あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

アウシュビッツ元収容者の写真を見て

2015-01-28 22:19:54 | 日記
新聞の一面に、「アウシュビッツ解放から70年の27日朝、収容所の正門から出る元収容者たち」の写真が掲載されていました。
70年前の解放の日を思い出しながら、人々はどんな思いで正門をくぐりぬけたのでしょうか。
その思いを想像しながら、改めて、ヴィクトール・E・フランクルの書いた「夜と霧」新版:池田香代子訳の解放場面を読み直してみました。
 
『 ~ わたしたちは自然の中へと、自由へと踏み出していった。「自由になったのだ」と何度も自分に言い聞かせ、頭の中で繰り返しなぞる。
 だがおいそれとは腑に落ちない。自由という言葉は、何年ものあいだ、憧れの夢の中ですっかり手垢がつき、概念として色あせてしまっていた。
 そして現実に目の当たりにしたとき、霧散してしまったのだ。現実が意識の中に押し寄せるには、まだ時間がかかった。
 わたしたちは、現実をまだそう簡単につかめなかった。 ~ 』

 それだけ死と隣り合わせで人間扱いされない過酷な日々を生きてきたからこそ、自由の実感は感じ取れなかったのだと思います。
自由になる日を何度も夢で先取りし、そのたびに過酷な現実に引き戻された収容所生活。
だからこそ、手にした自由を現実として把握できない状況だったのだと想います。
しかし、数日後にその実感を『~それまで感情を堰き止めていた奇妙な柵を突き破って、感情がほとばしる』ように受け止めることができるようになります。

『 ~ あなたを取り巻くのは、広大な天と地と雲雀の歓喜の鳴き声だけ、自由な空間だけだ。
 あなたはこの自由な空間に歩を運ぶことをふとやめ、立ち止まる。あたりをぐるりと見回し、頭上を見上げ、そしてがっくりと膝をつくのだ。
 この瞬間、あなたはわれを忘れ、世界を忘れる。たったひとつの言葉が頭の中に響く。何度も何度も、繰り返し響く。
 「この狭きよりわれ主を呼べり、主は自由なひろがりのなか、われに答へたまへり」 
 どれほど長いことその場にひざまずいていたのか、何度この言葉を繰り返したか、もう憶えてはいない…だがこの日この時、あなたの新しい人生は始  まったのだ、ということだけは確かだ。そして一歩また一歩と、ほかでもない新しい人生に、あなたは踏み込んでいく。
 あなたはふたたび人間になったのだ。 ~ 』

 主への問いは、大いなるものに生かされて在ることに対する 心の内から湧き上がる歓喜にも似た感謝の思いだったのでしょうか。
自分を遮るもののない限りない自由を 思う存分享受できる喜びに満ち溢れた思いだったのでしょうか。
自分の人生を歩むことのできる人間になったのだという思い。
その喜びは、人間であることの人生を否定された収容所生活の裏返しでもあったのでしょう。
人間が人間として生きることのできない収容所生活を強いたのも人間であることの痛切な痛みを感じてしまいます。
このような悲劇を繰り返してはならないのだという思いを改めて強く感じます。

 しかし、こうして自由を得た人々のその後の人生も辛く苦しいものだったのです。

 権力や暴力からの圧迫から解放されたことで、今度は自分が力と自由を意のままに行使していいのだと履き違えて、不正を働いてしまう心の屈折。
 自由を得てもとの暮らしにもどっても、過酷な収容所生活体験に対しておざなりの言葉や決まり文句しか返してくれない周囲への不満。
 収容所で唯一の心の支えにしていた愛する人に二度と会うことのできない失意の念。愛する人の喪失した現実が、収容所生活の中での苦悩を超える底なしの失意の念を抱かせてしまうのです。
 フランクル自身も、両親と愛妻とは再会できませんでした。

『 ~ 収容所にいたすべての人々は、わたしたちが苦しんだことを帳消しにするような幸せはこの世にないことは知っていたし、またそんなことをこも ごも言いあったものだ。わたしたちは、幸せなど意に介さなかった。わたしたちを支え、わたしたちの苦悩と犠牲と死に意味をあたえることのできるの は、幸せではなかった。にもかかわらず、不幸せへの心構えはほとんどできていなかった。 ~ 』

 解放されたことが終わりではなく、新たな苦難の始まりでもあったのだということ、そしてその苦難を乗り越えて今の姿があるのだという事実。
 『それでも 人生はあなたを待っている』
 改めて写真を見ながら、フランクルが語る言葉と、アウシュビッツの正門の向こうで待っていた70年の人生を懸命に生きてこられた元収容者だった人々の姿に 心打たれるものがありました。
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人質解放を願って

2015-01-24 10:52:07 | 日記
 イスラム国の人質となっている後藤さんと湯川さんが、無事解放されることを心から祈ります。
72時間を超えても、さまざまなルートを通した交渉の努力が実を結んでほしいと願います。
日本政府には人道的支援という立場を貫き、イスラム国内の病人や難民の救済にも医薬品や食料等の支援を行うことを約束することで打開の道を探ってほしいと思います。

 安倍首相が推進する積極的平和外交については、その理念の先に戦争のない世界平和の実現を目指しているのだとするならば、武力に頼らず 難民救済や人道支援を通して日本が世界平和に貢献していくことを地道にアピールしていくことが求められると考えます。
それはまた、韓国や中国との関係改善においても、武力行使に頼らない日本の平和志向を指し示すことが効果的な意志表示になるのではないかと考えます。

 フランスのテロ事件を契機に、ヨーロッパでは反イスラムの機運が高まりつつあるようです。イスラム教自体が否定され、穏健派の人々も同類とされ迫害されるような事態になることが憂慮されます。今回の事件がさらに拍車をかけ、日本国内においても同様な動きが加速されるかもしれません。イスラム国やアルカイダのような過激なイスラム教徒は少数派で、多くは穏健な信者なのではないでしょうか。信教の自由は、侵すことのできない普遍的な人権でもあるのだということを冷静に考えることが必要なのだと思っています。

 新聞の解説などを読んでみると、中東情勢については問題が複雑に絡み合い、さまざまな対立や紛争を解決することに困難さを痛感します。
それだけ、人道的な難民救済を掲げても、その真意が理解されず、敵国と見なされてしまうような状況なのではないかと推察します。
その意味でも、敵・味方にとらわれずに戦いの惨禍で傷付き、避難してきた人々を救済し・支援するというスタンスを貫き貢献していくことで、日本という国への理解と信頼を深めていく継続的な外交努力が必要なのだと感じます。
武力に頼らず、人道支援や経済的協力関係を柱に世界に貢献していくことが真の平和主義国家としての日本の進むべき道なのではないかと考えます。

 人質となった後藤さんのお母さんが記者会見で述べた言葉
 『健二はイスラムの幸せを願い、平和を願っている』という思いが、
 イスラム国の指導者の心に届くことを祈り、二人が無事解放されることを心から願います。
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足跡

2015-01-18 11:39:46 | 日記
雪が積もった朝

歩道に見つけた足跡
いっついの 人と犬の足跡
ふれあうように 
よりそうように

言葉を超えた信頼を
伝えるように
残された 足跡

愛し合う人の足跡も
ふれあうように
よりそうように
真っ白な雪面に刻まれていくのでしょう

今日から明日へと
流れていく 
何気ない日常の中に
残されていく 足跡

確かなものが
確かな形で
刻まれていく
日々の歩みでありたいものです
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神戸の地蔵様

2015-01-17 14:13:03 | 日記
阪神大震災から今日が20年目。
新聞の社会面を見ると、地蔵様と向かい合う父親の写真が掲載されていました。
その下には生前の息子さんの写真と青い空を背景にした地蔵様を正面から撮影した写真もありました。
生後4カ月で亡くなった二男の拓也くんの地蔵様でした。
父親の明石健司さんの横顔には、悲しみをこらえながら我が子を慈しむ 父親としての思いを感じました。
地蔵様のほほに添えられた手を通して、生前の拓也君のすべすべした柔らかいほほの感触と温もりを思い出していたのかもしれません。
胸が熱くなる写真でした。

地蔵さまは、拓也君の写真を送ってつくってもらい、「顔が四角いのも、福耳もそっくりです。」とのこと。
毎年の地蔵盆の時には、子どもたちが会いにきてくれ、地蔵盆が過ぎても女子高生が手を合わせる姿を見かけることがあるそうです。
「子どもが大きくなって、親の知らない所で友達を増やしていくみたい」に感じるとのこと。
明石さんの中では、今でも拓也君が生き続けているのだと思います。
20歳になった拓也君も、父親の変わらぬ愛情をにっこりとほほ笑みながら見守っていることでしょう。

20年という年月を、被災された人々はどんな思いで受け止めているのでしょうか。

亡くなった人の数は、6,434人。犠牲者の中には、外国人の方も多く含まれているとのこと。
被災地では、記憶の風化と被災者の高齢化が大きな課題になっているそうです。
災害復興住宅273団地は、昨年高齢化率が50%を超えたとのこと。
一人暮らしのお年寄りも多くおられるそうです。
復興途上にある東日本大震災の被災地でも、同様な課題が浮かび上がってきているようです。

震災によって受けた悲しみや心の傷は、時が経過しても消え去るものではないのだと思います。
亡くなられた方々のご冥福と 被災者の悲しみや心の傷が少しでも癒されることを願い 今日は静かに祈りたいと思います。
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天声人語を読んで

2015-01-14 21:02:58 | 日記
10歳前後の少女が、爆発物を体に巻きつけ自爆テロで亡くなったというニュースを知り、私自身も大きな衝撃を受けました。
本人の意志なのか、それともイスラム過激派:ボコハラムが、少女らを人間爆弾にして遠隔操作したものなのかどうか。
しかしその正否は問題ではなく、未来ある少女の命が失われたことに心が痛みます。

命は他人の命を奪うためにあるのではなく、命を生かすために在るはずですから。
その少女の命と未来を奪う権利など誰にもないはずなのに、事実として 少女のかけがえのない命が失われたということの重さを痛感します。
こんなにも命を軽々しく扱うことで、どんな未来をつくろうとするのでしょうか。

主義・主張は多様であって構いません。どんな宗教を信仰するかどうかはそれぞれの心のままに任せて構いません。
ただ、一つだけこれだけは否定できないものがあります。主義・主張・宗教をはるかに超えて尊いものこそ、命そのものなのだと思うのです。
生きていればこそ、自分の思いや考えを伝え、信仰を語ることができます。
命を否定したり、簡単に捨て去る行為からは、何も生まれず創りだすことさえできません。
命を大切にし、守ることから、希望に満ちた未来は創りだせていくのだと考えます。

天声人語の末尾は、次のように結ばれています。
「 ~ フランスの悲劇は世界の悲劇になった。ならばアフリカに爆発音を残して消えた少女の死も、世界の悲劇なのだと思えまいか。(やさしい人になって困っている人を助けたい)―そんな女の子だったかもしれぬ。 」

同感です。
少女の失われた未来と願い、それが一瞬の間にこの世界から失われたのだという 痛みと悲しみを感じるからこそ、世界の悲劇なのだと思います。

世界中の誰もが、一人ひとり尊い命を持っているのだということ。そして世界中の子どもたち一人ひとりが、未来の世界を創る主体なのだということを 忘れてはいけないのだと思います。

失われた命の重さを誰もが受け止め、誰もが幸せに生きる権利と 奪うことのできない未来を手にしているのだということを 改めて心に刻みたいと思います。
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