あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

前川さんの講演会と映画上映会の開催について

2022-04-23 14:22:32 | 日記
 4月16日(土)に、前川喜平さんの講演会があり、90名を超える方々に参加していただきました。
 来年度に公立夜間中学が仙台で開校されることもあり、夜間中学の歴史的経緯やその果たして
きた役割・必要性についてに憲法や法律を踏まえながら講演していただいたので、夜間中学に対
する理解を深める有意義な講演会になったことと思います。
 講演を聞きながら私自身強く感じたことは、さまざまな事情で学ぶことができなかった人たちの
学びを求める権利は、年齢や国籍を問わず、国内で暮らす人々に与えられている侵すことのできな
い大切な人権であるということでした。
 戦後まもなく開設された夜間中学は、戦後の混乱の中で学ぶことのできない子どもたちの実情を
知る教師たちの手でつくられた学びの場でした。また、法的に認められない夜間中学廃止の動きが
あった折には、夜間中学で自ら学びその必要性を痛感し、存続を願った髙野雅夫氏が、自主映画を
作成して反対運動を全国で展開するなどの取り組みがありました。夜間中学を立ち上げた教師たち
や髙野氏のような先人たちの取り組みに支えられて、夜間中学の灯は消えることなく存続し、全国
各地に新たな学びの場が開設されるようになったのだと思いました。
 2016年に成立し、夜間中学の法的根拠となった教育機会確保法には、その基本理念について第3条
の4項に次のように書かれています。

  四 義務教育の段階における普通教育に相当する教育を十分に受けていない者の意志を十分に
    尊重しつつ、その年齢又は国籍その他の置かれている事情にかかわりなく、その能力に応
    じた教育が確保されるようにするとともに、その者が、その教育を通じて、社会において
    自律的に生きる基礎を培い、豊かな人生をおくることができるよう、その教育水準の維持
    向上が図られるようにすること。

 この理念を具体化する形で、全国各地に公立夜間中学が開校される動きが出て来ました。しかし、
県内には仙台市だけに公立夜間中学と仙台自主夜間中学があるだけで、近くに学びの場がないために
学びたくても学ぶことのできない方もたくさんおられるのではないでしょうか。 
私自身、昨年まで仙台自主夜間中学のスタッフの一人として学びの場に関わり、学びを求める人たち
の熱意や真剣に取り組む姿に間近で接することができ、学ぶことの意味や大切さについて深く考える
ことができるようになりました。同時に、どこに住んでいても学びを求める人の願いにこたえること
のできる学びの場の必要性を痛感するようになりました。そんな思いから、私の住む栗原市にも新た
な学びの場をつくろうと考え、「栗原ともに学び合う会」 を立ち上げることにしました。
 下記の予定で、5月21日に、夜間中学で学ぶ人たちを記録した映画「こんばんはⅡ」の上映会を開き、
そこで学ぶことの意味や大切さについて一緒に考え合いながら、学びの場を開くことを呼びかけたいと
思っています。一人でも学びの場に参加したいと希望する方がいれば、そこから「栗原ともに学び合う
会」の活動の一歩がスタートすることになります。ただ、今はまず、いつでも学びを求める人たちが足
を運べるようにと願い、学びの場を開くことを第一に考えながら、急がず・焦らず・一歩ずつ取り組ん
でいけたらと思っているところです。
                 記

           映画「こんばんはⅡ」の上映会

       〇いつ    令和4年5月21日(土) 午後2時から
       〇どこで   栗原市市民活動センター 多目的ホール
              (築館総合支所2階にあります)
       〇参加費   無料です
       〇主催    栗原ともに学び合う会


 映画を通して、夜間中学や自主夜間中学で実際に学ぶ人たちが、どんな思いや考えを抱きながら学んでいるのか、その姿を是非ご覧になっていただきたいと思います。
 また、映画を見終わった後には、是非感想を聞かせていただき、学ぶことの意味や学びの場の必要性について一緒に語り合うことができたらと考えております。その中で、「栗原ともに学び合う会」の立ち上げと今後の具体的な取り組みについても、説明させていただきたいと思っております。
 都合のつく方には奮って参加してくださいますよう、よろしくお願いいたします。  

新聞に掲載された一つの詩と一枚の写真から

2022-04-12 20:07:46 | 日記
 日々犠牲者が増え続けるウクライナ情勢を目にするたび、一日も早い戦争の終結を祈るばかりです。
春の到来を告げる桜の花が咲き始めても、どこかその美しさを心から味わえない気持ちになりがちです。

 そんな晴れない思いのまま新聞を読んでいて、目に留まった詩と写真がありました。

 詩は、4月5日付の朝日新聞に掲載されたものです。
ロシアによる侵攻が続くウクライナの障害者への祈りを込め、日本から発信された詩です。
作者は、日本障害者協議会代表で、視覚障害のある藤井克徳さんです。


  連帯と祈り
  ウクライナの障害のある同胞(はらから)へ
   (NPO法人日本障害者協議会)
                 ふじいかつのり

戦争は、障害者を邪魔ものにする
戦争は、障害者を置き去りする
戦争は、優生思想をかきたてる
大量の障害者をつくりだす最大の悪、
それが戦争

朝一番のニュースを恐る恐る  
キエフの包囲網がまた狭まった
教会も文化財も悲鳴をあげて崩れ落ちる
禁じ手が反古(ほご)にされ
原子力発電所から火の手
 
殺し合いではなく話し合いを
侵攻ではなく停戦を
停戦ではなく平和を
青い空と黄色の豊作に似合うのは平和

私たちは祈ります
西北西の方角をじっとみつめながら
心の中から希望が切り離されないように
とにかく生き延びてほしい

戦争は、障害者をたちどころに重くする
戦争は、障害者の尊厳を軽々と奪い去る
戦争は、障害者の明日を真っ黒に塗りたくる
早いうちに、否、この瞬間におわらせなければ

もう一度くり返す
とにかく生き延びてほしい
たとえ、食べ物を盗んでも
たとえ、敵兵に救いを乞うてでも

遠い遠い、でも魂はすぐ傍(そば)の日本より

 藤井さんは、「苦境にあるだろう障害者を思うと心が痛み、いてもたってもいられず、できることはないかと考えました。障害者の立場から声を上げ、とにかく自分の身を守ってほしいと伝えようと思った。」とのことです。
 この詩を読んだ「ウクライナ障害者国民会議」のラリーサ・バイダさんは、「…詩は、日本の障害者が私たちの痛みを感じ、寄り添ってくれていることをはっきりわからせてくれました。」と語ったそうです。
 戦争という状況下での障害者の方々は、健常者の方以上にさまざまな苦労や辛さを抱えていることと思います。同じ障害者として、藤井さんはその痛みを体験し理解しているからこそ、いてもたってもいられず、その思いを詩に込めたのだと思います。「心の中から希望が切り離されないように とにかく生き延びてほしい」という藤井さんの切なる思いと願いとが、ひしひしと心に伝わってきました。

 写真は、4月12日付の朝日新聞の一面に掲載された写真です。
 写真の説明には、「涙を流しながら、破壊された建物の前を歩く女性」と書かれ、破壊尽くされた町の中を年老いた女性が泣きながら自転車を引いている姿が写っていました。その後ろにはその女性によりそうように歩く辛い表情の男性の姿がありました。息子さんでしょうか、ご主人でしょうか。
 その女性とって、かって そこは、家族やたくさんの親しい人々と過ごしてこられた忘れることのできない思い出の地であるとともに心安らぐ故郷でもあったことと思います。それがすべて破壊し尽くされ残骸だけの廃墟となってしまい、こらえきれない悲しみがあふれてきたのではないでしょうか。破壊されたのは目に見える建物だけではなく、これまでの人生を通して大切に育んでこられたすべてのものが一切消え去ってしまったかのような印象を受けたのではないでしょうか。戦火の中で、家族や親しい方が亡くなったのかもしれません。

 戦争が、一人の女性がその人生を通して積み上げ大切につくり育ててきたものを奪い去ってしまったのです。
 報道される死者の一人一人にもそれまで歩んでこられた人生があり、今戦火の中で懸命に生きておられる一人一人にもそれぞれの人生があります。戦争は、その人生の先を歩むことを阻み、それぞれが人生を通して大切に育んできたものを跡形もなく破壊してしまうのだと思います。
 悲しみが新たな悲しみを生み、流された涙が新たな涙をあふれさせる戦争。
 今戦火の中にいる人々が、その人生を終わらせることなく、藤井さんが願っているように
「心の中から希望が切り離されないように とにかく生き延びてほしい」と、強く願います。
 そして ウクライナに一日も早く平和な日が訪れますように! と願わずにはいられません。