あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

参議院選挙について

2016-06-23 08:28:58 | 日記
昨日選挙公示となり、参議院選に向けての論戦がスタートしました。
今回の選挙は、日本のこれからの進路を決定する重要な選挙になりそうです。
その意味でも、18才から選挙権を得た若者たちが、どんな未来を願い選択するのか、これからの時代をつくりあげていく
当事者意識も問われる選挙になるのではないかと思います。
今回の選挙の論点については、マスコミでも取り上げられているように、次の点に集約されるのではないかと考えます。

①アベノミクスの成果の是非
 経済的恩恵〈アベノミクスが生み出した果実ということですが〉を実感として感じることができたかどうか、
 一部の階層のみに恩恵が偏り経済的格差が拡大しているのでは…、
 政府と一体となった日銀の国債乱発・マスナス金利政策といった方法が適切な方法と言えるのかどうか、
 消費税の増税延期は、アベノミクスの限界を取り繕う方便〈新しい判断だということですが〉なのでは…
 
②安保法制の是非
 成立までの過程が強引で独善的
 〈都合のいい憲法解釈、日本の未来に関わる重要法案なのに審議日程の少なさ、数の力による強行採決など〉
 現行法案の中で日本の安全は確保できるのに、なぜ新しい法案が必要なのか、
 周辺状況が変わった〈中国や北朝鮮の動き〉ことだけで、アメリカとの軍事同盟を無制限に拡大していいのかどうか
 憲法9条や専守防衛といった基本的な考えが基本となり、これまでの日本の平和は守られてきたのでは…

③憲法改正の是非
 安倍首相は、憲法改正を今回の選挙の論点にはしないようですが、明快に選挙後に2/3の議席を確保できれば改正
 に向けて動き出すことを語っています。改正論議を避けるのは、選挙戦の争点を憲法論議からそらす方が有利と見な
 しているからなのでしょうか。そして、選挙後には改正に向けての動きを加速させていくのではないでしょうか。
 安保法案の是非と憲法改正の是非は、表裏一体の関係にあります。
 現憲法の何が優れているのかと問われれば、私は次のように答えたいと思います。
 かっての戦争の反省の上に立ち、戦争のない平和な世界を真摯に希求する 人類愛に満ちた 未来志向の憲法である点 ですと…。


 安倍首相は、国民に約束したことや公言したことを平気で覆し、新しい判断のもとで考え直したと言い訳しているようです。
 一国の首相の言動がそうでありますから、政治家の発する言葉に重みを感ぜず、言動に対する責任感や覚悟のなさに あきれ果ててしまいます。
 それでも、選挙の折には 政治家の言を信じ投票する覚悟を 国民は必要とされます。

 今の政治は、日本を危険な方向に導いているような危機感を抱きます。
 よりよい政治に転回していくためには、野党勢力が数の上でも発言力の上でも与党と対等に渡り合える環境が必要なのではと感じます。
 言動が一致する 信を置ける政治家を 選んで投票したいものです。

 
  
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演劇『ブンナよ、木からおりてこい』を観て

2016-06-09 09:16:56 | 日記
主人公はトノサマガエルの子:ブンナ。
ブンナは、ここよりもっと住みよい世界がある考え、住み慣れたお寺の境内にそびえ立つ椎の木を登り、てっぺんを目指します。
しかし、苦労の末にたどり着いた世界は、天国どころか鳶の餌場だったのです。
次々と鳶に捕まり傷ついた餌たちが運ばれてきます。
ブンナは、そこにあるわずかな隙間にできた穴の中に隠れて 不幸な運命にある生き物たちの様子をながめ関わることになります。
スズメ、モズ、ヘビ、ネズミなどが運ばれてきて、それぞれが捕まったことを嘆き、もう助からない運命を悟ります。
ところが、鳶がやってきて食べられる瞬間が訪れると、死を受け入れる覚悟は一瞬に立ち消え、自分だけは助かりたいと抵抗します。
いざとなった時には 死は受け入れがたく、誰もが生を求め必死になるのは、命あるものの自然の本性なのだと思いました。

捕まった生き物たちは、そんな必死の抵抗を試みるものの、次々と食べられていきます。

しかし、最後に残ったネズミだけは別で、鳶に食べられる前に、深手をおった傷のために亡くなり、その死を看取ったのがブンナだったのです。

やがてその死骸からたくさんの小さな虫が誕生し、その一つ一つがブンナの大切な食料となり、命を支える貴重な役目を果たしてくれました。

モズやヘビやネズミにとって、カエルは格好の餌となったものの、鳶にとっては、カエルを食べるモズたちが格好の餌となる存在でもあったのです。
力の強いものをさらに力の強いものが食べるという弱肉強食の世界。弱いものは、ただ餌となり食べられるだけの存在なのでしょうか。

ブンナは 自分より強いネズミの 命の分身となった虫を食べることで 生きることができました。

強者と弱者、食べる側と食べられる側という 関係を越えたところで、命あるものは相互に命を支え合う関係にある。
弱い立場の存在であっても、命を支える役目を確かに果たし、そのおかげで世界は成り立っている。
そのことにブンナは気付き、椎の木を下りることにしたのだと思います。
たとえ命が奪われる危険があっても、地上の世界こそ 心許せる仲間たちがいて 自分の住むべき 求める世界なのだと感じながら…。

この劇の原作者は、水上勉さんでした。改めて原作を読んでみたいと思いました。


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命 そのかけがえのなさ

2016-06-05 07:44:39 | 日記
早朝に耳にした野鳥の声。
カッコウ、ウグイス…さまざまな声が一日の始まりを告げています。
そこにいて そこでさえずり そこに生きて在ることに 深い感動を覚えました。
命あるものには それぞれの居場所があり それぞれがかけがえのない存在なのだと、改めて 教えてもらっているような気がしました。

北海道で行方不明になっていた男の子が、おととい無事発見されました。
そのニュースを耳にした時には、尊い幼い命が無事救われたことに心から安堵を覚えました。
これで男の子は、帰るべきところ・本来の居場所にもどっていけることになります。
ご両親は、無事を祈りながらも罪深さに心を痛めながら過ごした毎日だったのではないかと思います。
我が子の無事を確かめることで、わが子の命があるべきところにもどってきてくれた喜びとかけがえのない命の重さをかみしめたことと思います。

この事件を契機に、児童虐待の問題が取り上げられるようになってきました。
父親が男の子をしつけのために置き去りにした行為が、虐待行為と言えるものなのかどうか。
しつけと虐待との境界線をどこにおくのか難しい問題だと思います。
ただ考えにいれておきたいことは、我が子の命は決して私物化できるものではないということ。
そして 親である以上 唯一無二の大切な我が子の命を守る側に常に立ち続けるということ だと思います。

今日の新聞では、〈虐待死の疑いがある〉と判断された子どものうち、関係機関が行った検証は、わずか4.5%にとどまるとのことでした。
検証は、虐待防止のための手立てを講じていく上で大切な手順になるわけですので、関係機関の連携した取り組みが強く求められます。
失われてはいけない命を失われないようにするための 児童虐待防止法なのですから。

失われてはいけない命が、本来あるべき場所で大切に育まれることができる社会であり、家庭でありたいものです。

命あるものすべてが、大切で 必要とされる 世界なのですから。


次の詩が、心に浮かんできます。


        小さな質問

                高階 杞一


    すいーっ と 空から降りてきて
    水辺の
    草の
    葉先に止まると
    背筋をのばし
    その子は
    体ごと
    神さまにきいた
       
      なぜ ぼくはトンボなの?

    神さまは
    人間にはきこえない声で
    そのトンボに言った

      
      ここに今
      君が必要だから

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