あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

小説『髪結い伊三次捕物余話』に 魅せられて

2018-12-26 19:22:42 | 日記
 作者の宇江佐真理さんのことを知ったのは、ごく最近のことです。
朝日新聞の書評欄に、『髪結い伊三次』の作品が取り上げられているのを読み、
宇江佐さんの作品を是非読んでみたいと思いました。

 さっそく本屋で、文庫本となっているシリーズ一作目の『幻の声』と最終巻の
『竃河岸』(へっついがし)を買い求め、その作品世界に魅了されてしまいました。
 同時に、宇江佐さんが平成27年の11月に逝去されたことを知り、その続きを
もう読むことができないことを とても残念に思いました。
 せめて、その間に出された、『髪結い伊三次』のシリーズをすべて読んでみたいと
考え、図書館にある単行本を借りて読んでいるところです。

 主人公の廻り髪結い伊佐次と深川芸者であったお文との 深い心の通い合い、
 二人の間に生まれた息子:伊与太の成長と親子としてのほのぼのとした関わり、
 髪結いのかたわら 北町奉行所の同心;不破友之進の小者としての活躍ぶり、
 二人と関わりのある 不破家や周りの人々も登場し、さまざまな事件や出来事を通
 して、悩み・傷つき・悪戦苦闘する様子や人間的なあたたかい心の交流が描かれて
 います。

 時代小説でありながら、二人の生きる世界を身近に感じ、その時代に自分も暮らし
ているような感覚がします。
 時の経過の中で、二人も齢を重ね、家族も増え、生活環境も変わっていきます。
伊与太・お吉、不破龍之進・茜、といった子どもたちも、さまざまな人生経験を通
して成長していきます。
 登場人物一人一人が、喜怒哀楽を共にし時には感情を激しくぶつけ合いながら、
人間的な絆を深めていくところに、この物語の大きな魅力も感じます。

 物語の構成は、一話ずつの短編が完結するような形で収められていますので、読み
やすく感じます。
 ただ、登場人物が物語の進行とともに成長していきますので、その変容を読み味わう
ためにも 発刊された順に1巻から読み進めることをお勧めします。
 冬の長い夜には、最適な読み物の一つになることと思います。
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クリスマスを迎えて

2018-12-25 11:53:49 | 日記
昨日は、クリスマス・イブ。
サンタも、一仕事を終えてホッとしている頃でしょうか。
それとも『クリスマスにはおくりもの』の絵本のように、おくりものの暖かい
くつ下をはいて教会に出かけ、ニコニコしながら贈り手の女の子との再会を
喜んでいるのかもしれません。

一夜にして白銀の世界に変わる ホワイト・クリスマスとはならなかったものの
おくりものを手にした子どもたちは、とびっきりの笑顔でクリスマスの朝を迎えた
ことでしょう。

一方 戦火やテロにおびえ、十分な食料がなく飢えや寒さに苦しむ子どもたちのもとに、
サンタは訪れることができたのでしょうか。

子どもたちが何より求めているおくりものは、安心して両親のもとで暮らすことができ
友達と楽しく遊んだり勉強したりできる 平和で豊かな環境なのだと思います。

サンタ一人の手では実現の難しいおくりものなのだと思いますが、『サンタクロースって
ほんとにいるの?』の絵本にあるように、
  サンタクロースはね こどもをよろこばせるのが なによりのたのしみなのさ
  だって こどもが しあわせなときは みんなが しあわせなときだもの
こういった サンタのハートを持った大人たちが 平和な世界をつくるために、声を出し
行動することで、世界中のこどもたちがしあわせを実感できる平和な世界を実現できたら
と願っています。

そのために 何ができるか。
自分のできることで、子どもたちのしあわせにつながる何かを 行動化していけたらと
感じています。

その一つとして 子どもが楽しく想像を広げて読むことができるような物語づくりに挑戦
してみたいと考えています。
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お薦め クリスマスの本

2018-12-13 23:07:21 | 日記
クリスマスに関する お薦め絵本を 5冊紹介します。
中には、もうすでに知っておられる絵本も あるのではないでしようか。
以前 このブログの中で紹介した絵本も 含まれています。
クリスマスが近づくにつれ、サンタクロースも おくりものの準備で大忙しといったところでしょうか。
そんなサンタの存在を身近に感じる 絵本でもあります。

①『サンタクロースって いるんでしょうか?』 中村 妙子 訳・東 逸子 絵  偕成社

1897年9月21日付けの アメリカ・ニューヨーク・サン新聞の社説に 次のような記事が掲載されます。

〇女の子からの手紙です。

きしゃさま

あたしは、八つです。
あたしの友だちに「サンタクロースなんていないんだ。」っていっている子がいます。
パパにきいてみたら、
「サンしんぶんに、といあわせてごらん。しんぶんしゃで、サンタクロースがいると
 いうなら、そりゃもうたしかにいるんだろうよ。」
と、いいました。
ですから、おねがいです。おしえてください。
サンタクロースって、ほんとうに、いるんでしょうか?
  
       バージニア・オハンロン


この手紙に対して、新聞社は 次のような文面で答えます。全文ではなくその一部を抜粋して紹介します。


バージニア、おこたえします。サンタロースなんていないんだという、あなたのお友だちは、
まちがっています。
……
そうです、バージニア。サンタクロースがいるというのは、けっしてうそではありません。
この世の中に、愛や、人へのおもいやりや、まごころがあるのとおなじように、サンタクロ
ースもたしかにいるのです。
……
サンタクロースが信じられないというのは、妖精が信じられないのとおなじです。
……
サンタクロースをみた人はいません。けれども、それは、サンタクロースがいないという
しょうめいにはならないのです。
この世界でいちばんたしかなこと、それは子どもの目にも、おとなの目にも、みえないもの
なのですから。
……
あかちゃんのがらがらをぶんかいして、どうして音がでるのか、なかのしくみをしらべてみる
ことはできます。けれども、目にはみえない世界をおおいかくしているまくは、どんなに力の
つよい人にも、いいえ、世界じゅうの力もちがよってたかっても、ひきさくことはできません。
ただ信頼と想像力と詩と愛とロマンスだけが、そのカーテンをいっときひきのけて、まくの
むこうの、たとえようもなくうつくしく、かがやかしいものを、みせてくれるのです。
……
サンタクロースがいない、ですって?
とんでもない!うれしいことに、サンタクロースはちゃんといます。それどころか、いつまでも
しなないでしょう。
一千年のちまでも、百万年のちまでも、サンタクロースは、子どもたちの心を、いまとかわらず、
よろこばせてくれるでしょう。


②『サンタの友だち バージニア』
   村上ゆみ子 著 ・ 東 逸子 絵 偕成社 
 
新聞社へ サンタクロースがいるかどうかを問い合わせた少女=バージニアの その後の人生を 
孫や教え子に取材して書き下ろした小伝。バージニアは、やがて小学校の先生になります。


③『クリスマス・アルファベット』
  さく ロバート・サブダ 大日本絵画
 
めくると、AではANGEL【天使】、BではBELL【ベル】といった クリスマスに関係ある
ものが立体的に動くように現れる しかけ絵本。

④『サンタクロースって ほんとにいるの』 
  てるおかいつこ文・すぎうらはんも絵
  かがくのとも絵本 福音館

サンタクロースについての親子の会話が楽しく微笑ましい絵本です。
絵本の中での子どもの問いかけに、あなたでしたら どう答えるでしょうか。

♡どうして ぼくのほしいものがわかるの?
♥子どものほしがっているものが わかるひとだけが サンタになれるんだよ。
♡どうして よなかにくるの?
♥おれいをいわれるのが はずかしいからだろ。
♡サンタは なつのあいだは どうしているの?
♥おくりもののじゅんびのあいまに すこしは
 なつやすみをとるんじゃないかな。
♡こないうちもあるのは なぜ?
♥びょうきの子のそばで あさまではなしこんでしまって まわりきれなくなったのかなあ。

♡ねえ、ほんとうにいるの?
♥いるよ。サンタクロースはね こどもをよろこばせるのが なによりのたのしみなのさ。
だって こどもがしあわせなときは みんながしあわせなときだもの。
サンタクロースは ほんとにいるよ。
せかいじゅう いつまでもね


⑤『クリスマスには おくりもの』  絵本館
    さく・え 五味 太郎   

とても親しみを感じる人間的なサンタが登場する物語です。

サンタの役目は、クリスマス・イブの夜に、子どもたちのもとに出かけていって、子どもたちの
用意した くつしたに、おくりものを届けること。
ところが この日は、おくりものを入れようとした くつしたに、サンタのために女の子が用意した 
おくりものが入っていたのです。
サンタは大喜びで 女の子にあげるおくりものをくつしたに入れ、もらったおくりものを大事に抱えて 
家に帰ります。
なんと サンタも、ちょっとそんな気がしたので、ベッドのわきに くつしたをさげておいていたのです。
サンタは自分でそのくつしたに、おくりものを入れます。
おくりものが気になり、サンタは開けちゃおうかなとも思いましたが、朝がくるまで がまんします。
おくりものは、くつしたでした。冷たい雪道を歩くサンタを足を気遣っての おくりものでした。
サンタは、やった!やった! と大喜びです。
サンタは、そのくつしたをはいて さっぱりとした気持ちで 教会へ出かけます。
教会には 女の子もきていました。
そして サンタは こう思います。
『すてきな女の子に なったものだ』と。


サン・テグジュぺりの『星の王子様』で、仲良くなったキツネが別れ際に 王子様に語ったことば。
『…心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ。』
子どもたちが大好きなサンタクロースも、心の目を通して見ることのできる存在なのだと思います。

『…こどもがしあわせなときは みんながしあわせなとき…』
世界中のこどもたちが、しあわせを感じることのできる世界であってほしいものです。
戦争も 飢えもなく、平和な世界で こどもたちの笑顔がとびきり輝く そんな未来であってほしいものです。






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演劇『蜜柑とユウウツ』を観て

2018-12-10 13:53:56 | 日記
 8日に、仙台演劇鑑賞会の12月例会である『蜜柑とユウウツ』を観ました。

 主役を演じたのは、る・ぱる(松金よね子・田岡美也子・岡本麗)の3人組。
詩人の『茨木のり子』さんの生き方や詩をモチーフにした演劇でした。
劇中では、亡くなったのり子さんが生前気がかりだった忘れ物を探すために幽霊となって登場します。
松金さんが主としてのり子役を演じますが、田岡さん(有田紀子役)と岡本さん(仲村典子役)も、偶然
同じ時刻に亡くなった「のりこ」という名前を持つ幽霊として登場します。
のり子さんが気がかりだったものを思い出せるよう、三人の「のりこ」は、それまでの人生を振り返ります。
 劇中には、のり子さんと交友のあった(同志とも言える)詩人の川崎洋、谷川俊太郎、金子光晴、岸田衿子
(劇中では、親友の岸田葉子の役)が登場します。
 また、それぞれの時代状況の中で書かれた代表的な詩が取り上げられ、朗読されていました。

    男には書けない 女だからこそ書くことのできる詩
    平易な言葉で 多く人の心に届く詩
    それがささやかな光となって 前途を照らす詩
 そんな詩を模索しながら書き続けた 詩人【茨木のり子】としての人生を 観ることができました。

 のり子さんの人生は、最大の理解者であり心から愛し信頼する夫と歩む 普通の主婦としての人生でもありました。
夫は勤務医で、23歳で見合い結婚しますが、1975年に49歳で亡くなります。その夫への思いを綴った詩が
収められている詩集が「歳月」で、これは本人の遺言により、死後に発表されたそうです。
2006年にのり子さんは亡くなり、その翌年の2007年に「歳月」が発表されます。
 この詩集に感動した る・ばるのメンバーが、茨木のり子さんを芝居にしたいと思い立ち、長田育恵さんに台本の
執筆を依頼し、マキノノゾミさんの演出で 演劇公演が行われるようになったとのこと。
 また、今回の公演が、る・ばる の3人がそろって出演する最後の身終い公演になるとのことでした。

 さて、劇の中で のり子さんが気がかりだったこととは、何だったのでしょう。
 これまでの人生を振り返ることで、親友だった葉子さんが思い出した 生前ののり子さんの言葉が手掛かりとなって、
その気がかりが明らかになります。
夫が亡くなってからそばに置いておいた遺骨の一部と自分の遺骨を一緒にして、夫のふるさとである山形の墓地に収めて
ほしいという願いだったのです。
あの世でも愛する夫と共にありたいという切なる思いを伝えずにいたことが、心残りだったのです。
 この展開は、詩集「歳月」の中に込められた のり子さんの思いを汲み取った上での台本だったからなのでしょう。

 この劇を通して 改めて 茨木のり子さんの魅力的な人となりを知ることができました。同時に書かれた詩を読んでみ
たいと思いました。
 また、主演を務めた る・ばる の皆さん一人一人の今後のご活躍を これからも応援していきたいと思いました。

    倚りかからず
           茨木のり子
  もはや
  できあいの思想には倚りかかりたくない
  もはや
  できあいの宗教には倚りかかりたくない
  もはや
  できあいの学問には倚りかかりたくない
  もはや
  いかなる権威にも倚りかかりたくない
  ながく生きて
  心底学んだのはそれぐらい
  じぶんの耳目
  じぶんの二本足でのみで立っていて
  なにか不都合のことやめる
  倚りかかるとすれば
  それは
  椅子の背もたれだけ

 じぶんの立ち位置を振り返り、何物にも倚りかからず じぶんがじぶんで在り続けるために よって立つところを見つめながら 
生きる姿勢に、圧倒されます。
 できあいのものに倚りかからず 前に進んでいくためには、未熟な じぶんの耳目とよって立つ足を これから鍛えていくことが 
必要だと感じます。
 まだまだ 人生修行中の身ですから。
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詩『小さな質問』を読む

2018-12-07 10:40:51 | 日記
先日、仙台自主夜間中学の「言葉の時間」で、四つ目の詩『小さな質問』の
読み合わせをしました。高階杞一さんの詩です。


   小さな質問
 
           高階 杞一

 すいーっ と 空から降りてきて
 水辺の
 草の
 葉先に止まると
 背筋をのばし
 その子は
 体ごと
 神さまにきいた

  なぜ ぼくはトンボなの?

 神さまは
 人間にはきこえない声で
 そのトンボに言った

  ここに今
  君が必要だから

この詩を取り上げた理由は、人間をはじめとするこの地球上に存在するいのちある
全てのものが、どれもなくてはならない 必要とされる大切な存在なのだ という
メッセージが込められているからです。

とんぼの神さまへの問いは、
『なぜ ぼくはトンボなの?』であったのに
神さまは、
『ここに今 君が必要だから』 と 答えます。

この神さまの答えを聞いて、トンボはどう思ったのでしょう?

神さまの答えの中に、トンボが知りたかったトンボである理由は語られていません。
それは、トンボであることに対する疑問(小さな質問)をはるかに超えたところで、
神さまは、トンボの存在をとらえているからなのでしょう。
トンボであるか人間であるかなどといった外側の区別は無用な問いであって、君の
存在(生きて在ること)そのものが、『ここ』という場所に『今』という時間の内に
『必要』なのだと…。

高階さんの詩に、こんな作品もあります。

   空への質問
        
         高階 杞一

 ここへ ぼくを呼んだのは
 なぜですか

 ここに今 ぼくのいるのは
 なぜですか

 ここに今 ぼくのいる意味は
 なんですか

 この広い宇宙の中で
 ぼくは 
 なんですか

 なんだろう

この詩の『ぼく』の問いの答えが、ある意味では『小さな質問』の詩なのではないかと
思います。

ここに今 ほくがいる理由も 
ここに今 ぼくのいる意味も
広い宇宙の中で ぼくは何者なのか という問いの答えも

ぼくが 『ここに 今 必要』とされる 存在なのだから なのだと。

それはまた、この世界においては 誰一人として必要とされない存在などないのだ
という 作者のメッセージでもあるのだと思います。

生きることの意味を自問し立ち止まった時、この『小さな質問』の詩がその答えを語りかけ
てくれるような気がします。
また、この地球上の誰もが この世界のいのちあるもの全てが 大切でかけがえのない存在
であることを 空の向こうから 語りかけているような…。












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