに終息し,希望のもてる未来が一日も早く訪れることを強く願います。

今回の男性の死が決して無駄にならないように,事故によって引き起こされたさまざまな問題に対して,一人一人が抱えている辛い思いによりそい,行政や政府,東電のきめの細かい経済的な支援や心のサポートが即実施されることを切望します。

新聞の投書欄に,広島と長崎に原爆が投下され核の恐ろしさを体験した日本が,自ら保有する原発によって福島の人々に犠牲を強いる現状を憂うる声が寄せられていました。ものをつくり,生活を便利にするために,電力の需要は増え続け,それに伴い原発もつくられてきました。その安全性についても確信に満ちた信頼が独り歩きし,今回の事故は想定外の事故とされました。

安全に対する神話がくずれた今,未来のありかたを原点に立ち返って考えてみることが大切なのではないかと思います。生きるために,原発は果たして必要なのかと問い返してみることが必要なのではないでしょうか。そして,原発のない未来はどんな未来になるのかと想像し,子どもたちに何を残したらいいのかと考えてみたいと思います。

私が未来の主役となる子どもたちに残したいのは,どこまでも澄んだ美しい青い空です。原発や核兵器で汚れることのない 透き通った 青いままの空です。

私の好きな歌に,「青い空は」という歌があります。

  作詞:小森 香子  作曲:大西ススム

 1 青い空は 青いままで 子ども等に伝えたい

   燃える八月の朝 影まで燃え尽きた

     父の 母の 兄弟たちの命の重みを

     肩に背負って 胸に抱いて

 2 青い空は 青いままで 子ども等に伝えたい

   あの夜星は黙って 連れ去っていった

     父の 母の 兄弟たちの命の重みを

     今流す灯篭の 光に込めて

 3 青い空は 青いままで 子ども等に伝えたい

   すべての国から 戦(いくさ) の火を消して

     平和と 愛と 友情の命の輝きを

     この堅い握手と 歌声に込めて

広島や長崎のような悲しい出来事が二度と起こることがないように 亡くなった方々の命の重みをしっかりと受け止めながら 一人一人の命が輝く 青い空が青いままの 戦争のない平和な世界を求めつくっていこう というメッセージの込められた歌です。

青い空は 青いままで 子ども等に伝えていくのは,大人の責任でもあります。

どんな世界を 子どもたちに残していくのか,理想的な未来を じっくりと考え つくっていきたいものですね。

 

     

  

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あの子は 元気です!

2011-06-22 09:46:29 | インポート

震災に関連した新聞記事の中で,その後のことが気がかりだった子どもたちを,紹介する記事がありました。それぞれがそれぞれの環境の中で精いっぱい生きている様子に,安堵した思いと込み上げてくる感動がありました。その中の一人の子を紹介します。

以前の記事には,その子の言葉が見出しのような形で掲載されていました。

  ぱぱへ あわびとか うにとか たことか こんぶとか いろんのをとてね

  ままへ いきているといいね おりがみと あやとりと ほんよんでくれて ありがと

昆 愛海(まなみ)ちゃん(5歳)は,津波で両親と妹が行方不明になり,祖母の幸子さん(63)と二人で宮古市の半島に在る集落の小さな家で暮らしています。震災当日,高台の自宅の庭にいた家族4人は一瞬に黒いうねりにのみ込まれ,愛海ちゃんだけが奇跡的に庭にあった使い古しの刺し網に包まれ,引き潮にも流されませんでした。同居していた幸子さんは,病院に出かけていて助かりました。

愛海(まなみ)ちゃんは,5月から5歳になったのを機に,隣の集落の児童館にバスで通うようになり,今はお弁当づくりのお手伝いをしたり,児童館の出来事を幸子さんに話すのを楽しみにしているそうです。大雨でバスが走らず児童館に行けない時には,幸子さんに寄り添うようにしておもちゃのピアノをひいたり文字の練習をしたりします。幸子さんはもっぱら聞き役で,「パパはまなと一緒で猫舌だったね。ピーマン嫌いだったよね。」「おばぁやん,ママからもらったリボンだよ。」と語りかける言葉に目を細めてうなずくと,愛海ちゃんは喜ぶそうです。

「パパとママとアオ(二つ下の妹の蒼葉<あおば>ちゃん)がいたらなぁ。5人で家にいたのに,2人になったね。」 居間には3人の写真が並ぶが,蒼葉ちゃんだけ裏返されています。「かわいそうで見ていられない」と幸子さん。

幸子さんには,二つの心配があります。

一つは,新聞で紹介されて,全国から手紙や絵本,文房具が届くようになり,感謝しながらも「マナが特別扱いされていいのだろうか」という戸惑い。もう一つは,毎夜「マナを育てていけるんだろうか」という不安に襲われること。でも,毎日添い寝をせがむ愛海ちゃんが,小さな腕をきゅっと首に巻きつける時が,窮屈だが大切な時間になっているとのこと。

今幸子さんは,元気なおばぁやんであるために,愛海ちゃんを見送った後,ひざの治療に出かけているそうです。

愛する家族を失った悲しみ,その悲しみの中に取り残された愛海ちゃんの寂しさを,幸子さん自身も深く感じておられることと思います。

幸子さんにはこれからも元気で,愛海ちゃんの成長をいつもそばで見守っていただけたらと思います。小さな愛海ちゃんにとって抱えきれない寂しさや悲しみを感じる時,一番の支えとなりしっかりと受け止めてくれる最愛の人が,幸子さんなのだと思います。

二人で過ごす日々が,健やかで幸多い穏やかな日々でありますようにと心から祈ります。

妹の蒼葉ちゃんが一日も早く見つかるといいですね。

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おちゃわんプロジェクト

2011-06-17 22:08:54 | インポート

今日は,栗原市の旧築館高校体育館に出かけて,おちゃわんプロジェクトによる食器類の受け取りのボランティアに取り組んできました。

このプロジェクトは,神戸市のNPO法人ひまわり夢企画と新潟県長岡市の東日本ボランティアバックセンターが,地域住民に呼びかけ,未使用の食器を栗原市に送ってもらい,集まった食器を栗原市のNPO法人Azuma-reが仕分けをして,被災者の皆さんに届ける活動です。

阪神大震災の折に,被災した人たちが食べ物を食器で食べることの幸せを実感し,それが食器を被災地に送る活動に発展していったようです。仮設住宅で過ごし始めた被災地の方にとっても,食材と同様に食器は貴重な必需品です。同時に食器は,食事の楽しさや潤いを演出してくれる存在ともなっています。

この日は,山口県の萩市から昨晩8時に出発してきた,萩市のボランティアメンバーの運んできた食器を受け取りました。ダンボールの数が多いので,リレー式に参加メンバーが並び次々に手渡しするような形での搬入でした。手と心を一つにしての連携・協働作業でしたので,とても快い汗をかくことができました。

この受け取りの他に少しだけ仕分けと箱詰めの作業も手伝いました。この他に,箱詰めされた食器を被災地へ送り届ける仕事もあるとのことでした。今後は,この搬送も含めできる範囲でこのプロジェクトにも協力していきたいと思いました。

以前全国から送られた救援物資の仕分けや整理の仕事を手伝った時にも感じたことですが,一つ一つの食器に,送り主の温かい善意を感じました。

被災された方々のために 少しでも手助けがしたい,そう 考え・行動した その温もりが 形ある食器から ほのぼのと 伝わってきました。

人間という文字の 人と人との間に在って人と人とをつなぐものが そういった温もりなのだということを 改めて感じています。

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