あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

脱原発への道は 遠く

2012-06-28 08:52:46 | インポート

昨日、各地の電力会社で株主総会が開かれ、東京電力を含む七つの電力会社で脱原発の提案が出されたが、いずれも否決されたとのこと。脱原発の道を踏み出すには、まだまだ遠い状況にあるようです。

東京電力の株主総会では、福島在住の武藤頼子さんが、4千人以上の株主を前に 「美しかったふる里はすっかり変わった。苦しみや悲しみは深まるばかりだ。役員も福島に居を移し、避難者の苦悩を肌で感じてほしい。そうしてこそ被害者に寄り添う賠償ができる」 と訴え、「福島第一原発事故の被害者への迅速かつ最大限の補償を行う」という定款の変更を提案しました。この提案も否決されました。

福島の人々の思いを汲み取り、事故の責任を明確にして最大限の補償を行うということは、当事者としての東京電力が果たさなければならない最も大切な要件なのではないかと思うのですが……。福島の事故から何を学ぶことができたのか、被害者の身によりそって 補償や原発の問題を正面から受けとめていくことが大切なのではないかと痛切に感じます。

また、脱原発については、一つの企業の株主総会で決める問題としてではなく、国全体で考えなければならない課題としてとらえることが必要なのではないかと思いました。

以前のブログでも書きましたが、原発に頼るエネルギー政策を継続するか否かについて、国民全体の意思を確認するような 国民投票制度の必要性を痛感します。政府の中でも、原発の経済的コストを、現状を継続した場合やすべてを廃炉にした場合などを想定して試算しようとする動きがあるようですが、そういった情報を提供して国民の意思を確認することが必要なのではないかと思います。

政治に対する信頼が揺らいでいる今だからこそ、国民の声に耳を傾けた政治が実現されるような 制度が求められているような気がします。

原発の問題は、日本の未来を方向付ける大きな問題なのではないかと思います。一人の国民として、どう判断するのか、その決断が求められているような気がしてなりません。

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語る言葉の 深さ

2012-06-26 07:24:30 | インポート

記憶力が衰えていく病気を抱えた方と 話す機会がありました。

 少しずつ 記憶が薄れていくんです

 ちょっと前に 何をしたかさえ 忘れてしまうのです

 だから 料理をつくるんです

 その手順と方法を一つ一つ確かめながら

 自分のリハビリだと思って

 50を過ぎた 一人暮らしの自分のために たった一人分の料理をつくります

   塩を入れたっけ  次にすることは……

   一つ一つ自分のすることを確認していくのです

   そうすることで 失われていくものを つなぎとめていくのです

自分のことを 淡々と語る言葉が 心に深く残りました。

  なかなか 夜は 眠れないんです 

  薬で眠ることはできますが 目覚めた時の感じは

  薬に頼らないで眠った時とは まるで違うのです

  健康だった頃の 目覚めの心地よさを 思い出します

  一人で暮らすことの不安よりも 

  今日の自分と明日の自分が どれだけ違ってしまうのかという不安の方が

  大きいのです

 

  料理は 私のリハビリでもあるのです

明日への不安を抱きながらも 病に 毅然と 相対している その姿勢に、 

今できることに 懸命に取り組む その姿に、 言葉にできないほどの感動を 覚えました。

  あなたは なんて すごい人なんだ

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誰かが 悩んでいたら

2012-06-24 21:19:46 | インポート

誰かが 悩んでいたら

立ち止まって その声に 耳をすます

  勇気を奮って その人が 声をかけてきたら

  言葉の向こうに その人の背負っているものの 重さを 受けとめよう

  言葉の向こうから 押し寄せる

  辛い思いを 悲しみを 苦しみを 受けとめよう

     誰かが 受けとめることで

     誰かの 背負っているものが 少しでも軽くなったら 

     前に 進むことができる

         支え合うということは 

         その誰かに お互いがなる ということ

         時には 聞き役に 時には 語り役に

            人生の主役は あなた自身であるが 

            支えてくれる 脇役は あなたの周りに いっぱいいる

            時には あなたが脇役になって

            あなたの 大切な人の人生を 支えている

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命の重さについて

2012-06-22 08:34:15 | インポート

近所で不幸があり、出かけてきました。私の先輩の奥さまが亡くなったのです。行年66歳でした。

家の前のバラのアーチが、亡くなった方を惜しむように赤い花を咲かせていました。花が大好きな方でしたので、世話をしてもらった花たちが、故人との惜別の思いを込めて咲いていたのでしょうか。

喪主のご主人のとても憔悴した顔を見て、推し量ることのできない悲しみの深さを感じました。夜までは入院している奥さまのそばにいたのですが、早朝に亡くなったので最期の看取りができなかったとのこと。以前より痩せた感じのする表情に、無念の思いも込められているような気がしました。これまで共に生きてきた最愛の女性に旅立たれた時、尽きることのない悲しみがあふれるほど込み上げてくるのではないかと思いました。

改めて、命の重さとはかなさ、尊さとかけがえのなさを痛感しました。

一つの命は、その人自身を支えてきただけでなく、周りにいる多くの人の命と関わり その命を支えてきたのだということを 思います。だからこそ、その支えを失った時の喪失感が深い悲しみを産むのですね。

3.11の際には、数え切れないほどたくさんの悲しみがあったことを思い出しました。

命と命がつながりあい、支え合っているのだということを、一つの命の灯が消えたことで 感じるこのごろです。命の重さを しっかりと受けとめながら生きることの大切さを 改めて思います。

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幼児の臓器提供について

2012-06-20 09:09:47 | インポート

心にずうっと留まっている出来事がありました。

先日、富山大学付属病院で入院中の6歳未満の男児が、臓器移植法に基づいて脳死と判定され、家族の了解を得て、臓器提供をすることになりました。摘出された臓器は、移植を必要とする患者さんに提供され、新たな命として生きることになります。昨日は、提供された角膜移植のニュースも報道されました。

幼児の両親の思いを綴ったメッセージも、新聞に掲載されていました。亡くなった息子さんを家族みんなで大切に育て、どんな愛情を注いできたかが、よくわかりました。また、その上で息子さんが新たな命として生きることに、誇りを感じるという思いが綴られていました。

愛しい息子さんの死を受け入れながら、臓器提供を決断した両親の考えに、頭が下がります。脳死状態であっても、生きている我が子の温かい体を目の前にしては、私だったら決断できかねます。子供の回復力を信じ、わずかな希望であっても奇跡が訪れることを待ち続けるのではないかと思います。

病院では、院外の第三者の医師にも脳死状態であることを確認してもらったとのこと。両親は、そういった客観的な判断と回復の見込みがないことを受け入れ、息子さんが新たな形で生きる道を選択されたのではないかと思います。深い悲しみの上での尊く重い決断だったのだと思います。「息子を誇りに思う」という言葉の内に、両親の思いのすべてが込められている気がしました。

現在の医療状況下では、臓器移植しか治療方法のない患者は、数少ない提供を待ちつづけていたり、海外での移植手術に頼らざるを得ないとのこと。こういった現状を考えると、臓器移植の必要性を強く感じると共に、自分の臓器提供についても意志を明確にしておくことが必要だと考えるようになりました。そのためには、自らの死生観と向き合うことが必要となります。脳死を死と認めるかどうかという判断も必要となります。じっくり考え、自らの意志を確認しておきたいと思います。

また、一方では ES細胞など最先端の研究の中で、臓器移植に頼らない医療方法や技術の進歩もみられるとのこと。こういった医療の進歩と発展が、臓器移植を待つ人々に朗報をもたらすことを期待したいと思います。

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