あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

講演会に参加して

2013-03-09 23:08:05 | インポート

今日は、仙台いのち電話 公開研究会に出かけてきました。講師は、東北大学名誉教授の哲学者:岩田靖夫先生で、演題は「よく生きる ~いのちの源にあるもの~」でした。

講演の要旨は、チラシに書いてある言葉そのものでした。

人は自分の力だけで生きているわけではありません。だから生命は自分の所有物ではありません。生命はどこかから送られてきた贈り物です。この贈り物に感謝することがよく生きることです。よく生きるとは人を愛し人から愛されることです。愛の関係こそ人生の意味であり、この関係は生前・死後を通して永遠に続く、と信じましょう。

講演は、人生を生きる三つの原則( ①感謝する ②自己として生きる ③愛する )をもとに進められました。

①感謝する       ありがとう の感謝の気持ちが働いていると、人生が幸せになる。周囲の人々も幸福にする。いのちは、どこかからの贈り物であり、われわれは自分の力で生きているわけではない。なぜなら、やがては命の終わりのときがきて、必ず死ぬからである。感謝の対象は、自分にいのちを贈ってくれた「大きなもの」に対するものである。しかし、この存在は目に見えないものだから、喜んで生きるということが「ありがとう」と告げることでもある。

②自己として生きる  自分の人生には自分で責任をもつ。生きることは他人とかかわることであるが、他人を助けながらも自立(自助・自律)して生きなければならない。自立するためには、人間とは何者であり、社会の仕組みはどのようにできているかを知らなければならない。この知識がないと、批判力はもちえない。人間には、能力の差異がある。しかし、その存在も能力も、どこかから与えられたものであり、偶然の贈り物である。だから、強者と弱者は相互に支え合う関係にある。そのことを前提にして、どういう人間になるかを自分で決め、責任を負うことになる。   

③愛する         人は、自然を味わい、人と交わるために生きている。生きがいとは、自分が必要とされていること、他人の役に立っていること、他人の助けになっていること、他人から好かれていること、他人に受け入れられていること、他人によって自分の存在が肯定されていることを感じることであり、そこに自分の存在する意味を見出す。 愛は根本的に一方的である。なぜなら人間は「自由な絶対的存在」だから。「自由な存在」とは、「何かをするかしないかは、その人が決める」ことであり、「絶対的存在」とは、「かけがえのない存在」「取り替えの利かない存在」 であり、唯一無二の存在であるということ。人と人の交わりとは、自由からの呼びかけに対する自由からの応答である。「こんにちは」と挨拶をして、それに応えるか応えないかは、相手の自由に任されている。したがってもし応えてもらったとしたら、それは奇蹟である。相手に見返りを求めずに、一方的に奉仕しつづける。もし、相手からの応答という奇蹟が起これば、そこに「愛」というもっとも美しい花が咲く。

明るい日々であっても、暗い日々の中でも、いつでも 存在の贈り手である「大いなるもの」に「ありがとう」と言いながら 生きる。

谷川俊太郎さんの詩『ありがとう』の終わりの一節に、次の表現があります。

  でも誰だろう 何だろう

  私に私をくれたのは?

    限りない世界に向かって私は呟く

  私 ありがとう

岩田さんの講演資料にも、詩と重なる文言が書かれていました。

「人は必ず死ぬ。だから、いま息をしているこの瞬間においても、なにかから命を贈られているということが体験的に分かる。それが奥底の自己。……自然に、あるがままに生きる。それが、命の源に抱かれて生きること。本当の自己に自分を委ねる。そこに安心がある。」

私に私をくれたのは、「大いなるもの」であり、ありがとうの対象は その大いなるものに生かされていると感じる 奥底の自己であり 本当の自己なのかもしれません。

「ありがとう」と感謝する心で 周りの世界や 周りの人々を 見つめることで、生きる世界が大きく豊かにそして温かく広がっていくように思います。そしてその中で、生きる喜びを実感でき、生きる意味を探すことができるのかもしれません。

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