あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

万華鏡美術館と二つの展覧会を見て

2015-12-30 10:07:33 | 日記
先日、秋保温泉に用事があり、帰りに万華鏡美術館を見てきました。
古いものから新しいものまで、筒型から箱型まで大小さまざまな形状があり、中には人型でのぞき窓が人形の後頭部につくってあったりするものもありました。
つまみの操作や持ち方を変えたり、立ち位置を変えたりすることで、刻々と模様は変化していきます。中にはモーターや水の流れを活用したものまでありました。
一つ一つが 多様に変化する美しい世界を展開してくれるものですから、次はどんな美しい世界が出現するのだろうと、ワクワク感を抱きながら楽しむことができました。
初めて万華鏡を見た時の感動を改めて思い出すことができ、童心にたちかえることができたひとときでした。

クリスマス前に、二つの展覧会を見てきました。
ピカソ展とターシャ・テューダー展です。

ピカソ展では、ポスターにもなっていた「手を組んだアルルカン」という人物画が印象に残りました。
穏やかな眼差しと優しい表情、腕を組む生真面目な姿、背景の暗さに対して浮かび上がるような鮮やかな服装の色合い、その存在感と合わせ アルルカン(道化師)によせるピカソの温かい思いが伝わってくるような作品でした。
アルルカン(道化師)は、ピカソお気に入りのモチーフとなっていて、画風が変わっても描かれていったとのこと。
若いころからピカソは、物乞いや売春婦、アルルカンやサルタンバンク(軽業師)といった人々に心を惹かれ、共感の思いを込めて作品に描いていたようです。
ピカソの革新性を示す多面的な視点から描かれた作品も展示されていましたが、私の感性では理解しきれない面がありました。
それよりも、手法にとらわれずに制作したという陶芸作品の方が心に残りました。
絵画、陶芸の作品の他に、ピカソを撮った写真も多く展示されていました。
眼光の鋭さに、絶えず創造の世界に打ち込んできた 芸術家としての情熱や激しさを 垣間見るような気がしました。

ターシャ・テューダー展は、ゆったりした気持ちで見て回ることができました。
彼女が暮らした家にあった生活用品が展示され、文明の利器に頼らない昔風の質素で豊かな日常の生活の様子が目に浮かんでくるような気がしました。
驚いたのは、庭の一部が本物の草花が植えられ再現されていたことです。
背景となった家の玄関から今にも笑顔のターシャさんが愛犬を連れて現れてくるような気がしました。
絵本の原画もたくさん展示されていました。
登場人物や背景が細部まで丁寧に描かれ、絵本では感じられない手作りの温もりが感じられました。
生活に必要なものを手作りし、草花や自然を愛したターシャさんの日々の暮らしが、そのまま物語となり絵の世界に再現されているような感動を覚えました。
ターシャさんの日常は、絵本で描くファンタジーの世界と一体となった穏やかで充実した毎日だったのではないかと思いました。

二つの展覧会を見て、創造の世界の素晴らしさを肌で感じることができました。
また、その生き方や人間性の魅力にもふれることができたように思います。

新しい年も、新たな世界に数多くふれ 多くを学びながら 自らのハートを磨いていきたいものです。


慰安婦問題の日韓合意について

2015-12-29 11:14:11 | 日記
今回の同意を心から歓迎したいと思います。

日本政府が、軍の関与や政府の責任を認めたことが、同意の進展に結びついたのではないかと思います。
歴史的事実関係については、さまざまな議論や見解があるようですが、今後は慰安婦という立場に置かれ
た人々の辛さや苦しみによりそい、反省と責任を誠実に形にする支援に努めていってほしいと思います。

同意に基づいた日韓双方の今後の対応が、よりよい関係をつくる確かな土台となっていくことでしょう。
台湾に在住する慰安婦の方にも、同様な支援の手を早急に差し伸べてほしいと願います。

過去の戦争による加害責任をあいまいにせず、法的な責任は果たしたのだからと突き放さずに、その痛みに
よりそう形で外交努力を継続することが、未来志向の関係をつくっていくのだと感じます。

戦争による負の歴史を認めることを自虐史観として否定する考えもあるようですが、非を認め教訓とし同じ
過ちを繰り返さないことこそ、歴史に学んで未来をつくることにつながっていくのではないでしょうか。
ドイツは、戦後ナチス時代の戦争犯罪を徹底的に追及する姿勢と行動を通して、加害国から脱し信頼される
国となりました。
一方、日本はどうでしょうか。過去の歴史による加害国としての縛りから解放されず、韓国や中国との間に
不信の深い溝を残したままです。

今回の韓日間の同意は、その溝を埋める大きな出発点になったのではないかと思います。

領土問題や戦時中徴用工として強制労働を強いられた人々への補償問題、慰安婦象の撤去等 溝を埋める
課題は山積しているものの、この一歩が 両国間の信頼関係を幅広く醸成する確かな一歩となることを
心から期待したいと思います。




お薦め映画

2015-12-28 21:50:50 | 日記
○ 映画:素晴らしき哉、人生!
○ 監督:フランク・キャプラ
○ 主演:ジェームス・スチュワート

昨年度から、ボランティア団体の広報誌の編集に関わっています。
今月に発刊となった広報誌には、新たな企画としてお薦め映画特集を組むことになり、ボランティア活動の指導的立場にある先生方に、
お薦め映画の紹介を依頼しました。
その中の一つが、フランク・キャプラ監督の「素晴らしき哉、人生!」でした。

率直な感想は、見て本当によかった の一言です。

ストーリー的には、クリスマス・キャロルの映画を連想させる感じがありました。
クリスマス・キャロルでは、主人公のスクルージーが過去・現在・未来における自分の姿を見つめ直すことで、新たな生き方を見出します。

本映画では、絶望の淵に立ち死を決意した主人公:ショージが、自分の生まれなかった世界を見ることで、生きることの意味や喜びを見出す
というストーリーです。

神の意思を受けた精霊や風変わりな老天使が、主人公の道案内を務めるという点が共通点でもありますが、
主人公たちが生きる意味や喜びを見出すという点が深い共通点と言えそうです。

ジョージは、失くしたお金を工面できず、仕事で窮地に立たされます。
絶望のあまり、愛する妻や子どもたちにも当たり散らし、死を決意します。
自分なんかいなければいい、保険金で少しでも会社や家族の負担を軽減できたらと考えての決意だったのです。
その時に老天使に出会い、自分のいない人生を見せてもらいます。
そこで改めて、自分が生きて関わってきた妻や友、人々との絆の深さに気付くのです。
自分が生きていたからこそ、つくることのできた 周りの人々との心のつながり。
それは確かな友情であり愛であり、信頼でもあったのです。

生きて在ることの喜びを見出したジョージは、家族の元に駆け出します。

最後の場面は感動的です。
最愛の家族と生きて再会することのできたジョージ。
窮地に陥ったジョージを救おうと駆けつけてきた友人や仲間たち。
一人一人の温かい笑顔が心に残る場面でした。

生きていればこそ、さまざまな出会いがあり、絆が生まれ、お互いにかけがえのない存在なのだということ。
その素晴らしさを改めて教えてくれた映画でした。

機会がありましたら、是非ご覧ください。
薦められて 薦めたくなった 映画の一つになりました。


教育予算の削減から想うこと

2015-12-21 19:57:28 | 日記
来年度の予算案についての政府の方針が、決まったようです。

新聞によれば、防衛費が初の五兆円超となり、第二次安倍政権になってから4年連続での増額となっているとのこと。
財政の健全化を図るため、社会保障費を除いて軒並み他の予算は削減対象となっている中、防衛費のみが増額予算と
なっているようです。

そのしわよせの一つに、教育予算の減額として、教職員定数3,470人の削減があります。少子化に伴う自然現象分の
3,100人分が含まれているものの、文科省はいじめや不登校への対応などを理由に3,040人を補充し、60人減とするよ
う要求していたとのこと。教職員の定数の基準となる現在の40人学級が適正かどうかという問題もありますが、子ど
もたちへのさまざまな支援やサポートが必要とされる現状を考えると、教職員の削減に対して大きな疑問を感じてし
まいます。

教育という人づくりにかける予算よりも、中国への危機意識に基づく防衛費の増強の方が優先されるべきという考え
が、政府の考えなのでしょう。
防衛費の拡大は、軍拡路線の拡大でもあり、上限などはないに等しいような気がしてしまいます。相互に軍事力の強
化を図り、際限なき軍拡競争を推し進めていくことで、対立の構図は深まり、一触即発の危険性を高めていくことの
方が心配になります。

平和憲法の理念の元で歩む日本の姿から、どんどん離れていくような気がしてなりません。
安保法案による軍事同盟の強化と海外派兵の拡大、さらには憲法改正といった流れと並行した形で 日本は戦う国に
変容していくのでしょうか。
未来への投資は、平和な国家をつくるためになされるべきであり、その主体となる人材育成のためにこそ使われるべ
きなのでないかと思えて仕方がありません。

片手に武器や兵器を持ち、もう一方の手で平和の旗を掲げることで、相手国の信頼と真の平和が勝ち取れるものなの
でしょうか。

世界中の防衛予算を集めたら、どれだけの金額になるのでしょう。
そのお金を 人を殺す兵器ではなく 人を生かすことに用いたら どれだけ世界は平和になることでしょう。
どれだけ多くの人々が幸福になれることでしょう。

軍事力に頼らないで平和を構築することは、それだけ困難な課題であり、叶わない夢なのでしょうか。

サンタクロースの願い

2015-12-15 20:03:11 | 日記
サンタクロースのことを想う時節を迎えました。
その存在を意識するだけで、幸せな気分になるから不思議です。
何歳になっても、この時期になるとそわそわしてしまいます。
夢見るハートが健在な証と 独りよがりに思うことにしています。

12月の初めに、仙台で仲間内の会があり、楽しく歓談し、おいしい料理を味わい、心地よい酒を味わいました。
会を終えて、通りに出たところで 感動の出来事に遭遇しました。
光・光・光 けやきの樹に設置された オレンヂ色の豆電球が無数に輝いていたからです。
ちょうどこの日が、例年行われている光のページェントの試験点灯の日だったのです。
まばゆい光の洪水に、あふれる感動とともに立ちつくしてしまいました。

初めて光のページェントを目にした時と同様に その美しさに見とれていました。
ながめているだけでワクワクし 夢見るような ひとときでもありました。

無数の光をまとい 光の帯となった クリスマスツリー並木を縫って
遠くから鈴の音が聞こえ、やがて トナカイの息遣いや 「メリークリスマス!」のかけ声も聞こえてきて
いよいよ ソリに乗った サンタクロースが こぼれんばかりの笑顔で 手を振りながら 颯爽と 登場!
そんな光景が頭に浮かんできました。

今頃、サンタランドはそ世界中の子どもたちへのプレゼントの準備で大忙しといったところでしょうか。

世界中の子どもたちの笑顔を見たいという一心で、サンタやその仲間たちは 大奮闘していることでしょう。
サンタのハートを持った お父さんやお母さん方も 子どもたちの願いにこたえようと 笑顔でその準備におわれていることでしょう。 

子どもが幸せな時が 何より幸せな時間。

そんな温かい思いが、世界中にあふれていることでしょう。

不治の病で苦しんでいる子ども。
テロや戦争で親や兄弟を亡くした子ども。
住む家もなく、食べるものや着るものに不自由している子ども。
戦火におびえる子ども。
いじめに耐えている子ども。
世界のいろんなところで、不幸せな環境や状況にいる子どもはたくさんいることと思います。

そんな子どもたちも 笑顔になれる クリスマスであってほしいものです。

子どもが幸せな時が、自分の幸せな時。
サンタのハートを持っている 世界中の大人たちが力を合わせれば
世界中の子どもも 大人も 笑顔の輝く日が きっと訪れることでしょう。


クリスマスが、いつかは 世界中の子どもたちの笑顔が輝く日と 
呼ばれる日が来るかもしれません。
サンタクロースは、きっと そう願っていることでしょう。